ケイティの真の目的と、攻防
産まれた瞬間の記憶を持っている者はいないだろう。
母胎で目が見えないまま、ここはどこだろうと自我を持つ例など聞いたことがない。
それは普通のことだ。
記憶を保つほどの自我が芽生えるには、かなりの時間がかかる。
それも当然のことだ。
数年前の記憶だって、詳細には思い出せない。
確かに十歳頃の自分はいた。
だが、印象に残った出来事を除けば、殆ど忘れている。
あの頃にも、毎日があった。
ジャネットに剣術を教えてもらった日。
――その前日に続いていた日常。
ヴィンスに勝った日。
――その後にも続いていた日常。
日常は、殆ど覚えていない。
だが覚えていないだけで、確実に俺はその日その場所にいたのだ。
もっと幼少期になれば、ますます記憶が遠のく。
エミーが初めて泣いた日。
ジャネットが初めて本を読んだ日。
ヴィンスが孤児をナメる年上のガキに殴りかかった日。
だが……見つからない。
いくら探しても、出ないのだ。
俺が、いつアドリアに来たのか。
俺の、実母の顔は――。
「――ラぁセルゥゥゥッ!!」
「っ!?」
高価そうな椅子が、その重さを主張するように倒れて轟音を発した。
回想の深海から無理矢理引き揚げられた俺は、急いで現状を把握する。
が、その前から声が届く!
「ディアナを守れえええええええッ!」
焦燥感を露わに立ち上がり、武器を抜いたシビラの声が室内を揺らす!
ディアナ。
守る。
その名前が呼ばれた理由は分からない。
だが、普段余裕綽々としている女神がここまで切羽詰まった声で叫ぶのは、本能的にヤバいと感じる!
考えるより先に、俺の体が動いた!
「《ウィンドバリア》!』
座るディアナを抱えるように大声で叫んだ瞬間――俺の体が後方へと吹き飛ぶ!
が、そのまま壁に激突することはなかった。
「大丈夫ッ!?」
「ああ、すまない!」
俺を後ろで支えたのは、俺に次いで復帰したエミーだ。
視線を戻すと、部屋の上部に攻撃魔法が三つ並んでいる。
ジャネットも気が付いたようだ。
そうだ。
何を呆けているんだ。
ここは帝国城で、目の前にいたのはケイティ!
俺達三人は、揺さぶりをかけられたのだ。
よりによって……孤児に対し、親のことでッ!
「……」
一方、ケイティはウィンドバリアの干渉を至近距離で受けたため、その反動で俺から離れた壁際まで吹き飛ばされていた。
その表情は、無。一切の身動きを取らず、まるで心ここにあらずといった様子で、僅かに風を受けて髪が揺れるのみ。
「……何故」
ケイティは、シビラだけを見ている。
その口から一番重要な疑問が出た。
「何故、ディアナを狙うと」
「勘よ」
「……勘?」
「ええ。ずっと今この場で仕掛けてくるなって警戒していた甲斐があったわ」
予想外の返答に、やはり表情を崩さないケイティ。
一方、愛の女神による第一撃を凌いだからか、シビラの方には少し余裕が見て取れる。
「最初に『帰れ』だなんて、まるでラセルが解決できないように煽るんだもの。そこの反骨トンビ男子が解決するまで動かなくなることぐらいは分かったわ」
「……」
今回、ここバート帝国で解決した一つの問題。
剣闘士ディアナと、カジノのオーナーであるエーベルハルト伯爵。
ディアナと主の関係が正常に成り立っているのなら俺も手出しはしなかったが……そうではなかった。
結局この女は、弟を人質に取られていただけ。
働く理由でさえも、捏造されていただけ。
不要になれば、トカゲの尻尾として切り落とされるだけ。
知り合って間もない俺でも、納得できるはずがなかった。
「あんたの計画通り晴れてディアナは綺麗な姿となりましたとさ。めでたしめでたし」
俺は包帯の剣闘士ディアナを助け、その回復魔法で全ての怪我を治した。
本来の彼女は背の高い美女であり、巷で言われているようなイロモノの剣闘士ではない。
「治ったら急にあんたが接触して来るんだもの。驚くわよねー」
「……」
「随分と早いとか、用事ができたから来たのかとか考えたわ」
金髪の女神が、無言で言葉を聞く。
その先に何かしらの答えがあるように。
ケイティの意思を汲み取ってか、シビラはいきなりぶっ込んできた。
「ところでアタシ、思ったのよね――」
演説中のシビラは空いた左手でディアナの頭に手を乗せた。
「――綺麗な赤だなって」
「ッ!!!」
シビラのその言葉を聞いた瞬間、頭の中で点と点が繋がっていく!
そうだ、ケイティは未だに赤い色を集めていると、以前シビラの姉プリシラから聞いた。
赤い色に関しては、『赤い救済の会』略して赤会が、『赤き魔神ウルドリズ』を喚ぶ為に集めていたと考えていた。
ところがケイティは、ウルドリズを倒した後も赤いものを集めていた。
その理由は不明だが――つまり俺は最初から、ケイティが『赤髪の剣士』を奪うための前準備として、まんまとこいつの思い通り動いていたってわけか。
……クソが、何もかもあいつの手の平の上かよ。
助けたことを後悔はしないが、利用されたことに関しては腹立たしい限りだ。
だが、そんなケイティには誤算があった。
まだシビラを侮っていたことだ。先手はプリシラの忠告を覚えていた、
完全に、今の一手は『負け』になる流れだった。
だが、こっちの女神はそれを読んでみせたのだ。
先手は、シビラの読み勝ちだな。






