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精神が摩耗しないという、最大の後ろ盾と共に

 第七層より下には、さすがに誰もいなかった。

 魔物の出現をシビラが俺に伝えて、俺がそれに対応するのみ。

 ブラッドタウロス、レッサータウロス、ゴブリン、そしてダンジョンスカーレットバット。

 どの魔物も注意さえしていればやられる心配のないものだ。


 現在、第十層まで潜ってきた。順調なペースではある。

 それでも、やはり襲い来る魔物を延々倒し続けているというのは、精神的にも疲れてくるものだ。

 肉体の疲れはともかく、精神面は回復できない。アドリアでも嫌というほど思い知らされたからな。


「さすがに深くなってきたし、牛でも食べて景気入れるわよー」


 シビラがそう言うや否や、ちゃっちゃとブラッドタウロスの腕を切り落として焼き始めた。


「それ、焼けるものなのか?」


「あんたも普段……ってほどでなくとも、牛肉ぐらいは食べてるでしょ?」


 食べたことがないわけではないが、想像がつかないな。

 そんな俺を余所に、さっさと腕を削ぎ落としながら串に刺すシビラ。あの串は石の魔法か。

 そして地面にそれらを並べると、無言で火を出して焼き始めた。


 魔物をナイフで捌きながら、あぐらを掻いて肉を待つ女。これを女神だと言おうものなら教皇が泡吹いて倒れるな。

 残念ながら、本物の女神だ。


「ほら、焼けたわよ」


 表面に焼き色をつけた程度のものに塩を適当に振り、串を一本渡してくる。


「もっと火を通した方がいいんじゃないのか?」


牛頭タウロス系は半分生でも表面に火が通っていたら大丈夫よ。ボア系はちょっとまずいけど」


 その知識も判断も、実に女神らしくなくて付き合いやすい。

 本当にただの冒険者先輩以外の何者でもないな。


 ……ああ、そうか。

 こういうヤツが隣にいるから、俺はダンジョン探索を継続していられるのか。


 精神的な疲れというのは、魔物との戦いによる緊張の部分が大きい。

 だが、それ以上にこの空の見えない鬱屈した環境で戦い続けることが、本来なら精神的に疲弊するのだ。


 それでも気が滅入りきらないのは、こうして集中力が切れかかっているタイミングで休憩を取るような判断をする、隣のこいつがいるからなのだろう。

 今も俺は、『シビラが休憩するということは、もう魔物は周りにいない』という判断で全て任せている。

 そのことを確認する必要も感じない。


「タウロスってやっぱいけるわねー。ラセル、もう一本いっとく?」


「そうだな、もらおうか」


 英気を養う、とはよく言ったものだ。

 まさに今の俺達にぴったりの言葉だな。


 決して空腹に苦しんでいたわけではないのに、食べ終わった頃には余裕が出てきたのがはっきりと実感できた。

 シビラはこれを見越していたのだろうな。


「うっし、行くわよ。中層のフロアボスはエミーちゃんからも聞いてるだろうけど、ぶっちゃけ解説はお察しなので、アタシがジャネットちゃんから聞いた相手の動きを話すわ」


 そして俺は、シビラからジャネットの話した内容を聞いて、中層フロアボスの扉を開けた。

 ちなみにその説明を聞いた後だと、エミーのフロアボス解説は本当に適当だった。




 目の前に現れた中層フロアボスは、今まで戦ったブラッドタウロスの強化版程度にしか一見感じられない。

 だが、じっくり観察したジャネットが見つけた特徴が一つある。

 それが『フェイントを使う』ということだ。


 力任せに動く上層と、その動きが洗練され出す中層。

 そしてジャネットの話によると、下層の魔物は全て『頭を使う』らしい。


 だが、そういうことならむしろ好都合。


「《エンチャント・ダーク》」


 俺は、闇魔法の光を相手に見せつける。

 頭を使う魔物なら、俺の剣の攻撃力も理解するはずだ。


「踏み込んで来いよ。その瞬間、切り落としてやる」


 フロアボスは今までの敵と違い、両手で斧を構えてじりじりと詰め寄ってくる。

 俺はそいつに剣を見せつけながら——左手を前に出した。


「《アビスネイル》!」


 黒い爪が地面から現れ、警戒していたフロアボスを一気に貫く!


「悪いな、こんなところに時間をかけるつもりはないんだよ」


 俺の魔法を受けてふらつきながらも、フロアボスは一歩踏み込んできた。

 さすがに一撃では倒せないか。


 ヤツが一歩踏み出した瞬間に、足元から再び黒い光が漏れる。

 二段仕込み、トラップだ。


 攻撃を連続で受けたことに焦ったのだろうか、動きが荒くなってきた。やれやれ、頭脳が働くというのも考え物だな。

 なりふり構わず斧を振り下ろした一瞬の隙を突いて、俺はその両腕を切り落とす。

 更に剣を振る勢いそのままに一回転し、続け様にフロアボスの腿に深い傷を入れた。




 ……エミーが、俺に怪我してほしくないから聖騎士になった、と聞いた。

 それ自体は嬉しいものだし、少しの気恥ずかしさもある。


 だが、俺もエミーには出来れば痛い思いはしてほしくはないし、守りたいという気持ちがないわけではないのだ。

 ……その同じ気持ちの強さが、エミーが俺に向けるそれと比べて圧倒的に負けていたということではあるのだが。


 ジャネットによると、エミーが、盾を持ち上げられないぐらい、聞いたこともないような痛そうな悲鳴を上げたらしい。


「俺の幼馴染が随分と世話になったようだな。その礼だ——《ダークスプラッシュ》!」


 膝を突いたフロアボス目がけて、俺は二重詠唱による至近距離の闇の飛沫を全て命中させた。

 高密度の防御無視魔法による、暴力的なまでの圧倒的なダメージ。フロアボスは一度痙攣すると、そのままゆっくりと前に倒れた。


 ……ま、こいつがエミーを直接怪我させたわけじゃないだろうが、それでも怒りの分の八つ当たりはしてもいいだろう。


 ボスの死体を見ながら考えに耽っていると、シビラが手を叩きながらやってきた。


「ここまではアタシの助けとかなしでいけたわね、結構結構。さて……フロアボスは上層ならすぐ復活するけど、中層以下はせめて一日以上空けないと普通は戻って来ないわ。つまり、ヴィンス達は下にいない。どうする? ここで待つ?」


「俺が待つと思うか?」


 俺の答えを予想していたように、特に驚いた様子もなく肩をすくめて笑うと、シビラはフロアボスの角を切り離し始めた。


 身体的にはもちろん、魔力も当然のように残っている。

 この二つは、俺ならではの能力によるものだ。


 だが特に重要なのが、精神的な部分が全く疲弊していないのだ。むしろ高揚感すらあるほどに感じる。


 まだレベルは上がっていない……が、恐らく下層から先に進めば、蓄積している分も含めて、確実に上がる。

 ならば、やることは一つ。


「もっと上を目指すぞ」


「実際に目指すのは下だけどね」


 俺とシビラは、下層直前とは思えないほど緊張感のないやり取りに軽く笑い合うと、次の階段に目を向けた。

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