その過去が良いものだけでなくとも、悪いことばかりでもない
「それじゃ、始めさせてもらうわよ」
ヴィクトリアは何の気負いもなさそうに宣言すると、鍋蓋もとい盾を前に出し、踊るように軽くステップを踏む。
俺は両手で構えた剣で、ヴィクトリアの隙を窺う。手か、若しくは胴に当てられないかと剣先を揺らしていると……手に強めの衝撃。
ヴィクトリアは、鍋の蓋で剣の先を叩いてきたのだ。比較的強い力で、こちら側に剣が打ち返される。
油断していると、この盾の攻撃で剣を取り落としかねないな。相手は【剣士】の職業を持つ者。見た目以上の力があるのだろう。
一歩踏み込もうと片足を前に出した瞬間、ヴィクトリアは俺が前進する前にバックステップをした。判断が早い。
——対人戦に、相当慣れているぞこの人。
攻めに回った方がいいと判断した俺は、自分の剣を打ち落とされる前に、ヴィクトリアの盾を弾きに行く。
こちらも木剣という大した武器ではない分、向こうも鍋蓋という大したことのない盾なのだ。
叩き落とすことは不可能でないだろう。
俺の初撃は、横からの打ち払い。
強めの攻撃を、ヴィクトリアは……上に逸らせるように打ち上げた。
咄嗟の判断で、一歩引く。正面を見ると、ステップを踏んでいたヴィクトリアが片足を踏み込んだ状態で、止まっていた。
「今のですぐに回避に動いたの、凄いわね。なかなかできる判断じゃないわ」
「……そりゃどーも」
今の一瞬の判断ができなかったら、確実に討たれていた。
やれやれ、とんでもない農家の母親がいたもんだ。本格的に認識を改める必要があるな。
それから数度剣を振るうも、全てが打ち返されるというより、受け流されていた。
パリイ、しかも相当な熟練度だ。
「でも、こればかりだとエミーちゃんの参考にはならないだろうから……!」
距離をそれなりに置いて攻防を繰り広げていたヴィクトリアが、ここで動く。
最初のように鍋蓋で俺の剣を強く弾きながら、大きく踏み込んで来た!
一歩引こうと思ったところへ、顔面に鍋の蓋の裏面が迫る。
盾で殴りに来るか!
すぐに攻撃の意図を読んで、ヴィクトリアの腕を払うように剣を振る。盾を俺に伸ばした腕を強く打ち払えば俺の勝ち。
だが……何も当たらない。というか、盾で殴られた感覚が顔にない。
何が起こったか理解できないまま、鍋蓋の裏が右側にずれる。……俺が剣を持つ方に回避したのか? 有り得ないだろ。
視界が晴れ、原因を探ろうと思考に意識を取られた刹那——後頭部に鋭い痛みが走る!
「いっ……!」
気がつくと、目の前には驚いたエミーの顔。
……いや、待て。ヴィクトリアは!?
「うんうん、まだまだ私もイケそうね〜」
と、のんびりとした声が後ろから聞こえる。
そこには、先程まで俺を盾で攻めていたはずのヴィクトリアの姿。いや……今の一瞬で、後ろに回ったのか。全く目で追えなかったぞ。
「バックラーの基本は、攻撃を防ぐことと逸らすこと。だけど、この取り回しのいい盾は相手を殴ることはもちろん、視界を塞ぐことも有効な戦術なの。こんなに小さなお鍋の蓋でも、目の前に迫ると巨大な壁でしょ?」
「驚いたな、その一瞬で横に避けたのか」
「……ううん、違うよラセル」
ヴィクトリアの代わりに、エミーが返事をする。
彼女は目にしたものに対して瞠目したまま首を振り、驚くべき答えを言った。
「ヴィクトリアさんは、ラセルの目の前に鍋蓋を押しつけた瞬間……ラセルの頭の上を飛び越えたんだよ」
「——は?」
一瞬、何を言われているか分からなかった。
「だから、飛び越えたの。頭上を越えて、頭上で盾を上じゃなく、横にずらすように引いたの。だからラセルの攻撃は当たらなかったんだよ」
エミーから見てそうだということは、本当にヴィクトリアは俺を軽々と飛び越えたのだろう。
それを悟られないように、鍋蓋で視界を塞いだ。
それを可能とするとは……やはりこの人、とんでもない身体能力だ。
確かにエミーなら可能だろうが、逆に言えばエミーとヴィクトリア以外では何の参考にもならない戦い方だな……。
その技術と身体能力に対して感慨に耽っていると、手を叩く音が聞こえてきた。
見ると、ジャネットとシビラがそこにはいた。
「いやー、お姉さんクッソ強いわね! やーいやーいラセル負けてやんのー」
「いやお前やってみろよ、あれは避けられないぞ」
やいのやいのと言いながら、一緒に来ていたブレンダがヴィクトリアの方へと駆け寄る。
そろそろいい時間か。
「無理を言って済まなかったな、いい練習になった」
「そう? こんなおばさんでも役に立てて良かったわ」
「いや十分すぎるぐらい若いぞ、お世辞でもなく。現役でも良さそうなぐらいだ」
言った直後、失言だったか、と思い直した。
ヴィクトリアは一瞬言葉を呑み込んだ後「うーん、そうねー……」と呟く。
やはり、何かしらの理由があるんだな。あまり触れてほしくはない部分なのだろう。
「……そういえば、ラセル君は話に聞いたところ、ヴィンス君にパーティーを追い出されたのよね。あっ、勝手に話を聞いちゃってごめんなさい」
「いや、いい。大体どいつから漏れたか分かるからな」
ただし、あとでチョップは増やす。
「ヴィンス君のこと、どうするの? 許すとか、許さないとかね。もう一度仲間になるかとか、痛めつけて償わせるとか……」
そのことを聞いてきたヴィクトリアは、いつになく真剣だ。
「そうだな……分からない、としか言えない。会った時にどういう気持ちになっているか、全く分からないからな……」
……記憶を失っている可能性が高いことは、伏せておこう。
余計な心配をかけたくはない。
「そう。それじゃあ年長者からアドバイス。後悔しないような選択をしてね」
「それは、経験則か」
「ええ」
今度は、淀みなく答えた。
「いろいろ思うことはあると思う。でもね、取り返しが付かない選択ってあるの。私はそれを間違えちゃったから。後悔するような記憶ってね、ずーっと消えてくれないの。……楽しかった記憶も沢山あったはずなのに」
薄れていく記憶を手繰り寄せるように、ヴィクトリアは庭の木を見上げながら目を細めていた。
風に揺られた髪が、立ち尽くす彼女の姿をはかなく際立たせる。
取り返しが付かない選択による、後悔か。
その記憶がどのようなものかは分からないが、相当つらいものだろうな。
「……あら、ごめんなさい。こんなこと、あまり若い子に話し込むべきじゃなかったわね」
「いや、むしろ礼を言おう。聞かずに後悔するより、聞いていた方が絶対にいいからな」
俺は一瞬ジャネットの方に視線を向けた。
完全に、先日の請け売りだ。
ジャネットは意図を察して、苦笑しつつ肩をすくめていた。
「それに、後悔しながらもブレンダをここまで育ててきたんだろ? そうとは分からないぐらい、いい育ち方している。こいつがいたら、すぐに楽しかった記憶だらけになるさ」
俺の言葉に、ヴィクトリアはブレンダと目を合わせて……勢い良く抱き上げた。
突然持ち上げられて驚きつつも、楽しそうに笑うブレンダの声が、孤児院の庭に明るく響く。
両腕を背中に回したヴィクトリアの表情は、幾分か柔らかくなっていた。
「そうね、うん、楽しい思い出が減っても、どんどん増やしていけばいいのよね。……ふふっ、なんだか逆に慰められちゃったわ。これも聖者様の力かしら?」
「どうだろうな」
精神面の傷は、【聖者】の魔法でも癒やせない。
それでも、俺みたいなヤツの言葉がこの母子の助けになれるのなら、悪い気はしないな。
……後悔、か。
きっと再会は近い。
その時俺がどのような判断をするのか。まだ、俺自身にも分からない。
自分で制御が利くかどうか、分からないからな。
だが……その瞬間。
あのヴィクトリアの表情を思い出せたら、もしかすると違う選択を取れるのかもしれない。
俺はきっと、あの顔を忘れないだろう。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/770648/blogkey/2686029/
活動報告を更新しました。
沢山のキャンペーンやご報告がありますので、見てみてくださいね。






