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ディアナの前払いと女神の依頼

 代金支払い。

 シビラは確かに、そう言った。更に、それが今の問題の解決になると。


 ……本当だろうな?

 俺の不安を余所に、シビラは楽しげに指を立てた。


「まずアタシから質問だけど、今の帝国は回復魔法って相場いくらかしら」


「お、おう。回復魔法(ヒール)か……エーベルハルトに禁止されてたんだが、確か銀貨で二枚から五枚ぐらいじゃねーかな」


 提示された金額を聞いて、イヴは「たけぇ」と俺の代わりに言っていた。言ってなければ俺が言っていた。

 払えなくはないが、王国ならポーションを買った方が安い。


「ヒールか? キュアとかじゃなくてか?」


「いや、ポイズンキュアでも十枚を下回れば安いもんだし、純もののキュアなんて……」


 説明の途中で、ディアナは顔面蒼白にして目を見開いた。


「あの時は勢いで言っちまったが……あんたの使ったのってどういう魔法だったんだ?」


「【聖者】のエクストラヒールとキュアか? 治らなかった怪我はなかったので、何が不可能かは分からん。詳しくはシビラに聞いてくれ」


「前者は死亡以外の完全回復、装備品の完全修理、それに体力回復よ。後者は死の病や魔王の呪いの完全治療、あと衣服の完全洗浄、他には思考能力の向上などがあるわ。スタミナチャージとかリペアの複合ね」


 今、聞いたことがない要素があった気がしたんだが気のせいか?

 俺に隠していたか、それとも今の会話限定で適当にでっち上げているのか?


「運気の向上や美形化もあるかもね」


 適当にでっち上げていた。今日もシビラは安定してシビラである。


「……」


 そんなノリで話された一方的な内容でも、何も知らない当のディアナは真っ青である。おい大丈夫かよ、ヘンリーなんて治療前みたいな顔色になってないか?


「言っておくが俺も助かったし無料で構わないからな。ヘンリーにも使ったし今更だろ」


「……」


 二人は黙って互いを見合う。


「いや、今のは振りじゃなくてな――」


「――そうそう、感謝してほしいところよね! 金貨何百枚になるかしら~!」


 俺の言葉を完全にかき消すつもりで、唐突にシビラが大声でおっかぶせてきた。

 いや何堂々と返答してるんだよ、そもそもお前が治したんじゃねーだろーが。

 何より普段から頭痛薬代わりにクソ適当なねだり方するヤツが言っていい台詞じゃねえ。

 ただし。シビラが一瞬こちらに振り返った時に、はっきりとアイコンタクトを取った。


『任せて』


 そう言っている。こいつがそういう目をするってことは、何か考えがあるのだろう。

 俺はシビラの目を二秒ほど見返す。黙認の合図を理解したシビラが小さく口角を上げ、再び姉弟に視線を戻した。


「アタシは帝国の相場とか知らないけど、【聖者】の回復魔法は凄いわよ。ディアナに使った魔法なんて、多分片目とか片腕とかなくなってても完全に治るんじゃないかしら?」


「ま、マジかよ……そんなことが……」


「だから焼き印みたいに、体がその形に変形して固定してしまったような傷も治ったのよ。それにぃ~?」


 シビラが実に愉しそうに、ニヤニヤとヘンリーの方も見る。


「結局原因が分からなかったから、君には両方使っちゃったなー?」


 ヘンリー、本当に大丈夫か……? 体調が悪いなら回復魔法のおかわりは要るか?

 ……却って悪くなりそうだな。

 急に意地の悪いことを言い始めたこいつに、ディアナはヘンリーを庇うように身を乗り出した。


「な……何か要求があるんだよな、そうだよな!? いや、何をやっても対価には絶対足りる気がしねえけど」


 その言葉を待っていたと言わんばかりに、シビラは眉を上げてニッと笑った。


「体で支払ってくれるというのなら、それはもう、とびっきりの一生モノの労働があるわよぉ~?」

 笑顔のシビラがディアナの近くまで身を乗り出し、体躯が上回る女戦士が気圧されたように身を引く。


「料金に見合った、長期の仕事を斡旋してあげるわ……フフフ」


「……」


 ディアナは息を呑んで、次の言葉を待つ。その表情は、闘技会で暴れ回っていた姿とは似ても似つかぬほど緊張している。

 一方二人のやり取りを見ている俺達はというと――若干苦笑気味だった。

 ああこの女神、また楽しんでるなあ、という感じで。ま、それだけもう皆シビラのことを理解しているのだ。

 悪戯女神は、勿体つけていた仕事の内容を話し始めた。


「アタシが紹介するのは、魔物の討伐任務よ」


「……ま、魔物の討伐?」


「そう。ヴィクトリアの娘がいるアドリアは元々平和な村で、それこそ最近までダンジョンの一つもなかったのよ。門番が一番の【剣士】で、以前見たレベルは12ね」

 あの門番、ガキの頃は随分と恐れていたが、隣町ではダンジョン上層レベルだったのか。

 そう考えるとここにいる豆畑の主婦、マジで突出して強すぎるよな……。


「今まではそれでよかったんだけど、あの『()(きよう)(こく)』という厄介なものが現れた。『魔物はダンジョン以外にはほぼ現れない』という常識が、ここ最近は完全に崩れたわ」


 魔峡谷。王都と帝国の間を裂くように、肉眼では端が見えないほど大きな谷が現れた。

 人には踏み込めないような急角度の崖から、四つ足の魔物が上ってくる。

 出現場所は谷の近くならどこからでも。

 このため、出現場所を人類側が全て把握するのは不可能に等しい。


「アドリアはね、基本的に職業を持った年齢で村の仕事を手伝うか、独立の準備を始めるのよ。ヘンリー君は大丈夫だけど、ディアナは何かしら理由があった方がいいわ」


「ああ、そりゃあたいが入るような場所じゃなさそうだ」


「というわけで、必要になってくるのは仕事。特に可愛い子供達を常に守ってくれる戦士が今必要よ」


「子供を、守る?」


「ええ。そりゃもう孤児院には高齢のシスターと、【神官】レベル1のシスターぐらいしか大人がいないもの。二人とも元気はいいけど、戦うとなると厳しいわ」


 シビラは淡々と解説するが、この話の芯は別のところにある。

 理不尽な扱いを受け続けていたディアナ。そんな彼女がこれまでこの生活を続けていられた理由は一つ。ヘンリーの存在だ。

 ディアナはずっとヘンリーの隣にいた。この任務なら、ディアナは基本的にずっとヘンリーの隣で過ごすことになる。

 同時に、この任務には重要な役目がある。


「なるほど、ディアナさんがアドリアに……」


 アドリア村の孤児院には、ヴィクトリアの娘ブレンダがいる。

 村の連中には悪いが、彼女自身が村の【剣士】だけという現状では安心できないだろう。剣闘士として頂点に君臨した彼女からすれば、どうしても比較すれば見劣りする。

 だが、それが同じ一番人気の剣闘士だったなら?


「私から見るに、あなたは対人はもちろんだけど、どちらかというと大型の魔物に向いていると思うわ。個人的にも、任せたいわね」


 シビラの提案は、この二人の問題を解決するだけではない。

 ディアナにとって、全ての条件が望ましい依頼内容なのだ。


 長期依頼であるが故に、常にヘンリーの隣にいられる。

 彼女にとっては、本来過酷な長期間の労働がメリットになる。


「そうか、あたいが今度は他の子供を守る役目に……」


 無論、そんなことは彼女自身がよく分かっていた。


「……ほんと、何から何までありがとな」


「アタシは長期間で低賃金な仕事の依頼を出しただけよー? でもま、感謝するというのなら遠慮なく受け取ってあげる。太陽の女神よりシビラちゃんの方が偉いという常識を理解する権利をあげるわ!」


 最後の最後に、シビラ以外なら特大の不敬罪になりそうな言葉を放ち、誰よりも身近な女神はからりと笑った。

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