知識として知っていても、実体験は想像を遥かに超える
視界に入る王都セントゴダートの壁は、圧倒的な存在感を放っていた。
傾いた夕日に照らされて真っ赤に燃え盛るような、王都を守る壁。これを同じ人間が作り上げたとはとても思えないほど、高い壁が途方もなく横に広がっている。
何が凄いって、その壁の遙か向こうに城の屋根が見えることだ。
一体どれほど大きいんだよ……。
「うわー、うわー、すっごい何あれすっごい!」
エミーは見たままの印象そのまま口にしていたが、その語彙力の少ない反応に呆れることもできないほど、俺も同じ気持ちだった。
ただひたすら、凄いとしか言いようがない場所だ。
「大きいとは知っていたが、実際に目で見て感じるのは全く違うな……」
「そうだね、本では実物を見る体験を得られなかった。確かに『実物を目にして体験するべき』という知識はあったけど」
ジャネットも同意しながら、窓の外の王都を眺める。
「あっそうだ! ね、ね、ジャネットはまだ海見てないよね?」
「海? そうだね、見てないかな」
「じゃあ一緒に行こうよ! セイリスで見たけど、ホントに凄かったんだから!」
そうだな、俺も海を実際に見た時は、実物を目にすることの印象の違いに驚いたものだ。
「それは興味があるね、是非一度行ってみよう」
「うんうん! 砂浜も綺麗でね、シビラさんに選んでもらっ――」
エミーはそこで言葉を突然止めると、俺に一瞬視線を向け、中空に視線を彷徨わせ……ジャネットに視線を戻した。
「……行くなら二人で行こうね」
「え? どうしたの急に」
一体どんな結論が出たのか分からないが、何故か二人での旅行を考えていた。
まあ、いいんじゃないのか? 俺抜きで喋りたいこともあるだろうしな。
ちなみにシビラは事情を察しているのか、楽しそうに何度も頷いていた。
何なんだ一体……。
「そろそろ門の近くね。シビラちゃん、私が応対するから」
フレデリカの言葉でシビラが頷き、俺達の口の前で指を立てる。
分かった、大人しくしておこう。
他の街から移動してきた商人の列に並び、窓から見る光景が壁のみで覆い尽くされた辺りで街の兵士が扉を叩いた。
フレデリカが馬車の扉を開けると、そこには三人の制服姿の男女。うち一人の女性がフレデリカの顔を見て目を見開いた。
どうやら顔見知りらしい。
「フレデリカ様でしたか、お連れの方が多いのは珍しいですね。タグをよろしいですか?」
兵士は特殊な板状の道具を持ち、それを首からぶら下げて腰で支えるようにしている。
「ええ」
フレデリカは懐から俺達が持っているものと同じ冒険者ギルドのタグを取り出すと、そのボードにかざした。
「はい、ご提示ありがとうございます。他の方もよろしいでしょうか?」
どういうものなのかは分からないが、それで信頼が得られるのならいいだろう。
シビラが頷き、俺とエミーのタグに触れる。その後、一人ずつかざした。
「これは……! 優秀な護衛の方ですね。王都へは初めての方も多数いらっしゃいますが、ご関係をお聞きしても?」
「今年十六になったばかりの、アドリアでの孤児院出身の子たちなんですよ」
「なんと、孤児院からこれほどの子たちが……喜ばしいですね」
仲良さそうに話した後、女性は俺の方に向き直る。
「エミー様、ラセル様、ジャネット様。ここより先は、王都セントゴダートです。入るには事前に行動記録に同意いただくこととなりますが、よろしいですか?」
聞き慣れない言葉が出たな。
「行動記録とは何だ?」
「同意いただけると皆様の行動が記録され、例えば犯罪に巻き込まれた場合などに街の兵士がすぐ助けに動けるようになります」
なるほど。
誘拐や行方不明などの際に、助けやすくなるということか。
……同時に、これは俺達が行動記録により犯罪をした場合はすぐに捕まえられるぞ、という意味でもある。
「僕からも質問。……それは、僕達の能力を、その行動記録の同意から操作することは可能?」
「それは不可能です。仕組み上、こちらから観測することはできても、個人の能力に干渉することはできません。この情報は王城内で厳重に管理され、他の者が見ても分からないようになっております」
「ふむ……魔力の受信はできるが、送信はできない。そしてプライバシーの保護と位置情報の暗号化をやっていると。セキュリティの側面から見ても、王城内で管理しているのなら信用はできる、か」
ジャネットが呟き、兵士達が顔を見合わせる。
その反応を見て、嬉しそうにフレデリカが笑った。
「ね、優秀な子でしょ」
「……孤児院出身者なんですよね? ああでも、フレデリカ様の生徒ですか」
「良い先生です」
ジャネットが肯定し、率先して板に指を置いて『行動記録』の同意をした。
それを見て、俺とエミーも板に指を押し当てる。
これは、俺とエミーとヴィンスの『ジャネットが大丈夫と言うのなら大丈夫』という慣習だ。
頼りっきりであるが、ジャネット自身が望んでいることでもある。
シビラとマーデリンは、恐らく過去に同意したことがあるのだろう。
「はい、ご協力ありがとうございます。それではフレデリカ様、女神のご加護を」
「ええ、女神のご加護を」
最後に女神教らしい挨拶をすると、扉が閉まり窓の外で兵士が手を挙げた。
それからすぐに、馬車が動き出す。
「さあ、いよいよ王都よ!」
シビラが宣言したと同時に、厚い壁でできた門のトンネルを抜け、窓から光が差し込む——!
田舎であるアドリアの村で育った俺にとって、ハモンドの街は本当に賑やかな都会だった。
頑強な建物が所狭しと建ち並び、道には人が必ず歩いている。
街全体の把握すら大変で、別行動するとすぐに迷子になりそうだな、と思いながら街を見て回っていた。
王都の中は、更にその比ではないほど人が溢れかえっていた。
それだけではない。
道に並ぶ店の一つ一つがハモンドの一番の店ぐらい大きく、店内には頻繁に人が出入りしているのだ。
何より、馬車が二台通れるような広い道が中心にあり、その間には魔道具の街灯がずらりと並んでいる。
薄暗くなった街を、明るい光が照らしていた。
更に道の脇にも所狭しと光が溢れており、マデーラと比べても圧倒的にこちらの方が明るい。
城下町は大きい、とは知っていた。
だが、ハモンドで驚いていた俺にとって、それを遥かに凌駕する街などとても想像できるものではなかったのだ。
「これが、セントゴダートか……!」
あまりの光景、街そのものが持つ存在感や迫力に圧倒される。
発展していると一言で表すには、とても言葉が足りない。
「すっごくきれい! 何もかもきらきらしてる!」
「王都がここまでとは、驚いたね……!」
エミーとジャネットも、俺と一緒に窓に貼り付いている。
「いいわね三人とも! 反応満点よ!」
田舎者の俺達を実に愉しそうにシビラが笑ったと同時に、馬車が止まる。
「見てるだけじゃなくて、体験しなくちゃね。降りるわよー、迷子にならないように注意して」
シビラが降りて早々に支払いを済ませた後、皆で降りる。
馬車は次の目的地があるのか、すぐに動き出した。
「シビラちゃん、支払いもしてくれたの? ありがとう!」
「いいのいいの、フレっちが一緒に来てくれただけでアタシ達大助かりなんだから! 本来はもっと質問攻めなのよね」
「そうなのか?」
「来た目的とか、滞在期間とか、そういうのね。女王に会いに来た、なんて言おうものなら即逮捕よ」
「んなこと言うのはお前だけだ」
「じゃあ、愛の女神を殴りたいな、テヘ! みたいな?」
「もっと危ねーよ!」
俺達のやり取りをフレデリカがクスクス笑いながら見ていたが、女王に会いに行くのはマジだ。
まあ、愛の女神を殴りたいのも本気で思ってるだろうな。
「それじゃ、まずはフレっちを目的地に連れて行く方向で」
それに同意すると、シビラとフレデリカが先導して街を歩くことになった。
なるべく固まって互いを確認しつつも、どうしても周りの街に気を取られてしまう。
店の窓にはセイリスの中心街にあったような綺麗な服屋が何件も並び、反対側にはレストランやバーが何軒も並ぶ。
何が凄いって、その広い店内に満席近くまで人が入っていることだ。賑やかすぎて、隣の席の会話すら他の会話に混ざって聞こえなくなりそうだな。
こんな人数、住む場所あるのか?
完全に田舎者丸出しだろうが、こんな光景を見慣れてしまうのだから王都住まいは感覚が全然違うのだろうな……。
ふと壁を見上げると、壁の頂上付近には大きな宝珠のようなものがある。
何かしらの仕組みだろうか。
それからしばらく歩くと、人の少ない場所に出た。
王都と言えどもさすがに全ての区画に人が溢れているわけではないらしく、中心を離れると人がまばらに見られる程度にまで落ち着いた。
その道の途中……何故か、黒いマントを着けた子供が道を塞ぐように現れた。
黒く長い髪を伸ばした少女だ。
「何だ?」
俺が声を掛けると、突如そいつが元気よく叫びだした。
「ハッハッハ! 黄昏の暁に月光を受けて輝く、我こそは闇の女神の祝福を受けし漆黒の影の剣士、暗黒勇者! 貴様、良い色だな! 我が右目の奥が疼くぞ……!」
道を塞いだ少女は、いきなりそんな変なことを宣いながら手に持った黒い箒の柄で俺を指した。
な、なんだこの意味不明なヤツは……!?
「おおっ、君すごくいいセンスしてるわね! アタシ気に入っちゃったわ!」
何故かそのガキに、ものすげえ嬉しそうに絡んでいくシビラ。
いや、そうだよな。お前はこういういかにも意味不明なヤツが好きだよな!
何故ならお前が意味不明の化身シビラだからな!
「そうそう! ラセルが真っ黒いの、かっこいいよね!」
そのシビラに乗っかるエミー。
いや乗っかるな。大体誰だそいつは。
「あらあらまあまあ、元気ね〜。元気なのはいいことだわ」
受け皿の広いフレデリカは、このガキのボケを受け止める気満々だ。
いやあんた太陽の女神教だろ、いいのかよ今の。
「こんなに若いのに、暗黒勇者なんですか。凄いですね」
マーデリンはここに来て一番変なことを言いだした。
勇者なわけないだろ、こんなガキのごっこ遊びを本気にするんじゃない。
この美女天使、まさかの天然ボケだ。
いや、俺は一体いつまで突っ込みを続ければいいんだ……。
う……頭痛、が……。
(……《キュア・リンク》)
あまりに一度に考えすぎて、自分の頭が本気で破裂しかかってしまった……。
誰かこの状況を助けてくれ。
「……ああ、今のラセルか、ありがとう」
後を向くと、ジャネットがこめかみを揉みながら溜息を吐いていた。
俺の横に来て、呆れ気味に少女に声をかける。
「……黄昏は夕暮れの色で、暁は朝。どちらも月明かりより太陽の方が強い時刻だよ。後、外で闇の女神だなんて大声で言わない方がいい。何より君、その箒はどこか掃除中なんじゃないのか?」
少女は突如はっとした表情をすると、慌てて建物の中へと走って行った。
「このパーティーってずっとこの調子なの? ラセルも大変だね」
ジャネットは俺を振り返って肩をすくめると、シビラ達の方へと歩いて行った。
ああ、ジャネット……。
今日ほどお前の存在を心強いと思ったことはないかもな……。






