ジャネット:今の先にある、正解のない世界を目指して
短い曲を歌い終えると、マーカスさんは厳しそうな顔をふっと緩めて微笑んだ。
「良い音色でした、歌っていて気持ち良いものでした」
「こちらこそ、弾き甲斐があります。深く響くいい声ですよ。あの吟遊詩人、演奏は上手いけど火酒の飲み過ぎで声は嗄れ気味でしたから」
僕の軽い冗談にマーカスさんは瞠目すると、天を仰ぎながら大声で笑い出した。
初見では厳しそうな人かと思ったのだけど、人は見た目じゃ分からないものだね。
「いやはや、恐縮です。あの曲の山場で裏返る歌声が懐かしくなりますな」
明るく話すマーカスさんの周りに、先ほどまで様子を窺っていた子供達が堰を切ったように集まった。
「すげー! マーカス先生、めっちゃ歌うまいじゃん!」
「どこかで歌ってたの? ねえ、ねえ~」
「お、おや……」
あまり子供達に懐かれ慣れていないのか、頭を掻きながらも「子供の頃、合唱団に」と話すマーカスさんに、皆が沸き立つ。
それから何度か質問を答えていくうちに、子供達は子供達で別に集まって、調子外れの鼻歌を披露し始めた。
格好良いと思える姿を見たなら、その真似をしたくなるのは子供の道理だね。
「……」
ふと視線を扉の方に向けると、こちらを覗き見るような姿が見えた——かと思ったら、すぐに体を引っ込めた少女。
あれは……。
「……ルナ、か」
僕の小さな呟きにマーカスさんが気付く。
誰も居ない、開け放たれた扉の方に視線を向けながら、その少女が何をしていたかを察したのだろう。
「あの子も、混ざりに来ればいいものを……。『太陽の女神教』の恩恵を受け、その力で生きる我々にとって、太陽の女神様は皆の心の拠り所であり共有できる仲間意識でもあります。なるべく一緒に信仰していただきたいのですが」
「無理矢理にでも、とは言わないのですね」
「太陽の女神様は、教義を守るように言いながらも『教義を守らない者を排除してはならない』と明確に書いています。それに反することはできません」
その章は、確かにある。
それも物語形式で神々の話が始まる前ではなく、教義として人に教えを説く前に書かれてある。
しかも、教義を一通り説いた後に、もう一度書かれているという念の入れ様だ。
シビラさんを知った今なら、その理由も分かる。
人が協力し合うように、しかし神を理由に人を排除しないように。
女神教に準じているだけで、偉くなるわけではない。
自分を、誰かを見下げるための道具として使うような真似は絶対に嫌——というのが、あの人の考えなのだろう。
つくづく、人間以上に人間味に溢れた女神である。
マーカスさんの内面を考究すると、決して表面的に厳しいだけではなく、ルナの将来性を見据えてそう言っているのだろう。
「あら、私はそういう子がいてもいいと思うけどねえ」
僕とマーカスさんの会話に、ミラベルさんが混ざってきた。
ミラベルさんはマーカスさんの同年代のようで、いつも目は細く閉じられている。
「ミラベル、そうは言いますが彼女もずっと今のままとはいかないでしょう。いずれ大人になった時、苦労するのはあの子です」
「受け入れてもらえる人のところへ行けばいいだけと思うのよお。その人一人居れば、周りに誰も協力者がいなくても大丈夫になるぐらいの」
ミラベルさんは、比較的容認派か。
どちらの主張にも、それなりの道理があるように思う。
現実の問題は、計算問題のようにはいかない。
知識があっても正解に辿り着けない問題は、いくらでもあるのだ。
「ちょうどその話なら、一つ実例があります」
「ん? 何かしら」
「ラセルは、ルナを受け入れて仲良くなっています。ほら、黒い髪の」
「……」
ラセルの存在が意外だったのか、ミラベルさんは数秒、細い目を見開いて無言のまま僕を見る。
「どうかなさいましたか?」
マーカスさんが、何故か反応しなくなった疑問ので声を投げかける。
「……あ、ああいえ、いえ……何でもないわ。ルナを受け入れた人がいたなんて驚いてしまってねえ」
「受け入れる人が現れたら、と言ったのはミラベルでしょうに」
「そうだったわねえ」
ミラベルさんは、きっと希望的観測だったんだろう。
もしかしたらミラベルさん自身、本心では『暗黒勇者』などという主張を受け入れる人が現れることを、全く考えていなかったのかもしれないね。
ラセルの真実を知ったら、どう思うかな?
——正解のない問いを考えるのも、面白い。
既存曲の楽譜を再現するのには正解があるが、楽曲を作る人にとって楽曲の優劣に確実な正解はないように。
人の在り方も、正解というものはやっぱり分からない。
そういった、正解のないものを求めることは、知識を重ねた先にあるものだ。
その世界は、きっと面白い。
再び、僕はハープを指で鳴らしていく。
音楽に興味を持った幾人かの子が、再び黙して僕の前に座る。
まだ練習段階だから観客を取るにはほど遠い演奏だけど、興味があるのはいいことだ。
案外、この子達のうちの誰かが将来吟遊詩人になるなんてこともあるかもね――。
「食事ができたわよ〜」
外の庭で走り回っていた少年達にフレデリカさんが声を掛けると、賑やかな声が止んで、程なくして建物の中に足音が聞こえてきた。
もうそんな時間なのか。
集中して練習しているうちに、時間を忘れてしまったようだ。
久々に読書以外で集中した。
ハープ、奥が深くて実に面白い。
外の子をマーカスさんが、部屋の子をミラベルさんが見ていたため、部屋の子達はミラベルさんに先導されて食堂へ向かう。
走る男の子達を窘めながら、フレデリカさんがこちらの部屋にも来た。
「料理中にずっと聞こえていたわ。いつの間にそんな特技ができたの?」
「いつの間に、と言われると昨日触ったばかりです。敢えて言うなら、本の知識による特技ですね」
「……ジャネットちゃんを見ていると、『実践や経験は、知識に勝る』という考え方の一つにも、ちょっと疑問を持っちゃうわあ〜……」
「いえ、その考え方自体は間違っていませんよ」
僕は確かに、何も知らない人よりはハープに詳しい。
吟遊詩人より、音感がある可能性も高い。
だけど、スムーズに演奏するのは、本当に難しい。
どこを弾けば何の音が出るか、分かっていても反応できないのだ。
逆に、楽譜も読めず音程も取れなくても、順番さえ暗記すれば誰でも演奏できる。
それは、反復練習が知識よりも、演奏という分野において優れていることを意味する。
……まあ、ある意味この暗記こそが『知識を覚えた』とも言えるわけだけど。
「次に弾く弦が分かっていても、体が反応しない。実際に持ってみるまで、ここまで難しいとは思いませんでした。皆が出ている間は、しばらく練習してみようと思います」
「ふふっ、料理中の楽しみができたわね」
フレデリカさんが嬉しそうに笑うと、マーデリンが食卓からフレデリカさんを呼んだ。
そうだね、話し込んでいないでそろそろ食事に行こう。
フレデリカさんの料理は、ここに来て一段と美味しくなったように思う。
料理をする環境が整っているのかもしれないし、売っている食材が王都ならではのものなのかもしれない。
エミーが聞いたら羨ましがりそうだね。
食事中、少しマーデリンと目が合ったが、結局会話をすることはなかった。
何か言いたいことがあるなら遠慮なく言ってくれてもいいんだけれど……あちらの気持ちを想像すると、そう簡単にはいかないか。
いずれ、向こうから積極的に話してくれるようになる……といいな。
ラセル達は強い。
ダンジョンに潜ったら最下層まで行くだろう。
なら、帰って来るのは晩か、もっと遅くなるかもしれない。
折角だし、昼からも集中してハープの練習をしよう。
そう思って一旦ケースにしまった楽器を持って、朝と同じ部屋に移動したのだけれど——。
「あら、練習熱心ね! アタシも残って、ジャネットちゃんの練習を見ていた方が有意義だったかしら?」
そこには何故か、シビラさんがいた。
というか、ラセルとエミーも帰ってきていた。
王都のダンジョンに潜ったにしては、二人ともあまり表情が良くない。
シビラさんの、先ほどの言動も気になる。
どうやらあまり面白い探索ではなかったようだけど……それはそれで、理由が気になる。
これは、少し話を聞いてみる必要がありそうだね。






