ジャネット:知識の集積と、分析の果て。賢き者は答えに辿り着く
僕からの話は、一通り終わった。
本当に、身体の中に溜め込んでいたものを外に吐き出した、という感覚だろうか。
ただの精神的な部分にしか過ぎないのだけど、不思議と身体そのものが軽くなった気がする。
特に、このシビラという女性には随分と唐突に重い話をぶつけてしまったものだと思う。
僕達のように長い間一緒に育ってきたという訳でもないのに、いきなり仲間割れと、変な女の話だ。
しかも記憶違いの可能性もあるというおまけつき。さぞ困惑しただろう。
ラセルはシビラさんを気に掛けていたけど、シビラさんは見たところ問題なさそうだ。
……恐らく、何か考えているのだと思う。僕も考えている時に、こうなることが多いから。
彼女は次に、何を言うのか。
「アタシはジャネットちゃんに興味湧いちゃったから、もうちょっとお喋りしたいわ。いいかしら?」
彼女が次に興味を持ったのは、僕であった。
「一緒にお喋りできる場所があればいいわ。できれば二人っきりで」
「ああ、それなら……」
……地下室が、一番適している。
そう言葉にする前に、ラセルを見る。
彼は頷いた。
ん、それじゃあの場所にしよう。
エミーは一緒に、ラセルと外に行くらしい。二人きりになれること、エミーは嬉しそうだ。
四人いつも一緒にいると、どうしても特定の誰かと二人っきりになる機会なんてなかったからね。
存分に二人の時間を楽しんできて。君にはその権利があるよ。
二人を見送りながら、僕はシビラさんの手を引いた。
繋がなくても来てくれたと思う。ただ、この人の感触を少し確かめてみたかった。
シビラさんの手は、少しひんやりとしていた……いや、この季節なら僕の手が温かいだけなのだろう。
僕の手を何度か握り返しながら、シビラさんは楽しそうに笑ってカップを手に取った。
昨日——いや、日付の上では今日入ったばかりの、地下室。
「……こんなところに、隠し部屋みたいなものがあるなんて珍しいわね」
「ですよね。僕もこの部屋のことは外に漏らしていません。恐らく外部の人間では、シビラさんが初めてです」
この地下室の本が、売ればそれなりの金額になることぐらい、さすがに子供の僕でも分かる。
同時に、これらの本を一度売ってしまうと、取り返しがつかなくなることも。
「おっ、ジャネットちゃんってばアタシにすっかり気を許しちゃった系?」
「あの二人ほどではないですが、まるで昔からいた友人のように感じられますね。気を許しちゃった系、かもしれません」
「ん〜っ、可愛いわね! ラセルと違って!」
このテンションの高い会話、きっとラセルにもやっているのだろう。
昔のラセルなら困ったように苦笑していただろうし、今のラセルなら容赦なくツッコミを入れているであろう事も容易に想像つく。ああ、だからチョップを叩き込んでいたのか。
仮に僕がそういう反応をしても、怒らなさそうな雰囲気をしているのがこの人の良さであり、ラセルの良い変化の理由なのだろう。
そのやり取りをしても、絶対に二人の関係が崩れないとお互いに分かっているということは、何よりも『信頼』という言葉が似合うように思う。
ラセルの相棒は、エミーが一番かと思っていたけど、こういうタイプが出てきたか……これは強敵だぞエミー、さぞ高い壁になるだろうなあ。
そんなことを思いながら、地下室の灯りをつけて部屋を明るくする。
太陽光で変色してしまう本は、基本的にあまり外に持ち出さない。子供の頃は随分と外に持っていったような気がするので、いくつかの本は少し劣化してしまったかもしれない。
そういうこともあって、僕はなるべくここの本を大切に扱うようにしている。
シビラさんは、地下室をぐるりと見渡して溜息をつく。
「……はぁ〜っ、すっごいわね。ちょっと使い古した本が集まってる、ぐらいに思ったのだけど……普通に本棚にびっしり本があるのね」
「僕も、大人になってから改めて思いました。この本は、ハモンドの本屋に行っても手に入らないほどの情報があります。貧困と隣り合わせのこの孤児院に、どうしてここまでの本があるのか」
そう。普通、本なんてものはお腹を空かせた子供の施設に買う余裕などないものだ。
しかもここの本は、別に子供向けというわけではない。大人が読んでも簡単には分からないような本が、いくつもある。
「四人は、ずっと一緒だったのよね」
「……ん? ああ、僕達のことですね。はい、何歳……二歳か三歳からの記憶しかありませんが、その時には孤児院で遊んでいたように思います。この地下室は、ラセルが見つけて僕達に教えました。エミーとヴィンスはあまり興味を持たなくて、ラセルと僕はすぐに惹かれました」
ラセルは、昼間には外で剣を振り、夜にはこの地下室にやってくるようになった。
実は二人っきりという意味では、僕が一番ラセルと二人っきりになっている時間が長かったりする。
エミーには秘密にしておきたい。すぐに不要な焼き餅やいちゃうからね。
ラセルが僕に興味を持ってくれることなんて、ないない。日陰の本の虫は、目立つことは好まないのだ。
「なるほどね。ジャネットちゃんは、この中の本ってどれぐらい読んだの?」
「流し読みなら一通り。じっくりとなら、半数は読んだと思います」
「これを!? へええ、凄いわね……!」
シビラさんが、僕の回答に対して驚いた。まあ、冊数からすると本当に半端ない数だと思う。
膨大な知識、それを利用した判断。
皆の手助けになるような知識量が、僕にとっての、僕だけの自己同一性だった。
……あの女が来るまでは。
書物にない知識を溢れさせるケイティは、僕にとって恐怖そのものでしかなかった。
自分を形作ってきたこれらの本が、急に色褪せて見えた。
今はそこまでは思わない。全く読んでないよりは、読んでいる方が圧倒的にいい。
それでも……この書物の中に存在しない知識は、僕の中にはないのだ。
「……知識といっても、大したものではありません。本の中になければ、僕は知り得ない。だから——」
「だから、ケイティの方が頭がいい。そう思ったのね」
言葉の先を言い当てられ、思わず息を呑む。
シビラさんは、カップの中身をこぼさないように気をつけつつも、首を振る。
「そんなことはないわ。ケイティが知っていて、あなたが知らないこともあれば、逆もある。ま、衝撃的な知識だとそりゃあ驚くわよね」
僕を説得するように、当たり前の解説を……。
……?
今、何と言った?
衝撃的な知識、と言ったのか?
記憶操作の話ではなく、知識?
今の話の中で……どうして……。
「ラセルは、ひょっとしたら気付いたかもしれない。エミーちゃんは気付かなかった」
な、何を……。
「アタシは、はっきり気付いた」
じっと僕を見るシビラさんの目は、今までで一番真剣だ。
シビラさんは、湯気を出すカップの飲み物を口につける。
静かな地下室では、彼女のお茶をすする音が大きく感じられる。
先ほどまでの明るく気易い感じがしない。
この人も……きっとこの人も、僕より上の次元の、賢き者だ。
一体何を気付いたと……。
「……え?」
僕はようやく、シビラさんの違和感に気付いた。
その意味……そして、その行為。
それを僕に分かるように見せつける理由。
そして僕は、ようやく『自分が何を見せたか』ということに気付いた。
そうだ。僕が先にやったことじゃないか。
僕が自然にやった行為の違和感に、シビラさんはすぐに気付いたのだ。
緊張に手汗が滲む中で、美しい銀髪の女が、僕の気を落ち着けるようにふっと笑い優しく呟く。
「すぐに気づけるんだから、凄いわよね。……ああ、待って。別に怒ったり、責めたりはしないわ。アタシは二人の親友であるジャネットちゃんの味方。それだけはハッキリ言っておくわよ」
優しい言葉に、僕の身体から緊張が少し抜ける。こんな僕のことを、彼女は頻繁に気に掛けてくれるのだ。
相当なお調子者のような第一印象だったが、人の機微に聡い女性なのだなと思う。おちゃらけているのも含めて、気に掛けた結果なのだろうか。
本気で楽しんでいるようなので、判断が付かない……けど。
二人が心を許す理由が、分かったような気がする。
幾分か落ち着いたところで、既に理解しているであろう彼女は、僕に答えを確認した。
「だから、聞かせて。ジャネットちゃんも、さっきハーブティーを温めたわよね——『無詠唱』で。教わったのは、ケイティで合っているわね?」






