伊織、奴隷になる
次に気がついた時は、何だか小汚い部屋の中だった。
オイルの臭いが強く、胸がむかむかする。起きあがって辺りを見渡したが、薄暗くよく分からない。
「大丈夫?」
と暗がりからいきなり声をかけられて、私は飛び上がって驚いた。
「え……」
「心配しないで、僕はティン。君は新しくきた人だね?」
声は少年のようなソプラノであった。
「え……ええ。あの、ここはどこなの?」
「ここは、海賊王カイザーの船の中さ。僕達はこの船の下働きに買われてきた奴隷なんだよ。君もそうだろう? どこから買われてきたの?」
「……奴隷?」
「そうだよ」
「今度は奴隷ってわけ?」
「なに?」
「いいえ、そう……奴隷って何をするの?」
「いろいろな雑用さ。船の掃除をしたりね。朝が早いから眠ったほうがいいよ」
と言って少年は私の身体に臭い布をかけてくれた。
「あ、ありがとう」
「名前、何て言うの?」
「伊織よ」
「いい名前だね。じゃあおやすみ」
「おやすみ」
私は取りあえず横になったが、しばらく周囲の様子をうかがった。
寝息がいくつも聞こえる。足をのばすと何かに当たった。
狭い部屋で何人もの奴隷がギュウギュウ詰めになって寝ている様子だ。
「……やだやだ」
一睡もできなかった。何といっても臭いのだ。熱気にこもった大勢の奴隷達の体臭。吐き気がする。鼻で息をするのをやめて、口だけで呼吸する。ああ、苦しい。
窮屈な姿勢で横になっていたので身体中が痛い。
「おはよう」
と言われて身体を起こした。
「伊織」
「おはよう、あなた昨日声をかけてくれた人ね? ティンといったかしら」
ティンはまだ十五才くらいの少年だった。きれいなブロンドにグリーンの瞳。
「そうだよ。さあ、起きて、仕事をしなくちゃ」
私は起きあがった。そして周囲を見てぎょっとなる。
何人もの男が私を見ているから。
髪の毛のひげもぼうぼうのもじゃもじゃ。小汚い作業服を着ている。
「女だ……」
「きれーだな」
「へへへへ」
「さわりたいな……」
さすがにちょっとだけカイザーに反抗した事を後悔した。ここは危険だ。
この男達は半ば正気を失っているように見えたから。
私のような美女なんて見た事もないだろう……そんなのんきな事を言ってる場合じゃないか。
私は全身で緊張していた。
「駄目だよ。この人に乱暴したら……カイザーが怒るよ!」
とティンが言った。
「うわあああああああ。嫌だあ……助けてくれ……」
男達は急に泣きだしたり、慌てふためいて騒ぎ出した。
「大丈夫だよ。こう言えばおとなしくしてるから」
「よっぽどカイザーが怖いのね?」
「そりゃ、そうだよ。あんなに怖い人はいないよ」
とティンが言った。
「そう、ありがとう」
「いいんだ。伊織は僕の姉さんに似てるから……」
「お姉さん?」
ティンは少しだけ微笑んだ。汚い臭い毛布をたたみながら、
「うん、どこかに売られて離ればなれになっちゃったけどね」
と言った。
「そうなの……」
「さ、仕事をしようか」
「ええ、でも朝ご飯ももらえないの?」
「ご飯は一日に一度だけ。お昼時にね」
「そう……」
そして私は大きな声でまた叫んでやった。
「本当にケチよね!!! 」
奴隷の仕事は忙しい。船の最下層と思われる暗い汚い場所で掃除をやらされたり、重いコンテナを運ばされたり。それがすむと、一度部屋へ戻されて食事。
だけど、私はそれを食べる勇気がなかった。空腹は空腹だっだが、とてもそれを食べる事はできなかった。
「伊織、食べないの?」
とティンが言った。
私は目の前の食器に入ったものを見た。それは黄土色した何か。
「これ……何?」
「何って食事だよ」
「そう……」
私は壁にもたれかかって息をついた。
疲労と空腹で目眩がする。もう駄目かな……餓死もいいか。
「伊織、食べないの?」
再びティンが言った。
「ええ、欲しくないわ。いるんならあげるわ」
「いいの?」
こんな物でもティンは嬉しそうな顔をした。よっぽどお腹がすいているのだろう。
食事が終わるとまた寒い暗い倉庫のような所で作業させられた。
冷たい場所に座り込んで、石のような物を箱に入れる作業だった。
手が痛くなり、何度もくしゃみをした。
何日もそれが続いた。夜になると男達の嫌な息づかいが聞こえてくる。
ティンはそれから私を何度もかばってくれた。
私はどうしても食事が出来ず、体力を失うだけだった。
気が遠くなる一歩手前で頭がふらふらとしていた。
時々地球での生活を思い出したりもしたが、実はあれこそが夢だったんだと思う事もあった。
「きゃーー」
いきなり男が私の両足をつかんだ。
「やめてよ!!」
男はへらへらと笑いながら、私の身体をひきずった。
「やめろ!」
ティンが言ったが男はティンをうるさそうに殴った。殴られたティンは部屋の隅まで吹っ飛んで気を失ったようだ。ぐったりとしている。
「やめて!」
汚い男が三人、私を取り囲んで上から見下ろした。
「へっへっへ……」
「女だ……女……」
「いい匂いだなあ」
男は倒れている私の頭の匂いをかいだ。じろじろと頭から足先まで見る。
私はばたばた暴れた。必死で足で男達を蹴ったり、手足を振り回した。
嫌だ、嫌だ! しかし、身体がいう事をきかない。もう腕も足も思うように動かない。
一人の男が私の上に覆い被さった。そいつは酷く臭くて吐きそうだった。
涙がでて、だけどもう声が出ない。力が入らない。
私は両手を捕まれた。
「助けて……助けて……誰か……」
スイーと扉が開いた。
足音がして、声がした。
「どうした? 伊織。助けて欲しいのか? まさかな」
カイザーの声だった。私は涙でよくその姿が見えなかった。
どかっと音がして、私の上に乗っかっていた男が飛んだ。両側で身体を押さえていた男も蹴り飛ばされてうずくまった。
カイザーは笑っているようだった。
「元気がないじゃないか? どうした?」
「カ……カイザー……」
「何だ? まさかこの俺に助けを求めたりはしないだろうな?」
「……」
私は最後の力を振り絞って起きあがった。ふらふらする。だけど立ち上がった。
ゆっくりとカイザーの方に歩いていき、カイザーの前に立った。
身体が揺れて足に力が入らない。
カイザーの身体に倒れかかった私をカイザーが受け止めた。
その隙だった。
すべてが一瞬だった。
私はカイザーの腰に装備してある大きなナイフを引き抜き、自分の左胸に突き刺した。




