全ての欠点は、成長の余地
あの会話以来、しばらくは穏やかな時間を過ごすように心がけた。
ジャネットの様子は安定している。それでも、あれほどまでに取り乱した彼女に無理をさせようという気は起こらなかった。
エミーも当然そのことは意識してくれているようで、危うい話には踏み込まないようにしている。
なるべく傷つけないように、それでいて腫れ物扱いしないように。
特定の話題に触れなければ、ジャネットはいつもどおりの俺達の頼れるジャネットだった。
「——そうだね。エミーなら盾を持つだろうし、以前話した足技をもっと使ってもいいかもしれない。足払いを回避するにはバックステップだけど、空中は動きが一定。それが一瞬でも、今のエミーなら大きな隙に感じるはずだ。ただし今は怪我させないように注意して」
「わかった!」
「ラセルは、少し動きに粗が出始めた。肉体的な疲れを回復しても、精神的に押されているね。……まあ、今のエミー相手に勝ち越しているだけでも凄いんだけど。反省するのはいいが、引き摺るな。失敗を『成長できる部分が残っている』と喜ぶように。エミーは強いが、逆にエミー相手に技術で圧倒できるのなら、筋力メインの剣士にはそう負けないだろう」
「ああ」
俺とエミーの剣技を見て、淡々と修正点を話していく。
教え方も上手い。抽象的ではなく具体的であり、精神的な部分でも指導の隙がない。
本人は『ただの本の知識』と言っていたが、そもそも剣技をやっていないジャネットに、剣技の本は読む必要のあまりないものだ。
だが、少なくとも俺やヴィンスより剣に詳しいのが、ジャネットである。きっと俺達の役に立つだろうと、知識を優先的に蓄えてくれたのだろう。
「それじゃ、もう一度だ」
「よっし! 今度は負けないよ!」
エミーが片手に剣を持ち、俺は両手でしっかりと木剣を握る。
急接近して、力で押し込むように俺に体重を掛けてくる。さすがに重いが、俺も決して弱いつもりはない。
次に予想通り足払いを仕掛けてきた瞬間、俺は——エミーの腿に乗る!
「え、ええっ!?」
そして狼狽えているところに、頭へと軽く一発。
「ひゃっ……あ、ああーっ、負けたーっ! ジャネット、負けちゃったよ!?」
「見え見えの動きすぎて、僕でも避けられそうだったよ今のは……。足払いを組み込むのではなく、足払いをすることだけが目的になってしまっている。ラセルはその動きを見逃さなかったし、エミーならその動きになると分かっていたようだね」
「ふえぇ……くやしい……」
まあ、ジャネットもそう思うよな。エミーが足払いのアドバイスをもらったら、絶対に足払いをやってしまうと。
いまひとつ柔軟性に欠けるのがエミーの短所であり、その真っ直ぐな部分が良さでもある。一つの技術だけを取ると、エミーは練習熱心で動きは綺麗なものだ。
それに初見の相手なら、簡単に避けられたりはしないだろう。
「戦略の一つとして組み込めるように、使い慣れるんだ。欠点があるなら、今のままでも強いエミーもまだまだ成長ができる。それに、本番なら相手の脛を踏み抜くだけでエミーは勝てるからね。魔物相手なら、まだ戦略は多い。足指だけ踏み潰したり」
「な、なるほど……勉強になります」
そして、ジャネットはそんなエミーに次々と戦い方を教えていくのだ。
足指を狙われたら、エミーの速度が相手なら見て避けるのは困難を極めるだろう。本気でかかってこられたら、さすがに勝ち越せないだろうな。
そういうところも含めて、お互いにとっていい訓練になっている。
アドバイスをする時のジャネットは、普段の寡黙な読書少女ではなく、知識を引き出す読書少女だ。
会話の内容は膨大な知識から引っ張り出された、必要最低限のまとまった情報になる。
正直、俺があまり知識量で挑む気にならないのは、自分で本を読むよりジャネットに教えてもらった方が圧倒的に分かりやすいからなんだよな……。
空を眺めながら、ジャネットはふと思い出したように呟く。
「……そろそろ時間か。僕はシビラさんの所へ行くよ」
「今日もか?」
「ん」
ジャネットは腰掛けていた切り株から立ち上がると、軽く尻を叩いて砂を落としてから、孤児院に戻っていく。
これで何日連続だろうか。すっかり二人の会話は日常になっているように感じる。
「なんだかジャネット、最近はシビラさんと一緒にいることが多いね」
「ああ、全く何を喋っているんだか」
「シビラさんなら大丈夫だよ」
「シビラだから不安なんだが……」
正直シビラが変なことを吹き込んでいないか気が気でない。
何と言ってもあのシビラだからな。俺の弱点みたいなものを聞き出したりしてるんじゃないだろうな?
ジャネットなら口は固いと思うが、同時にジャネットなら俺自身が気付いていない弱点も知っている可能性が高い。
とはいえ、そこまで不安視しているわけではない。
恐らく、頭の回転の速い二人ならではの会話があるのだろう。
それこそ俺では及びもつかないような、知識の重ね合わせが。
ジャネットに対して、未だに俺がジャネットに『教える』という行為をしたことなど一度もない。
大体話題を持ちかけると、その話題についての知識がジャネットにはあるからだ。そのため、質問していない話題がどれほどジャネットの中に積み上がっているのか、想像すらできない。
シビラともそれなりに旅をしていて思ったのが、その頭の回転の速さと、特殊な知識の多さだ。
女神や魔神に関することとなると、さすがに人間の俺達には持っている者などいないだろう。
ジャネットが自分を愚者だと言ったのは、ただの自虐ではない。まだ自分より上がある、成長できる余地があると理解しているが故の、劣等感だ。それをシビラに感じたとしても、不思議ではない。
二人の会話の果てに、どのような結論が出るのか……それこそ想像もつかないが、きっと結果は悪いものではないだろう。
それにしても、日に日にジャネットに見てもらう時間が減っているような気がする。
俺はエミーの方を見ると、向こうも同じように思ったのか、自分の木剣を見ながら「う〜ん……」と唸る。
「ラセルとの模擬戦は楽しいけど、やっぱジャネットに見てもらうのとそうでないのって、全然違うんだよね」
「だよな。誰か、別の人に見てもらえたらいいんだが」
俺とエミーが切り株の方を見て考えていると、幼い少女の「あっ!」という声が聞こえてくる。
「ラセルさん!」
声のした方を向くと、そこには孤児院まで遊びに来たブレンダの姿があった。
俺は軽く手を上げて返事をしながら……ふと、以前世話になった時に見せてもらった情報を思い出した。
ジャネットも以前、俺の剣技に対して「新しい角度からのアプローチも必要かもしれない」と言っていた。
ならば、この人こそそれに向いているのではないだろうか。
確信めいたものを感じながら、俺はブレンダの様子を微笑ましく眺めるヴィクトリアに声を掛けた。






