小さな事象が積み重なり、今の自分を形作る
薄暗くなった部屋から出ると、他の部屋からの灯りで目に軽い痛みを覚える。
……そうか、話し込んでいて灯りをつけることすら忘れていたんだな。
扉を更に開けると、そこにはフレデリカとジェマ婆さんがいた。
「そうか、二人とも扉の外で聞いていたんだな」
ジェマ婆さんは、静かに頷いた。フレデリカは、顔を逸らしたまま袖で目を拭っている。
フレデリカは一緒に帰ってきたが、話を聞いて俺達はすぐにこの部屋に来た。一緒に入って来ずに、親しい俺達に任せたのだろう。
もしくは、フレデリカだって自信がなかったのかもしれない。何でもできる姉のように慕っていたが、この人だってただの人だ、解決出来るか分からない悩みに尻込みすることもあるだろう。
「ラセル、エミー、それに、何よりシビラ。礼を言うよ。あたしじゃどうしても、ジャネットにはどう声をかけたらいいかわからなくてねぇ……」
「あ……ジェマさん、ご心配をおかけしました」
「まったくさね。ほら! フレデリカ、さっさとキッチンに行くんだよ! 具材はたくさん買ってある、たんとおいしいもの作っておくれ!」
「……っ! はい!」
フレデリカがすぐに立ち直ると、ジャネットをほんの数秒ほどハグして、キッチンへと向かった。
きっとフレデリカも、何度も抱きしめたいと思っていただろうな。
本当に、よかった。
ジャネットは自分の身体に触れながら、フレデリカの去った方を見る。
「……ああ、少し心に余裕ができたからか……僕が心配をかけることで、他の人に悪い影響を与えてしまっていたのか」
「そこまで考えられるようになったのならええ。ほら、あんたは休むのが仕事。座っときな」
ジャネットの復帰と共に、ジェマ婆さんの雰囲気も幾分か落ち着いたように思う。
そうだな、俺だってジャネットがずっと会話できないほど心折れたままなら、俺も常にジャネットのことが気がかりで旅どころじゃないだろう。
灯りの下に出てきたジャネットはやはり青白い顔をしていたが、それでも自分の脚でしっかりと歩いていた。
「……ジャネットおねーちゃんだ」
食卓にいた女の子が、ジャネットに気付いた。
顔色を窺うように、恐る恐る近づいている。
「えっと、もう大丈夫、なの?」
「ん。少しはね」
「よかったぁ……」
心から安堵したという表情と声色で、ジャネットに近づく女の子。
その子の頭を撫でながら、ジャネットは溜息をついた。
「……こんな小さい子にも心配させてるなんて、駄目だな……」
「あまり駄目だと自分で言うものじゃない。俺だって、帰ってきたときはダンジョンなどもう二度と潜らないって思ったしな」
「……」
ジャネットが黙った。……しまったな、話題のチョイスを完全に間違えたか。
いや、シビラ、今のは悪かった。そんなに非難するように見ないでくれ。
「でもな、ジャネット。俺は、追い出されてむしろよかったと思っている。いろいろ話したいこともあるからな、また食後にでも俺のことを言おう」
「……本心?」
「無論だ」
「そう、それならよかった」
普段から口数が少ないジャネットなだけあって、返事が返ってきただけで、大幅に安心できる。
相手の意思が見えるというのは、有り難い。ずっと黙られると、どう判断していいか分からないからな。
ジャネットは、時々俺の近くに来ては、黙って一緒にいることがあった。
その時間は不思議と居心地悪く感じたことはなく、ジャネットが嫌がっている様子もなかった。
ただ、何を考えているのかは結局分からなかったが。
だから、俺にとってジャネットの小さな一言の返事は、大きな意味を持つ。
相手の気持ちを読めるわけではないから確信を持って言えないが……ジャネットには、俺を追い出したことを重荷に思ってほしくはない。
「そういえば、宿に残していた金はジャネットのものか?」
「そうだけど……何で?」
「いや、あれは本当に助かった。ずっと礼を言いたくてな」
「……律儀だね。僕からすれば、少なかったぐらいなのに」
一人だけ取り残されたあの日。
やはり、俺の手元に潤沢な資金があったのは、ジャネットのおかげだった。
あの金があったから、俺は店で一番の剣を買うことができた。
剣は、すぐに手に馴染んだ。ダンジョンの黒ゴブリンも、孤児院のガキどもを襲ったダンジョンスカーレットバットも……そして、俺がファイアドラゴンを倒せたことにも大きく貢献した。
もし最初に買ったのが重くてボロい剣なら、上手く使えず死んでいたかもしれない。
そう考えると、あの時俺を一番助けてくれたのは——そして、俺を闇魔法の剣士として活躍させてくれたのは——ジャネットだ。
今でも大きな竜牙剣はエミーに預けて、俺はあの剣を使っているからな。
シビラが来た。
エミーが来た。
だが、それより前にジャネットが気に掛けてくれていた。
一つでも掛け違うと、俺の人生は狂っていたかもしれない。
何が将来どう影響するかなんて、女神でも分からないものだ。
それでも俺は、その全ての可能性の果てに、ここにいる。
それが、全てだな。






