神々の戦い、人間の力
魔神の余裕そうな顔を見て、俺はエミーの方に視線を向ける。
辛そうにしているが、それでもエミーは強い。身体だけじゃなく、心が、だ。
だから、どんな表情をしていようと『任せる』という選択をする。
一瞬目が合うと真剣な顔で小さく頷く。
それを見た俺は、迷いなくシビラの方へ踏み込んだ。
「まだ抵抗する気があるとは面白い。すぐに終わってはつまらないからな」
こいつにとっては久々の戦いなのだろう。余裕そうな声色でこちらに魔法を撃ってくる。
俺はそれを防ぎつつも、シビラの隣に立つ。
「大丈夫か?」
「アタシの無事は無視しなさい。生命力だけはあるから、そう簡単にあの魔法で即死することはないわ」
「その言葉、信じるからな」
俺はシビラの横から離れ、魔神の背後を取るつもりで後ろに立つ。
そして剣を構えた。
「……まさかそんな遅い動作で後ろを取ったつもりか?」
当然魔神は、俺の方を向く。地面に根を張った木の魔物でもなんでもないから、そりゃあそうするよな。
だが、当然俺もそんなことは予想済みである。
シビラを一瞬見る。
俺はこのマデーラに来て、本当に頼りっきりだった。
女神の書というものが事実をベースに作られていることを知り、シビラ達がどういう想いで編纂したのか知った。
魔神というものが存在し、こいつらを人間のために地上から封印したことも知った。
そして……恐らく、神々にも犠牲が少なくないことも。
これまでもずっと、シビラは人間のために動いてきた。
それを俺達は、当たり前のように思っていた。
だが、子供と遊ぶシビラを見て思うのだ。
そもそも、神々が人間を助ける義理などないと。
ならば、どうして助けるのか。
——正しいことを、自分の信じたことをしようとする、正義の目。
俺の目を見て言ったシビラの感想。
あの時は実感はなかったが、今なら分かる。
守りたいんだ。マイラとアシュリーの未来を。僅か数日でも世話になった孤児院の子供達を。
そして、それはシビラも同じなのだ。
守りたいのだ。
そこに、理由など不要。
——意識を集中する。
剣を握る。
これまでの人生を思い出す。
血液の温度が上がりそうになったところを、静かに抑える。
頭を冷ませ。
目の前の敵を見ろ。
身体の中にある無尽蔵の魔力。
そして、こちらを向いた魔神。
……そう、わざわざこちらを向いたのだ。
こいつは、確かに能力が高い。
だが、セイリスの魔王のような能力はない。
ならば。
「行くぞ!」
俺は右手の剣を構え、左手で魔法を撃ち込みながら踏み込む。
「術士が剣か、面白い」
魔神が俺に意識を向けたと同時に、エミーが踏み込む。
だが魔神は当然そんなの予測していたようで、片手を地面に向けて魔法を放つ。
「《イビルバースト》」
瞬間、黒い魔法が地面で爆発する。
まるで俺のダークスフィアを大きくしたような魔法。
エミーが盾を構えるも風圧で吹き飛ばされ、俺は地面に剣を深く刺して耐える。
俺の姿を見てエミーもすぐに学習した。
「なるほど、小賢しい」
「頭を使わないのは馬鹿だからな」
「口だけは達者なようだ。実力はどうかな」
再び魔神が魔法を放つ。
それを再び自分の魔法で相殺させながら、更に踏み込む。
剣が、遂に魔神へと届く。
「無駄だ」
しかし俺の剣は、相手の手に突然現れた赤黒い剣によって防がれた。
武器をいきなり出現させて使えるのか。他の魔王もできるのなら、魔神ができてもおかしくはないが……。
相手の剣は、宵闇の魔卿と同じような闇属性と同等のタイプのものだなと思う。
やれやれ、厄介だな。
◇
「どうして、あの人達はあそこまで頑張るのですか?」
「あの人達は……特に、あの男性はあなたを助けたかったからなの」
「そう、なのでしょうね。その上で思うのです。どうして、見ず知らずの私をそこまで……?」
「……どうしてなんでしょう。素敵な本物の聖者様だから、としか私には答えられないわ」
「聖者様……」
アシュリーは、魔神と三人の戦いを部屋の隅に隠れながら見ていた。
その身に備えたアサシンとしてのスキルは、彼女の気配を周囲に意識させないよう小さくしている。
アシュリーは、この戦いのことをずっと考えていた。完全に自分の我が儘であると。
世界を救えるような聖者が、自分の娘一人を救うため、女神の書に登場した魔神を倒すことに、命を賭ける選択をしたことを、最初は喜んだ。
だが、今の彼女を包む感情は一つだ。
もどかしい。
命を張りたい。あの戦いに踏み込みたい。
だが、彼女は約束した。
必ず生きて帰ると。この子のために、そして何より孤児院の子供達のために。
その戦いは、到底割り込むことができないほどのもの。
自分の力がないことを、どれほど恨んでも仕方がない。
「あなたは、戦わないのですか?」
腕の中にいる娘からの小さな声に、アシュリーは息を呑む。
「無理、よ」
「無理をしているのは、あの人達も同じ。それは私も分かります」
あまりに鋭い言葉の刃が、アシュリーの心に突き刺さる。
そして、まるでアシュリーの心を見抜くように、その赤く大きな目が彼女の目を覗き込む。
「……私は、自分がただの客寄せであることを、なんとなく理解していました。この場に呼ばれたのが、生贄であることも。このまま死ぬのもいいかなと思いました。なにもやりたいことなど、ありませんでした」
心臓が止まりそうなほどの、衝撃的な一言。
マイラは、自分が利用されるだけのお飾りの人形であることを理解していた。
その上で抵抗しなかったのだ。
「でも……今は違います」
しかし、はっきりと意思を持った声で、先ほどの言葉を否定する。
アシュリーはその言葉の意味を理解しようとする前に、マイラに畳みかけられる。
「あなたのやるべきことは、私を守ることなのでしょう。でも——」
その声が矢となり、アシュリーの心を包む殻に罅を入れた。
「——あなたのやりたいことは、何ですか?」
◇
魔法は全て魔神専用の属性で強く、他の者を吹き飛ばす魔法も使える。
そして、接近した時の剣を防ぐこともできる。
戦ったところで、勝てる要素がない。
能力の一部しか顕現できておらず、本来より大幅に弱体化しているなど信じられないほどの強さ。
人間には勝てないように設計されているかのような、反則的な相手。
だが。
「無駄かどうかは俺が決める」
人間の規格を外れた魔力が相手なら、どうかな?
本来扉のあったはずの部屋の入口は、扉が閉まらないようにエミーが扉を外している。
開け放たれた部屋の向こうから部屋に入ってきたのは、黒い球体に針が生えたようなもの。
その先端から、魔法が放たれる。
「……!」
球体から現れたのは小さなダークアロー。初級中の初級魔法。
決して強くはない……だが、『確実にダメージのある』防御無視魔法。
それを放つ球体が、部屋の天井を移動していく。
「この程度の仕込みなど!」
魔神が魔法を放って一撃でその魔法を消し飛ばす。
俺は一瞬の隙を突き、魔神の腕を切りつける!
防御しようとした魔神だが、俺の剣を繰り出す速度には届かなかった。
「チッ、随分剣を使い慣れた術士だな!」
小さく、だが確実に紫の血液が噴き出した。
それは間違いなく、ダメージを与えた証明。
女神の書で現れた神々の敵に、俺の積み上げてきた剣技が届いた瞬間だった。
「いい気になるなよ!《イビルバースト》!」
横から飛びかかりかけたエミーが俺と同じように地面に剣を刺し、爆風に耐える。
自分の魔法には影響を受けていない様子の魔神が、剣を俺に向けた。
「お前は最初に殺——ッ!」
再び魔神の動きを止めたのは、先ほどと同じ黒い球体の魔法。
「鬱陶しいな! 力が戻っていれば、部屋ごと吹き飛ばせるもの、を……」
魔法を放った瞬間、魔神は一瞬止まる。
その瞬間を見逃さず俺は魔神を切りつけ、エミーも踏み込んで剣を振るう。
魔神は両腕に黒い盾を出現させてエミーの攻撃を防ぎ、先ほどの魔法を立て続けに発動して吹き飛ばした。
……最初からその盾を出しておけばいいものを、完全に舐めていたな。
しかし、魔神の顔は驚愕に染まったままだ。
「おい、術士……【宵闇の魔卿】は貴様だけではないのか」
「俺だけに決まってるだろ、そんなにぽんぽん居てたまるかよ。それとも俺一人で出したようには見えないか? ではお代わりをくれてやろう。《アビスサテライト》」
「馬鹿な……貴様は本当に、人間か……?」
俺の手から出た黒い球体に、驚愕の目を向ける魔神。
その背後には……同じ黒い球体が数えることも億劫になるほど、天井一面を埋め尽くしていた。
「あまり人間を舐めるなよ、神話の魔神。奥の手があるなら早めに出しておいた方がいいぞ?」
反撃開始だ。






