宵闇の鳶は、爪を出した鷹と共闘する
今、自分の目の前で起こっていることが理解できない。
俺は一体、何を見ているんだ?
「勝てなくては意味がない、その通りの問題だ。つまり……勝てばいいだけ。特別な知識がなくても分かる、実に簡単な問題だ」
まるで昼下がりのコーヒーを注文するように、気楽に呟く。
気負いも、気合いも、気力すらも感じられないほど淡々とした声。
それでいて……何よりも、ジャネットらしいと思える声。
ジャネットが杖をケイティに向け、浮かんでいる魔法が全て同時に光る。
炎、氷、雷、石。
全ての攻撃が、ケイティに向かった——!
「《サンダーショット》!」
ケイティが、石槍を素早く回避しながら雷を相殺する。氷の槍がケイティのフレアスターに刺さり、減衰した威力のフレアスターへと、ジャネットの万全な状態のフレアスターがぶつかった。
経過を見れば、結果は見るまでもない。
「ぐっ……!」
ケイティが押し負けて、初めてその美しい眉間に皺が寄った。
あの、【魔卿】レベル51であり、本物の『愛の女神』であるケイティが、ジャネット一人に一歩譲った……!
こんなことを仕込めたヤツは、一人しかいない!
「シビラ、お前はここまで計算していたのか!?」
高揚感と共にその銀髪の女神の方を向くと、振り向いた顔は……驚愕だった。
「知らない……アタシ、知らないわ。確かに、助けに来るよう言った。でも、交互詠唱までしか教えてない。あんなの、知らない。使ったことない」
交互詠唱は俺でも出来る。だがジャネットが今やっている四重詠唱は、シビラも知らないことだというのか!?
思わず口に出した言葉を、シビラは否定した。
「違うわ」
「……何だって?」
展開についていけず、聞き返すしかない。
四重詠唱だっただろ?
「ラセル、気がついてないの? あの子はまだ、口頭で詠唱していない」
シビラの言葉に、驚きすぎて言葉を失う。
そうだ。ジャネットは現れてから、一度も『魔法の名前』を喋っていない。
「……は、はは……ははは! あの子、最少で五重だわ! 信じられないけど、信じるしかない! だって、仮にエミーちゃんとマーデリンが魔法を使っても、四つ同時の無詠唱は有り得ない。確実に二重以上の無詠唱が発生している!」
ケイティが、シビラの声に一瞬こちらを向き、すぐにジャネットの方へと視線を戻した。
そこにはもう、余裕は勿論のこと、驚愕も憤怒もない。
ただ、口を引き結んで真剣な表情のままジャネットを見る、戦士としての顔があった。
その姿は雄弁に、ジャネットが『対等な敵』であると認識したと語っている。
「——《フレアストーム》!」
ケイティが叫びながら、階段を駆け上がる!
咄嗟に俺は防御魔法を張り、シビラの隣に行くが……今度はウィンドバリアが破られなかった。
階段には石の壁が次々に現れては、ケイティに拳で破壊されていく。くそっ、あいつ武闘家は武闘家でもただの基礎職低レベルじゃないぞ!
次々現れる石の壁を全て壊し終え、ケイティが一番上の段を踏んだ。
ジャネットは足元をまだ杖で指している。間に合わない!
「《ストーンウォール》」
「捕った——ッ!?」
ケイティが、ジャネットよりも素早く手を伸ばした絶体絶命の瞬間——なんと、ケイティは痺れて一瞬動きを止めた。
「ぐぅッ——!」
その僅かな隙に、エミーが動いた!
そうだ、隣にはずっとエミーがマーデリンに剣を突きつけて足の下に置いている。
盾をジャネットの間に滑り込ませると、白く光らせてケイティを吹き飛ばした!
壁に激突するかと思いきや、ケイティはかつてのアドリア最下層フロアボスのように壁に足から着地し……そのまま壁伝いに走り出した。
「《フレアスター》!」
「《コキュートスアイシクル》」
ケイティの魔法に被せるように、更に凌駕するように巨大で密度の濃い氷の槍が現れて、一撃でケイティの炎の球を消しながら壁に刺さる。
ケイティは壁を走りながら、続けて魔法を放った。
「《サンダーア——ぶっ」
と思ったら、突如現れた石の壁に衝突して落下し、着地直後に距離を取った。
「ふっふーん、油断大敵よぉ」
一連の連係攻撃はケイティとジャネットのやりとりだったが、最後はシビラだ。ケイティの動きを予測して、ジャネットの方を向いていたケイティがぶつかるように石壁を発生させたのだ。
油断もなにも、あのタイミングとターゲットへの集中力で回避することは熟練者でも困難だろう。実に嫌らしい攻撃である。
全くお前ときたら、本当にいい性格してるよ。
ケイティはシビラの方に一瞬視線を向けるが、それでも今はジャネットに警戒している。
「……不発? 《フレアストーム》」
ケイティが思った疑問は、俺も感じたものだ。確かにウィンドバリアを一瞬で消滅できるほどの魔法を使ったはずだ。
ただ、結果は二回連続でバリアを維持している。
俺はその瞬間、奇妙なものを見た。
「何だ、雪?」
こんな洞窟に、突然雪のようなものが一瞬見えるとは。
俺の呟きに対して、ジャネットは小さく答える。
「魔卿のフレアストームと、賢者の二重ダイヤモンドダストは、後者の方が強いらしい」
ダイヤモンドダスト……? 恐らく話から察するに、ケイティのフレアストームと同じような空間全体を覆う魔法の、冷気を操るものを使ったと言うことか?
そして、だ。
確かに今、ジャネットは無言だったのに『二重詠唱』と言い切った。
間違いなく、無詠唱を重ねがけしている。
それに、先ほどからの戦い方一つ一つを見ても、その能力の凄まじさと賢さを感じる。
石の壁を出していた時、ケイティに負けるのではないかと思った。
違うのだ。ジャネットは、そんな温い頭の鍛え方をしていない。
あいつは足元から石壁を出すようなポーズをしながら、無詠唱で雷の魔法を重ねてケイティにぶち込んだのだ。
更に、あの氷だ。
いくら有利属性とはいえ、あのフレアスターを軽々と破ってしまうほどの魔法。
本来なら必要ないであろうことが分かるほどの過剰威力だが、まるで心を折りに行くかの如く、常軌を逸した威力で使ってみせた。
——『控え目』の擬人化みたいな子だった。
小さな少女は、いつも一人で本を読んでいた。
皆の後ろを付いていき、誰よりも口数が少なかった。
剣も持たないし、虫も殺さない子だった。
聖女になりたかった少女は、成人後も回復魔法をメインで使い、攻撃をヴィンスとエミーに譲ることも多かった。
そういう控えめな賢者。それが俺達のジャネットの認識だ。
だから、知らなかった。
一番親しい俺達三人でも、誰も知らなかった。
そして、話したシビラでさえも予測できなかった。
本気で『攻撃』に転じたジャネットは、ここまで強いのか——!
「決定打に欠ける。ラセル」
ジャネットが、俺の名を呼ぶ。
「下の階を全部埋めて。余裕があったら壁と、あと上も」
過去の戦い方を教えたことはあったが、ジャネットはその比較的無茶な方の戦術を、遠慮なくリクエストしてきた。
「闇魔法で塗ればいいのか?」
「僕が教えたんだ、できるだろ?『黒鳶の聖者』」
無表情のまま紡がれた、その言葉。
短いが、さらりと凄まじい無茶振りを言っている。
だが、その確信を持った言葉は、俺と、何よりもジャネット自身を信じていなければ出なかったものだと理解できた。
そうか、ジャネット。
お前は、再起できたんだな。
本当に……凄いヤツだよ。
——ならば俺は、こう応えよう!
「当たり前だろ、お前も『黒鳶の聖者』を作り出したその一人なんだからな!」
俺が叫び、ケイティを睨む。
今日はいい物が見られたよ。
あのジャネットが、ここまで積極的になってくれている。
言葉に言い表せないほどの高揚感だ。
だがな、俺も驚きっぱなしでばかりではいられない。
ジャネットにも、俺の本気を見てもらわないとな!
「覚悟しろよ。《ダークスフィア》……」
(…………。……《ダークスフィア》)
俺が魔法を放った場所は……階段の中間地点。
次に、誰もいない崖の部分。
ケイティは俺の様子を見て少し訝しんだが、徐々に違和感に気付いたらしい。
だが、その時にはもう遅い。
「《ダークスフィア》、《ダークスフィア》、《アビスサテライト》」
「こんなッ、無茶な、闇の使い方が……ぐッ!」
「《サンダーショット》」
足を動かそうとした瞬間、ジャネットの電撃が飛ぶ。
その隣でエミーが、マーデリンを圧迫するように胸を押しつぶした。そうか、マーデリンは魔法妨害をかけようとしていたか。助かる、エミー。
ケイティは自然と、倒れたヴィンスとアリアのところへと引いた。
その二人を見捨てるわけにはいかないのと、そこにいたら俺が攻撃しないことを見越してだろう。
だが、そこまで追い込んだともいえる。
「ラセル、そのまま聞いて。マーデリンに——」
俺はシビラの言葉に頷くと、互いのポジションを確認した。
アビスサテライトは既にケイティの上空に待機してある。上に逃げることは難しいだろう。
俺はその間に、魔法を撃ちながら階段を上り、エミーの隣で同じように膝を突く。
「まさか——ぐっ、ぎィッ!?」
ケイティがシビラの作戦に気付いた瞬間、シビラはなんとケイティを無詠唱ストーンウォールでいきなり打ち上げた!
受け身の取れない状態で、自然とアビスサテライトの攻撃範囲に入り、背中にダークアローを叩き込まれてしまう。
予想外の位置からの攻撃だったのか、対応できずに地面に叩きつけられた。
油断大敵。だが、誰でも油断してしまうタイミングというものはある。その瞬間を狙って捻じ込んで来るのが、シビラの本当に恐ろしいところだ。
俺の女神がくれた、僅か一瞬。
俺にとっては、長すぎるほどのチャンスだ!
「《キュア》!」
(《キュア》!)
俺はエミーの下に敷かれているマーデリンに、全力の治療魔法を使う!
その成果を確認しようとした瞬間、不気味な声が鳴り響いた。
「——奥へ」
ぼそりと呟いた声。
ここに当然あるべき姿と、有り得ない立ち位置。
ハモンドのダンジョンメーカー、魔王が現れた。
倒れ伏した、勇者を守るように。






