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ジャネット:溶けないはずの氷すら、女神は溶かしてみせた

 話は、まだラセルがハモンドへ出向いていない頃にまで遡る。


 ラセルとエミーが模擬戦をしている間、僕は再び一人で静謐な地下の冷気を肌で感じる時間に戻る。

 一人でいること、それ自体は村に戻った直後と変わらない。だが、あの二人が上にいると分かっているだけで、これほどまでに僕の精神が穏やかになるとは。

 ずっと独りで本の虫と化して文字を咀嚼できれば、それだけで自分の閉じた世界は完結するものだと思っていた。ところがどうやら、二人以上に人恋しい心が僕本来の姿らしい。

 そうだ、一人で誰にも話せない知識など溜めていても、何の意味もないからね。

 自慢したがりなのだ、きっと。僕が魔卿寄りの賢者になった本質は、そういう部分にあるのかもしれない。


 もう一つ、楽しみが増えた。


「ファイアボールの、ボールの部分で頭の中ファイア。頭の中でボールの時に口がファイア。左右の空間を意識して……どう?」


「ファイア、ファイア。ボール、ボール。《ファイアボール》ファイア」

(《ボール、ボール、ファイア、ファイア。ボール《ファイアボール》


 僕が言われたとおりにやると……なんと、火の玉が左目の前と右目の前に現れた。

 何だ、この特殊な発動方法は……術士としての常識が変わってしまうじゃないか。


「こんな裏技があるなんて。凄い……ちょっと驚きすぎて、どう反応していいか困りますね……」


「……いや、むしろアタシの方が今のとんでもない習得速度に舌巻いてるんだけど。練習というかぶっつけ本番みたいな感じで成功したじゃない」


「知ることが出来なければ、無能と同じですよ。知識をありがとうございます、シビラさん」


 僕は、深く深く頭を下げた。


 今、シビラさんから様々な教えを請うている。二重詠唱での威力増加は教えてもらったが、交互での詠唱もできるとは……。


「慣れてくると、話しながら、使ったりも、できるわよ」


 シビラさんは、今度は喋りながら火の玉を四つ出しては消してを繰り返した。頭の中で使い慣れると、ここまでできるのか。


「練習しておきます。そして……きっと、ラセルが使えるのですね。回復魔法と攻撃魔法が使える。なるほど、ラセルは本当に強くなったね……」


 僕が一抹の寂しさを覚えながら考えを呟くと……目の前の知識たっぷりの女性はきょとんとして、僕の頭を小突いた。

 何? 変なこと言ったかな。


 シビラさんは首を傾げる僕に、くすりと笑いかける。


「謙虚とは聞いたけど、そこまで行くと大概よね。ラセルは『魔力の呼吸』とやらを教えてもらったことも含めて、ジャネットちゃんの術士としての能力をもうず〜っと褒めてたわよ」


「ラセルが……? そりゃあ、教えたことは多かったけど」


「だって、もう、おかしいんですもの。回復魔法と攻撃魔法を使えて、交互詠唱をラセル以上に成し遂げてしまった子が目の前にいるのに」


「——あ、そうか」


 参ったな……すっかりその気がなくて考慮してなかった。

 両方使えるのが、【賢者】じゃないか。


 僕が頭を掻いていると、シビラさんが少し顔を真剣なものにして聞いた。


「ねえ、ジャネットちゃん。あなたは回復魔法をどこまで使えるの?」


「エクストラまで」


 僕の返答に、目頭を押さえながら「ほんとこの子ときたら……」とぶつぶつ呟いて頭を振った。


「いろいろ言いたいことはあるけど、ジャネットちゃんにはこう言っておくわ」


 続いて、僕の両肩に両手を乗せる。

 その目は真剣そのもので、ラセル達を助けた誠実さすら感じる。


「ジャネットちゃんは、ラセルの聖者という職業ジョブに対して自分が賢者となったこと、欲が強かったことに自己反省というか、重く考えすぎている部分がある」


「それは、事実です」


 僕にとって、その部分は自分の中で確定しているのだ。

 ラセルの献身に……心の奥底にあるものに負けた。

 だから聖女になれなかったのだ。


 僕の返答に対して、シビラさんは寧ろ肩にその白く細い指が食い込むほどに力を込めた。


「——いいえ、事実じゃないわ」


 そして、シビラさんは話したのだ。

 僕にとって、最も重要な『知識』を。


「【勇者】にとって重要なのは、仲間。物理攻撃力、防御力、魔法攻撃力、回復力。バランスを取るように、いろんな上位職が周りに来る。だけどね……【聖女】がいた場合は少し違うの」


「……聖女がいると、勇者パーティーが変わる?」


「そうよ。だって聖女の回復魔法って、一人で全員を全回復、一人で全員を治療、更には蘇生までもするのよ? そんな人がパーティーにいたら、他のメンバーの回復魔法なんて、おまけじゃない? だから勇者も聖騎士も、回復魔法っておまけみたいなものでしょ」


 それは、確かにその通りだ。

 聖女が隣にいたら、賢者は回復魔法を使うよりも攻撃魔法を使った方が、生存率が高い。

 攻撃は、最大の防御。その力が強ければ強いほど、役に立つだろう。

 歴代勇者パーティーは、聖女がいた場合には賢者がいなかったのか。


 ……いや、待ってくれ。

 じゃあ、僕の職業ジョブは?


 その浮かんだ疑問を解消するように、シビラさんは答えを示した。


「理解したわね。あなたは本来『【魔卿】以外有り得ない』条件だったの。だってアタシ、知らないもの。【聖女】の隣に回復術士が現れる例。だからアタシは驚いたわ。つまりね——」




 そして。

 女神の選定式以来ずっとあった、僕の最後の氷が溶けた。


「——あのクッソ朴念仁な癖に腹立つぐらい聖者しちゃってるラセルの隣で、【聖女】の僅かな欠片を魔卿の中に捻じ込めたこと。それこそが、ジャネットという女の子の一番の本質なのよ」


 


 ……すっかり、勘違いしていた。

 勇者パーティーの構成バランスなど気にしなかった。聖女ばかり見ていたから気付かなかったんだ。

 聖女がいたら、賢者はいらない。だから同じパーティーで同時に授かることはない。

 シビラさんでなければ……歴代勇者パーティーを見てきた女神でなければ、気付けないことだった。


 ケイティに、魔卿寄りの賢者と言われた時……僕は自分の本質的な欲の深さに、自己嫌悪で苦しんだ。

 魔卿側が大きかったが故に、そちらばかり見てしまっていた。




 だけど、違ったのだ。


 僕の、本質には——【聖女】があったのだ!




「その上で」


 シビラさんは、僕の肩から手を離して、さっきまでの雰囲気を解いてからりと笑った。


「ジャネットちゃんが、あなた自身の【魔卿】を認めること。そうね……両方使えるけど攻撃特化したという『魔卿寄りの賢者』ではなく、聖女の欠片に勝手についてきたオマケの魔卿を使う、『魔卿寄りの聖女』ぐらいに思っちゃいなさい!」


 あっけらかんと言ってのけた理屈に、笑いそうになってしまう。

 最上位職を、オマケ扱い。全く考えたことがなかった逆転の発想だ。


 でも、僕の本質が聖女で、ラセルがいたから授かったのが残りの魔卿部分だというのなら、その理論は実にしっくりと馴染む。


「エクストラヒールまで使えるのなら、あなたはもう十分に回復術士として一流! 気負うことは何もないわ! だから——」


 最後に、シビラさんからお願いをされた。

 その話に頷くと、シビラさんは僕を少し心配そうに見つめた後、両腕で抱きしめた。

 身体を包む暖かさは、宵闇という言葉が似合わないほど太陽のような暖かさに溢れていた。




 これは、最後のチャンス。

 僕が僕であり続けるために、必要なことだ。

 決して安全なことじゃない。


 でも、もう大丈夫。


 何故なら僕にも、ラセルを——『黒鳶の聖者』を救った女神様がついているのだ。

 誰にも溶かせないと思った氷を、溶かしてくれたのだ。

 凍り付いていた足に、血が通った感触。後は、僕が前に進めばいいだけだ。


 さあ、行こう。再び立ち上がるために。

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