普遍的なことも知る機会がなければ当然通じない
「王国の田舎村か……いい場所なんだろうな」
「過ごしやすいわよ。両方で住んだ私が言うんだもの、間違いないわ」
帝国で生まれ育った剣闘士ディアナの言葉に、同じ境遇でありながら王国へ移ったヴィクトリアが答える。経験者の話は、何よりも参考になるだろう。
ふとシビラが、俺の方を見た。
そうだな、ここからは育った俺達が話す方が早いだろう。
「俺とエミーとジャネットの三人は、アドリアという田舎村で育った幼馴染みなんだよ。ヴィクトリアと一緒に来たのもそれが理由だ」
「ああ、娘を置いてるっつってたな。とはいえ、いきなり行ったところで住めるのか? 帝国じゃ家を持つのは簡単じゃねえ」
「俺達が育った孤児院を訪ねればいい。ジェマっていう元気な婆さんかフレデリカというシスターに、俺達の名前を出せばいいだろう」
ここまで説明すれば、すぐに理解するだろう。そう思ったのだが……不思議なことに、ディアナは瞬きを数度して首を傾げた。
「……今の説明で、分からないことがあったか?」
「やることは分かった。さっきもシビラの話に出たが、そのコジーンという建物に行けばいいんだな?」
頷こうとした。
だが……どうしても俺は、その違和感を流せなかった。
「ヘンリーは目的地が分かったか?」
「……えっと、理解は姉さんと同じぐらいですけど。その……ジェマ様という貴族の方か、教会のシスターの方が住み込んでいる、コジインという建造物? らしき場所を訪問すれば問題解決の手順を示してくれる……のですよね?」
ヘンリーは、まるで俺に自分が間違いを言っていないことをアピールするかの如く、丁寧に説明した。
――説明してしまった。
俺はヘンリーに上手い返事ができないまま、エミーとジャネットの方に視線を向ける。
二人も俺の方を口を半開きにしながら呆然と見ていたが、きっとこいつらと俺は似たような表情をしているのだろう。
一方、シビラは「そうだったわ……」と呟き、ヴィクトリアは頭を押さえつつ溜息の後に言葉を続けた。
「王国で住んでいる時間が長くて、すっかり忘れていました」
「ヴィクトリア……なあ、俺にはどうにも、会話が噛み合ってないように思うのだが」
彼女は俺の問いに静かに頷くと、当のディアナへと向き直った。
「質問するわ。『親が突然いなくなった』として、あなたは帝国でどうする?」
「どうって、働き口を探すか、前のあたいみたいにどっかに買われるか……まあ雇われなかったらどうするもんかな。マジでどうしようもないなら物盗りにでもなるか、後はスラムでも頼るか?」
「そうよね。それが普通よね」
淡々と肯定したヴィクトリアに、さすがに声を挟まずにはいられなかった。
「いや、待てよ。親がいなかったら、孤児院に行くだろ。そうでなくても、事前に親が孤児院に預けるか、周りの大人が案内するのが普通じゃないか?」
「うんうん、そうよね。やっぱりそれが普通よね~」
俺はヴィクトリアに『それは普通ではない』という意味で言ったつもりだったが、ヴィクトリアの反応は、まさかの全く同じ肯定だ。
ただ、何となく意味は分かる。
前者は『バート帝国』の普通で、後者は『セントゴダート王国』の普通なのだろう。
そんな俺達の会話を聞いて、ディアナから質問が来た。
……その質問で、俺は違和感の理由を察してしまった。
「なあ、さっきから二人とも何のことを言ってるんだよ。そのコジーンて場所は、そんなに何でもやってる場所なのか?」
「帝国には……孤児院が、ないのか?」
「まだ、建ってないらしいわね」
俺の問いに答えたのは、シビラだった。
「アタシが以前来た時は無かった。過去、教会に話を振ってから一体何十年経ったか……まさか未だに影も形もないとはね」
「じゃあ親のないヤツはどうするんだ」
「いや、あんたも見たでしょ」
シビラは窓の近くに立ち、バート帝国の堅牢な南門に視線を向ける。
門の前……そうだ、俺達がこの街に入ってきた直後、門から走って外に出ようとした者を、兵士が取り押さえているのを見た。
あいつは、間違いなくこの街から出ようとしていた。
「安定したシステムから溢れた者は、助けを求める手順がない。自力で這い上がるしか無いけど、逃げ出すこともできない。それがバート帝国よ」
こんなにも、国が違うだけで違うものなのか。
一度脱落したら、立ち直る手段があまりにもなさすぎる。
つくづく俺達は、セントゴダートに産まれて良かったな。
その点は、あの女王に感謝しなければなるまい。
ヴィクトリアの不自然な首肯もようやく理解できた。
彼女にとって、子供が孤児院に預けられる環境も、奴隷の焼き印を押される環境も、どちらも『経験したこと』なのだから。
「ディアナ、ヘンリー、聞いてくれ。孤児院というのはな――」
俺はゆっくり、自分達が育ってきた環境のことを話した。
セントゴダートで活動する『太陽の女神教』のこと。
その教義を元にした慈善事業の一つである孤児院のこと。
俺達三人がそこで育った親なしの幼馴染みだったこと。
そして――親代わりのシスター達によって、職業を得る年齢まで育ててもらったこと。
全ての話を聞き終え、ディアナは驚愕に目を見開いた。
「そんなのありかよ……じゃあ王都には、スラムとかねーのか?」
その質問に、俺は無言でイヴに視線を向ける。
「ないわけじゃねっす。でも、そういうのって自分から入るか、街によって孤児院が機能してない場合っつーか。まあそんな時ぐらいっす」
「……そうか、王国の王都みたいな都心部ではそれが常識なのか」
「いや田舎っつっただろ、住宅地を離れると畑と空き地ぐらいしかない村の孤児院だ」
俺の答えに対し、ディアナより前にヘンリーが声を上げた。
「行きたい……行きたいです。そんな場所があるのなら――」
そして、こう続けた。
「姉さんが住むべき場所です。そこに入ることができれば、もう迷惑をかけることもありません」
それは、決意に満ちた声だった。
ディアナとヘンリーの、アドリア行きへの提案。その案に乗り気なのはヘンリーの方だった。
「姉さんは、必要以上に頑張ってきたと思います。本来ならばもっと早い段階で楽になるべき人でした。僕は……いつ姉に見捨てられたとしても、今までのことを感謝こそすれ、恨むようなことは絶対ありませんでした」
「お、おい、そんなことは……」
「それぐらい、苦労をかけすぎた自覚があります」
そう……だな。偽の薬を飲まされてずっと体調を崩し続けていたのは、ヘンリーだ。
だが本当に苦労していたのは、その間ずっとタダ働き同然だったディアナの方だろう。
もしもエーベルハルトが真っ当な人物なら、早い段階でヘンリーは治っていた。
そうでなくても、帝国の【神官】が王国の者のように清廉潔白なら、素直に治療していたはずだ。
少なくとも俺なら、病人を治さずそのままにしておくなど、奥歯にものが詰まったようで落ち着かないだろうな。
「僕は、今の話を聞いて思いました。そんな素敵な環境があるのなら、もう姉さんに誰かが何かを強要したりはしないでしょう」
「ヘンリー……」
「きっと姉さんは、負担だとは本当に全く思っていないでしょうね。それでも、僕は行きたいんです。姉さん自身が、誰からの制限を受けることもなく生活できる環境に」
控え目な弟からの、姉に対する意思を持った言葉。
それは、今までで一番力強い言葉に聞こえた。
「いい! とてもいいわ!」
シビラはヘンリーの言葉に拍手で歓迎した。
「その言葉を君自身が言ってくれるのを待っていたわ。誰に教えられるでもなく自分の心の内から答えを導き出したのは、ヘンリー君の本当に良いところよ。……いい姉弟ね」
話を聞き終えたシビラは、どこか眩しいものを見るように目を細めた。






