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思いもよらない人が、実は一番の救世主かもしれない

 宵闇の女神シビラの、美しくもどこか可愛らしい指立てウィンクポーズが決まった。

 ……というタイミングで、黒い羽をスッと消して、こちらに歩いてきた。


「今の、良かったでしょ」


 自分で言ってしまうあたりが良くないと思う。


「……良かった良くなかったで選ぶのなら良かったとは思うが、なんで戻ってきた。階段上がると思ったぞ」


「その前に、やっておきたいことがあったのを忘れてたわ」


 一体何をするんだと思っていたら、シビラは手元の剣でドラゴンの方を指さした。


「さくさくっと、胸のところを解体してもらえるかしら?」


「……まあ、構わないぞ。《エンチャント・ダーク》」


 俺は二重詠唱で闇属性を手元の剣に纏わせると、竜の皮膚の隙間に剣を入れていく。


「……それ、威力凄いわよね。こんなに強い闇付与は初めて見たわよ」


「ああ、ウィンドバリアと同じ要領で、頭の中で無詠唱の同じ魔法を重ねている。二重詠唱だ」


 シビラは俺の答えを聞くと、驚きつつも顎に手を当てて、考え込むような表情をする。

 ……よし、大幅に切り裂けたな。


「ねえ、アタシ思うんだけどさ」


「なんだ?」


「それ、練習して回復魔法と攻撃魔法を同時に二重詠唱できるようにしたらとんでもなく強いわね」


「お……恐ろしいことを考えるなお前……!」


 攻撃魔法を一回撃つ度にパーティー全員を全回復する闇属性の魔卿とか、どうやって倒せばいいんだよ!

 俺のことだけどな!


「で、解体したけど今から何をするんだ」


「ドラゴンスレイヤーにとって、ある意味では一番の報酬。特に今回はファイアドラゴンってのがいいわね」


 シビラは血が溢れ出すドラゴンの中に手を突っ込み、何かを引き当てると剣を身体の中に挿して鋸のように往復させた。

 そして竜の体内から取り出したものを見て、俺は納得した。


「竜討伐の報酬の一つ、ドラゴンステーキ。だけどファイアドラゴンは特性上焼けないのよ。だから、生のままいただくわ。その中でも一番がこれ」


 大きな竜の姿からはとても想像できないほど、シビラの掌に乗った小さな肉塊。


「竜の心臓よ。これを生のまま食べるの。劣化が早い上にファイアドラゴンは冷凍不可能。討伐者限定ってぐらいの貴重品で、私も食べたことないわ」


 そしてシビラは半分に切り分けて、塩を軽くふりかけた。

 半分をこちらに寄越してきたけど……食べるとなるとそれなりに量があるし、あと何より生の心臓ってのはさすがにグロテスクだ……。

 

 俺が少しためらっていると、シビラは思いっきりかぶりついた。

 宵闇の女神っていうより顔のいい山賊頭って感じだぞお前。いや元々そんな感じだったな……。


「……ん〜っ! 甘い!」


「甘い?」


「果物とかの甘さとは違うんだけど、なんていうんだろ、バターの焼き菓子みたいな?」


 半信半疑になりながら、その甘いとかいうよく分からない例えの肉片に塩をふりかけたという目の前の血にまみれた肉片を、半信半疑で囓る。


 ——は!?

 なんだこれ、滅茶苦茶うまいぞ!?


 弾力はありつつも意外と歯で簡単に噛み切れる。シビラがニヤニヤしながら見てきているが、反応する気も起きない。

 なるほど、これはかつてのドラゴンスレイヤー達が一番の報酬と言ったのも分かる。


「……完食してしまった。……えっ」


—— 【宵闇の魔卿】レベル7《ダークスフィア》 ——


「レベルが上がった……」


「そうよ。それが本当の、一番の報酬。魔力と生命力の塊である心臓を食べると、何一つ戦いに参加していなくても強くなるわ」


 シビラの言ったことをぼーっと考えながら……はっと気付いて正面の顔に震える指をつきつけた。

 その指の前には、腰に手を当てて、腹立つぐらいのドヤ顔をした山賊女神。


「お、おまえーっ!」


「【魔道士】レベル、21ですって! 上がったわねアタシ!」


 こいつ、ドラゴン討伐の心臓経験値、ごっそり半分持って行きやがった! ていうか21って高っ!? ここ入る前は8だっただろ!

 ほんとこの女神いい性格してるなおい!

 そういうちゃっかりしてるところ、いかにもシビラらしいけどな!


 ……まあ、シビラに教えてもらわなかったら、竜の心臓を食うなんて発想自体なかったし、そもそも俺が闇魔法なんて使えなかったわけだから……対価としては安いぐらいか。


「とりあえず、その肉ぐらいは職業ジョブ変えた分のお礼ってことにしておく」


「うんうん、分かってるわね。こちらとしては、【宵闇の魔卿】になってくれたこと自体が報酬みたいなもんだけど」


「そうなのか?」


「ええ。その辺りの『宵闇の誓約』に関する話は後でするとして——」


 シビラは、竜の大きな死骸を手の甲で叩いた。


「——村のヤツ総出で、この素材持って帰ってもらうわよ!」




 それからというもの、アドリア村の閑散とした冒険者ギルドは一騒動だった。

 なんといってもシビラが、ファイアドラゴンの鱗を一つ持ってきたのだ。その残りの巨体が村の近くにあるというのだから、騒ぎもするというもの。


 情けない話だが、村の男からは好かれていない俺だけなら、ここまで人を動かせなかっただろう。

 しかしシビラの美貌とカリスマ性のようなものを持ってすれば、男達を動かすなど容易い。

 本当に、顔は滅茶苦茶いいからな……田舎の男は美女には逆らえない、悲しい性を持った生き物なのである。


 シビラの出した提案。運んだ人には、部位一つにつき報酬あり。

 俺の剣によって切り分けられたファイアドラゴンを、村中の人間で必死になって往復で運ぶ。

 洞窟の地図は最初の段階で把握したし、第二層ということもあって比較的近い。

 報酬目当てで何度も往復を頑張る人たちが後を絶たず、晩になる前には全ての部位がギルドの裏へと運ばれた。




 それから再びシビラは、魅力的な提案を出した。

 その結果が、村人達をみんなで集めた大食事会である。

 ファイアドラゴンの心臓以外の部位も、当然のことながら火で焼けない上に凍りもしない。

 下手に腐れば毒だし臭う。

 だから、腐る前に皆で食べた方がいいという方向にしたのだ。


 田舎の村どころか上位職のベテランでも到底食べるチャンスの巡ってこない、ファイアドラゴンの生肉無料食べ放題。

 お陰様で、夜の村は祭りの時のように大盛り上がり。

 そして同時に、シビラの人気も村に来て間もないのにうなぎ登りだ。

 どこまでも、ちゃっかりしたヤツである。


 冗談で女神様と呼んだ赤ら顔の男もいるが、お前そいつほんとに女神だからなー。

 まあ不敬とかそういうのは何も考えなくてもいいぞ、だってシビラだし。

 あとシビラも「そうよアタシは女神よ!」とか肯定するんじゃない。ほんとに太陽の女神教から隠れる気あるのか、宵闇の女神。


 俺がそんなシビラを見ながら肉を食べていると、一人の男がやってきた。

 こいつは……今朝の受付の男じゃないか。


「どうした?」


「ああ、なんていうか、その、な。ラセル……お前に謝っておこうと思って」


「……は?」


 謝る? いまひとつピンとこないが、一体何のことだ……?

 第一、朝に態度が悪かったのに、今戻ってきたらっていうタイミング、あまりに早すぎて分からないぞ。


「俺は……というか、俺達は、ラセルのことを、えーっと……なんて言ったらいいかな、金魚の糞みたいに思ってたんだよ」


「謝りたいのか喧嘩売りたいのかどっちかにしろ」


 こいつもいきなり藪から棒だなおい。棒じゃなくて蛇が出てきてるぞ。

 俺が当然勝手に表情が動くぐらい不機嫌になったことを読み取った男は、すぐに慌てて否定をした。


「ああいや! すまない、違うんだ本当に。……お前はヴィンスの後ろにいて、ヴィンスは他の男とよく喧嘩していたからよ。そんで、まあ……お前一人、すごい嫌な手でも使って、実力もないのに取り入ってるんだろうって」


「取り入るって、そんなつもりでつるんでたんじゃないぞ。第一追い出されたしな」


「そうなんだよ。ずっとラセルは【聖者】だったから、腕っ節もない男だと思っていた。ヴィンスの威を借りてる、そんなヤツだと」


 ……おいおい、それじゃあまるで……。


「でも、お前自身の力が、まさか竜を倒せるほどだとは。俺達はラセルのことを随分と勘違いしていたみたいだ。お前がそんなに強いんじゃ、そもそもヴィンスに誰かを殴らせる指示とか出してるわけがねえ」


 うわ……マジか。


 どうやら俺が村で嫌われていた理由、ヴィンスのせいらしいぞ。

 妙に嫌われっぷりがおかしいなと思ってたが。


 ……ということは、そうか。

 俺の原初の記憶である部分……つまり認識の前提条件が違ったのか。


 俺がかつての村での扱いを思い出していると、更に男は驚くべきことを言ってきた。


「むしろヴィンスの方が、エミー狙いで最初にラセルに声をかけたのかもな」


「なに?」


「エミーってラセルの後ろにいる時とか視界の外だと、ラセルばっかり見てたぞ。当然それってラセルだけ分からないのも無理ないけどな。まあ教えようとする野暮なヤツはいなかっただろうが、こうなっちまえばむしろ教えない方が不誠実だよなあ」


 その情報は、あまりにも衝撃的だった。


 ヴィンスが俺を連れ出したんじゃない。

 俺のことをずっと見ていた『エミーを狙って』ヴィンスが声をかけて、俺とヴィンスがつるむようになったからエミーが間に入ってきたのか。

 だとしたら、完全に順序が逆だ。


「ちなみに黒い髪についてはどう思う?」


「まあ、女神教だと黒い髪って好きじゃないヤツ多いが、髪が黒いだけで悪人だとは思わないだろ」


「……そうか……そうだったんだな。謝罪を受け入れよう。明日から冒険者として、よろしく頼むぞ」


「おう、もちろんだ!」


 ああ……本当に、強くなって良かった。


 力がなければできないことというのは多く、同時に力がなければ証明できないことも多い。

 今日は本当に、俺の全てが変わったと実感できる日だ。

 全てを諦めそうになった昨日の俺に言ったところで、とても信じないだろうな。




 宴も終わって皆から声をかけてもらい、さすがに疲れて孤児院で眠った。

 今度は深く深く眠りに落ち、全く夢を見ることはなかった。


 眠りから覚めると、もう朝を大幅に過ぎた時刻になっていたらしい。

 相当疲れていたんだな……随分と寝過ごした。


 昨日と同じように食堂に行くと、当たり前のようにシビラが肉を焼いていた。

 あまりにも馴染みすぎていて、元々ここに住んでいたような気さえしてくるな。


「遅かったわね、おはようラセル。お客さん来てるわよ」


「ああ、おはよう。……客?」


 シビラが顎で指した先には……ブレンダとその母親がいた。


「まさかラセル君が、あの【聖者】様だったなんてびっくりです……。あ、昨日はお世話になりましたわ」


「昨日、じゃないよな……?」


「いえいえ、昨日です。ほら、素材。私も元気になったから、運んだんですよ。三往復もしちゃって、いい臨時収入になりました」


 驚いたことに、ブレンダの母親はずっとダンジョンでの運搬をしていたのだ。

 っていうかあの足場の悪いダンジョンで、階段もあったのに、竜の大きな肉体を持って三往復? この人実はかなり強いんじゃないか?


「病み上がりなんだから、無茶はするなよ?」


「子供がいると、お金はいくらあっても足りませんから。ほら、ブレンダもお礼を言って」


「ありがとう、ラセルさん!」


「おう」


 ブレンダがお礼を言った後、俺のことをじーっと見る。

 ……なんだ?


「ラセルさん、服変わった?」


「あ、そうだったな」


 すっかり忘れていたが、真っ白のローブからほぼ黒のローブに替わったのだ。

 まあ、回復魔法専門から闇魔道士に変わったのだから、そういう俺の性質に合っているのかもな。


「黒鳶色よ!」


 後ろから、料理を持ってきたシビラが満面の笑みで答える。


「黒鳶色……かっこいい! 似合ってるね!」


「そうか?」


「うん! 『黒鳶の聖者』様だね!」


 黒鳶色の服に『闇魔道士っぽいな』と思っていたところへ、黒鳶色を否定することなく、はっきりと聖者だと付け加えられた。


 思えば……ウィンドバリアなくしてファイアドラゴンを討伐できただろうか。

 エンチャント・ダークで決着をつけるような判断も、回復魔法がなければ絶対にできなかっただろう。


 俺があの時、踏みとどまれたのはブレンダのおかげだ。


 あの日、全てに失望してスレてしまった俺が、泣いているこの子を助けなかったら、今頃俺はどうなっていただろう。

 そしてブレンダにとって、門番の目をかいくぐって街の近くまで救援を呼びに来るのは、どれほど勇気が要っただろう。

 俺とブレンダの邂逅は、奇跡的な確率によってもたらされた。その結果、【聖者】と【魔卿】の力を同時に行使できる今の俺がある。


 もしかしたら、この子が俺にとって一番の救世主なのかもしれないな。


「ブレンダ、ありがとな」


「え?」


「あー……いや、名前つけてくれて」


 さすがにそこまで、考えを明け透けに教えるのは恥ずかしいものがある。だから咄嗟に誤魔化して、名前のことを指した。

 しかし……黒鳶の聖者か。なかなかいい名前だと思う。

 本当に、ブレンダのおかげで俺は、宵闇の誓約にふさわしい黒い服を纏ったままでも、聖者として堂々と立てるのだ。

 俺を『黒鳶の聖者』にしてくれたのは、半分がシビラで、もう半分は間違いなくブレンダだ。


「うんうん、ブレンダちゃんネーミングセンスいいわね! 黒がかっこいいって分かってるあたりも最高よ! 今なら『宵闇教』になるチャンス!」


「てい」


「きゃん!」


 俺は調子に乗って宗教勧誘しかけたシビラの脳天にチョップをかます。

 ほんと油断も隙もないな!


 頭を押さえて涙目になった、昨日の神々しい姿すら幻かと思うようなシビラの顔を見て、小さな笑いが自然と湧き出てきた。

 ああ……もう笑うことを忘れていない。

 俺は自然に笑えている。


 窓の外は、雲一つなく晴れ渡っている。

 今日もいいダンジョン探索日和だ、疲れた帰りに降られると『マジで気分最悪』だからな。

 そんな俺の気持ちに同調するように、天気を確認した女神がこちらを向き、ニーッと勝ち気に笑って親指を立てた。


 ——さあ、俺の新しい一日を始めよう。

一章終了です、ここまで読んでいただきありがとうございました。

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