詳細に思い出せなくとも、長い時間ずっと一緒だったことだけは憶えている
翌朝、俺はある程度の準備を終えて、ジェマ婆さんに予定を話す。
すっかり元気を取り戻した、というより以前よりもパワフルになっている気がする婆さんは、俺の背中を力強く叩いた。
「カッカッ、律儀だねえ! あたしに気にせず、どーんと自由に旅してくれていいんだよ」
「そうは言うが、シビラも連れて行くからな。あいつはアレで妙にガキ共に好かれる性質というか、セイリスでもマデーラでも孤児院の子供はすぐに懐いたからな」
「ありゃあ才能だけじゃなくて、経験さね。相手の好きそうなことをすぐに判断する眼によるもんだわ。確かに、元気が随分溢れた子らを相手するのは疲れそうだねえ」
なんてことを言いつつ、疲れなど感じさせないような笑顔の皺を深くする老婆。その目尻には笑い皺が寄り、子供を見るその口元には年齢を感じさせない健康的な歯が映える。
やれやれ。この婆さんも、この様子じゃまた寿命が延びてそうだな。
「それじゃ、シビラ。そろそろ行くぞ」
「分かったわ。あ、ちょっと待ってて。……ほいっほいっ、うりうり〜っと」
シビラはずっと隅っこにいた子供を選んで、ぽんぽん叩いて服をわしわしと揉むと、自分の胸に抱き寄せて頭を撫でた。
引っ込み思案なヤツを選んで、気に掛けたのだろう。
触られた子供は、シビラを見上げる。
「みんなと仲良しになってくれると嬉しいわ」
「う……うん、がんばる……」
「偉い! 頑張れるって言える子は、それだけで偉いわ! きっとあなたは素敵になるわよ。みんなもこの子と仲良くしてあげて!」
最後にそいつの頭を撫でて、俺の方に来た。
シビラの対応を見て、ジェマ婆さんも名残惜しそうに呟く。
「あんたみたいなのがいてくれると、こっちとしちゃ大助かりなんだけどねえ」
「アタシはラセルと一緒にいるから、ラセルが戻ってきた時にはいつでも相手してあげるわよ。それまでは、あの子達をお願いね」
「元々あたしの仕事さ、任せとくれ」
最後に戻ってくると約束して、俺達は孤児院を出た。
……ところでこいつ、俺が移動するところには必ずついてくるようになるのか?
いや、少し考えれば【宵闇の魔卿】と一緒に行動するのが目的なんだから、それは当然のことか。
婆さんの期待の眼差しが痛い。
やれやれ、参ったな。さっさとやることやって、無事に戻ってこないとな。
日光の照りつける庭には、ジャネットとエミーが一緒に本を読んでいた。
「あ、ラセル。行くんだね」
「ああ」
「そっか、頑張って」
エミーとは、既に随分と話した。最後の方のエミーは、もう何か喋りたいが何を喋ったらいいか分からない、といった様子だったからな。
別れの挨拶はこれぐらいで十分だろう。
「ラセル」
「ん、どうしたジャネット」
反面、ジャネットからの言葉は多かった。
「ケイティが誰かは、見ればすぐに分かる。アリアと恐らくもう一人も分かるはず。近づいてきたら、必ず距離を取って。……匂いも気になる、抱擁された場合は治療魔法を。危険を感じたら、常にシビラさんに相談」
「……ああ、分かった。忠告感謝する」
「ん」
ジャネットも、俺のことを心配してくれている。手短ながら、最低限の役に立つ話だ。
そして、最終的にはシビラに聞くようにと。きっとジャネットには、シビラの頭の回転の速さが俺以上に分かっているのだろうな。
この二人は、ケイティと既に知り合っている。だから連れて行くことはできない。
そのことに一抹の寂寥感を覚えつつも、仲が良さそうに座る二人の姿を見ると、失った時間を取り戻しているようで穏やかな気持ちになるな。
……子供の頃には、まだ背の低かった木。
それがすっかり伸びて、二人が本を読みやすくなるように大きな木陰を作っている。
かつて、幼いジャネットが一人で座っていた場所。
剣を打ち合わせた日々。
記憶から薄れた日もあれば、色褪せない日もある。
あまりにも長い間一緒にいたから、そういった過去の出来事そのものが多すぎるのだ。
それぐらい、一緒にいた。
それが当たり前だったから。
——ヴィンス、お前はそれを全て忘れたというのか。
いくらジャネットが分析したとはいえ、まだ何も分からないに等しい状況。
エミーとジャネットをここまで崩壊させた相手。
ケイティ。謎の女。
どういう相手なのかは分からないが……少なくとも、簡単に心を許していい相手ではないことだけは分かる。
過去を振り返るのは、終わりにしよう。
ここからが、俺の本番だ。
大きな木から視線を外すと、目の前にはすっかり見慣れた女の顔。
理解の及ばない相手に対して、この女神の取った一言。
「どんなツラしてるか拝むのが楽しみね」
そんな、緊張のかけらも感じさせないことを宣った。
……ああ、でも。
ある意味とても、こいつらしいなと思える。
「そうだな。それぐらい気楽に構えるか」
今から緊張していても仕方がない。
ヴィンスが誑かされた美女がどんなものか、見させてもらおう。
幸か不幸か、残念美女は見慣れているからな。そう簡単に見た目でやられることはない自信はある。
「とりあえず、エミーとジャネットをあんなにして、呑気にヴィンスがケイティを侍らせているのなら」
俺は自分の手の平に、拳を打ち当てる。
「一発ぐらい殴る権利、あるよな」
そんな俺の【聖者】らしからぬ言葉を、シビラは当然『女神』らしからぬ勝ち気な笑顔で肯定した。
これにて7章終了です。7章ではジャネットに起こったことと、彼女の内面を書きました。
引き続き8章を書いていきます。






