俺は、初めて逆らう
(ちょっと内容修正しました)
誰もいなくなった静かな大聖堂に、俺達四人だけがいる。
変化したことといえば、壇上で赤い染みとなった大司教の成れの果てと、床に落ちたネックレスだけ。
かつて赤い救済の会のステータスであったそれは、ゴミのように……いや、むしろ今までの恨みを込めて、床に叩きつけられていた。
……あれだけ暗躍して、他人を追いやって。
その結末が、ずっと信奉していた相手からのあれだ。
魔神の発した言葉は『五月蠅い』でも『傲慢だ』でもない。『よく喋るものだ』というただの感想に過ぎない。
殺したことすら、当人にとっては興味のないことなのだろう。
シビラの方に向き直る。
こんなに黙っているなんて、珍しいじゃないか。
いつもなら、さっさと動くものかと思ったが……まだ何か、分からないことでもあるのか?
エミーとアシュリーも、シビラが何を言うかを待っているぞ。
「……ないわ」
「ん、何だ?」
シビラに聞き返すと、シビラは目をそらせながら小さく呟いた。
「戦いには行かせられないわ」
俺はシビラの出した答えが、一瞬理解できなかった。
……行かない、だと? 今、シビラがそう答えたのか?
「聞き間違いか? 俺には行かないと言ったように聞こえたのだが」
「そうよ。ラセル、あなたにアレの相手をさせるわけにはいかない」
今度ははっきりと断言した。
エミーもアシュリーも、信じられないといった様子で驚愕に目を見開く。
正直、俺も同じような表情をしているのかもしれない。
シビラは、どんな時でも人類のために最良の結果を考えて動いてきた。
自分が負わなくてもいいような責任を感じ、結果的に歴史の影となってでも討伐をしている。
それと同時に、相当な子供好きでもある。それは今までのことを考えても否定の余地がない。
……これまでのシビラの言動から、何の理由もなしにこんな結論になったとは思えない。
「理由を聞いてもいいか」
「あれが間違いなく『魔神』だったからよ」
魔神、という単語……確かにシビラは、出現した瞬間にそう言っていたな。
「魔王とは違うのか」
「そうね。分かりやすく言うと、魔王が平民で、魔神が王族ってぐらいには格が違うわ。当然持つ力もね」
魔王が平民だと……? 名前に王と付いているのに、随分な扱いだな。
シビラのあまりにも極端な例えに、アシュリーは絶望する。
「それじゃあ、マイラは……」
「……助けに入る前に、こちらが全滅するわ。というより、助けたところで街の住人が全員死ぬ可能性が高い」
「何故そんなに恐れるんだ。今までの魔王だって同じようなものだっただろう」
シビラは、俺の服に視線を向けた。
その場所にあるのは……。
「……これか」
俺は、ポケットから『女神の書』を取り出す。
例の魔王が持っていたものだ。
「そう。話したわよね、一節を。ここでマイラが皆を集めて読み上げていたものを。その魔神を封印したのがこの地よ」
……何だと?
この地が、その一節で魔神を封印した場所だというのか?
「だいぶ地形も街も変わっていたから思い出せなかったけど、海から少し内陸部に入ったあたりだから、確かにこの付近だったはずなのよ。つまり——」
シビラは再び、天井を眺める。
「——さっき現れたのは、かつて神々が対峙した魔神。女神の書に書かれるような存在なの。人の手に負えるものではないわ」
話を聞いたアシュリーは力を無くし、ふらふらと近くの椅子に座り込む。
エミーが介抱しながらも、こちらを不安そうに見ていた。
シビラの目を見る。
……いつになく、真剣な目だ。
女神を連れて宗教関係の話をしているのなら、当然こういう事態になることもあるかもしれないと思っていた。
それでも、本当に神々の戦いにあった敵が現れるとは思わなかったが。
「俺が惜しいか」
「惜しいわ。ラセルを失うわけにはいかない」
からかい半分に言ったつもりだが、随分素直に返してくれるものだ。
いつもなら跳ね返ってきそうなものだが。
それほどまでに、魔神という存在は特別なのだろう。
「あの魔神はどうするんだ」
「救援を呼ぶわ。高ランクの討伐隊を、多数呼び寄せてもらう」
高ランクの存在となると、俺よりも戦い慣れたベテランもいるのだろうな。
シビラがどういう伝手を持っているかはわからないが、何か頼れる相手がいるのだろうと思うが。
「それで、勝てるのか」
「……分からないわ」
そこまでやっても、断言できないのか。
シビラの目を見る。
じっとその赤い目を見る。
……そういえば、宵闇の女神というわりには赤い目なんだな。
今回のマデーラでは、女神の書——シビラ達が編纂した本——に関する話であったが故に、シビラのやりたいように全てを任せていた。
そのお陰で、様々な部分がうまくいったように思う。
不透明な『赤い救済の会』の秘密、潜入から仕組み解明、その目的から街に張り巡らされた様々な秘密。一人でやったとは思えないほどのスピードで謎を解き明かしていった。
俺一人では、到底ここまでできなかっただろう。
シビラは優秀だった。
それこそ、俺が並び立つなどおこがましいにも程があると理解させられるほどに。
「ラセル、今回はここで終わりよ。赤会の幹部は死に、部下は離散。成果としては十分だと思うわ」
シビラは頭脳明晰だった。
それこそ、俺はこいつを相棒と呼んでいいのかといつも思ってしまうほどに。
「だから、後は任せましょう」
シビラはいつだって、正確だった。
この女神に任せておけば、間違いはないと思うほどに。
そう。
シビラに任せておけば、間違いはないのだ。
だから——。
「断る」
俺は、ハッキリとそう答えた。
シビラの目を見る。
驚愕と、動揺と、そして——ごく僅かな期待を感じる目。
「なんで、よ」
「お前の判断を信じていないからだ」
俺は、シビラと出会った時のことを思い出す。
育った故郷であるアドリアの孤児院にダンジョンスカーレットバットが現れた時、シビラは悪態をつきながらも戦っていた。
今思えば、レベル8の魔道士が一人で、魔力を枯渇させつつ必死に剣を振っていたというあの状況は異常だ。
後衛職が剣一つ。どう考えても無謀だし、準備不足だ。
だが、何故こいつはそんなことをした?
そんなの決まっている。『助けたかったから』だ。
宵闇の女神たる自分の命を、孤児院のために無駄に消費することを惜しいとすら思っていなかったからだ。
「俺が信じているのは、孤児院を助けに来た『ソロ冒険者シビラ』だ。断じて、仲間の命とはいえ子供と天秤に掛ける宵闇の女神ではない」
だから……分かるのだ。
俺の安全のために、苦渋の決断をしていると。
本当は、『自分はどうなってもいいからあの子を助けてほしい!』って叫びたくて仕方がないことも。
シビラは、正確だった。
正確すぎた。
可能性を考えて、段々と俺やエミーが優秀になっていくに従って、今のパーティーが貴重に感じるようになったのだろう。
それ自体は俺個人としても嬉しいと思う。
だが……あまりにも上手くいきすぎて、判断を鈍らせたのだ。
「俺達の戦いに、勝てなさそうだから挑むのをやめたことなどあったか? ファイアドラゴンを倒す時に、俺は一度勝てないはずの戦いを挑んで勝った。だから今の俺は『黒鳶の聖者』になれた」
あの時も、悲しむ母娘のことを考えて俺は今の道を選んだ。
そんな俺が、一度切り抜けられたからといって守りの姿勢に入ったら、それはもう『黒鳶の聖者』と名付けてくれたブレンダに誇れる俺ではない。
今、近くで娘を奪われて、娘のために影で尽くして、そしてその結果娘を生贄に捧げられようとしている母親がいるんだ。
奇しくも、あの時と同じだ。
だが今回は、シビラの言い分を一切聞かない形となる。
それでも迷わない——
——俺は、初めて女神に逆らう。
「マイラを救えずして、のうのうと生きるつもりなどない」
シビラは目を閉じる。
「……」
どれぐらい、そうしていただろう
それからシビラは大きく息を吐いて、ゆっくり目を開ける。
「『人間に勇者を与えたのは、勇気を讃頌するから。人間を讃頌するのは、人間の勇気が神々の想像を超えるから』……かつて太陽の女神を見てそう言った女神がいたわ」
「お前のことか」
「いいえ、姉よ」
突然の告白に驚く。シビラに、姉なんてものがいたのか……ということは、間違いなく女神だな。
話から察するに、太陽の女神とは別の女神のようだが。
……そういえば、こいつの話をもっと聞くと約束していたのに、全然聞かせてもらっていないよな。後で話を振っておくか。
「あの時は信じられなかったけど……今なら姉の言っていたことも分かるわ。人間は、神々の想像を超える。こうやって人は、神の手を離れていくのね」
「おい、離れるつもりも超えるつもりもないぞ」
勝手に語り出したところで何か勘違いしているようなので、まだ喋っている途中で割り込む。
「あくまで俺は、パーティーメンバーである『シビラに並ぶ』ために自分で判断して選んだつもりだ。お前の下になったつもりも、ましてお前の上になるつもりもない」
シビラは一瞬目を見開き、そして腕を組むと……ようやく緊張から解けたように、小さく笑った。
……随分と久しぶりに、笑顔を見たような気がするな。
「ああもう、ほんと生意気ね。いいわよ、このパーティー『宵闇の誓約』はラセルがリーダーだもの。パーティーリーダーの指示には、当然従うわ!」
驚愕に目を見開いたアシュリーが、ふらふらと立ち上がる。
「えっ……じゃあ、マイラは……」
「アシュリー! エミーちゃん! この心底聖者しちゃってる無謀な馬鹿に付き合ってもらうわ! そもそも封印で留めていたってのが甘っちょろかったのよね。だから『女神の書』の魔神、ブッ殺しに行くわよ!」
途轍もなく無謀な挑戦。
だが、エミーもアシュリーもすぐに頷いた。負ける気などないという表情だ。
「ところで、話から察するにダンジョンは見つけたのか?」
「さっき見つけたわ」
さすがだ、もう見つけていたのか……頼りになるな。
「えっ、全然見つからなかったって言ってたじゃないですか!」
おい、エミーと言ってること違うぞ!
本当に大丈夫なんだろうな!?
シビラはニッと笑うと、黙って聖堂を出た。
俺達は顔を合わせつつも、シビラに付いていく。
……最後に、一度大聖堂を振り返る。
あれが、魔神を信奉した成れの果て。
そして、俺達が今から挑む相手の力量か。
まったく、すっかり退屈とは無縁の生活になってしまったな。
だが……何も出来ずに安全だけ保証された生活に比べると、俺自身が俺の存在を認められるようになった。
それが何よりも、嬉しく思う。
だから、神のために他者を犠牲にするような人間にはなるつもりはない。
俺の【聖者】という職業は、教会の幹部にもなれるような存在。他者を従えられるような権力を持つことのできる存在だ。
——だが、決してああはなるまい。
そう神ではなく自分の心に誓い、俺は大聖堂を後にした。
もう、振り返ることもないだろう。
シビラは廊下を早足で歩く。
黙ってついていきながら、何度か曲がり角を曲がって……そのまま一周し、外に出てしまった。
「何をしたんだ」
「マッピングよ」
マッピング……あのダンジョン内部の地図を頭の中に作っていた時と同じことをしていたのか。
「可能性の一つとして考えていたけど、赤会の信者どもや幹部連中がうろついていたから、調べることができなかった。だけど今、ハッキリと分かったわ」
そしてシビラは、建物の壁沿いに歩いていく。
その後ろの方の端に、裏口らしきものがあった。
……裏口?
こんな場所から出られる部分、この建物の廊下にあったか?
「最後の鍵はあの音留めの魔道具。『裏より野に放たれた緑』……緑はオーク。じゃあ裏は?」
シビラの考えに、俺も気付いた。
しかしまさか、そんなことが……。
「アタシが最初にここを可能性の一つとして考えたのは単純な理由よ。……ラセル、この建物、何階あった?」
「……!」
先入観など何の役にも立たない。
こいつはいくつもの予想をする中で、その可能性を既に考えていたのか……!
「アタシだってそれでも、最初は『ほぼ有り得ない』ぐらいにしか考えてなかったわよ。だけど、さっき歩いて確信した。やっぱりこの建物は一階の内側部分と外周で、建物の大きさに差異がある。つまりはね——」
そしてシビラは、エミーに促して裏口の重そうな扉を開かせる。
「——この建物自体が『上に向かって伸びる十六階層のダンジョン』だったのよ!」
建物内部の入口付近には、マデーラダンジョン下層で見た時と同じ鉄の檻が力任せに破壊された跡があった。
それを確認したと同時に……細い廊下をうろついていたオークが、一斉にこちらを向いた。






