伊織、花嫁から格下げされる
アリアに必要なのはカイザーだけだ。
カイザーが側にいたら、すぐに元気になるだろうに。
「カイザーはどこにいるの?」
私は桜に聞いた。
「お部屋かフライトデッキの方だと思いますが……」
「そう」
私は立ち上がった。
「どちらへ?」
「カイザーの所よ」
総勢六人のメイドを振り切って、私はカイザーの元へと乗り込んだ。
カイザーは会議中だった。
会議室の前には屈強な見張り番がいて、私を押し止めた。
「カイザーに話があるの。呼んでちょうだい。だめならこのまま乗り込むわよ」
いったんは奴隷に格下げされた私を部下達は扱いかねていた。
「只今は重要な会議中ですので……」
「会議中? 会議なら後でいくらでもできるわ。でもこっちには時間がないの」
「しかし……」
「アリアの事で話があると伝えてちょうだい」
私と見張り番がもめているうちに、会議室から怒鳴り声がした。
「やかましい! 静かにしろ!」
「は!」
見張り番がひるんだすきに私は会議室へと乗り込んでやった。
「会議中だと言ったはずだ」
会議室には凶悪そうな顔の男達が何人も座っていた。
カイザーは私を見て、露骨に嫌な顔をした。
アリアが私を呼ぶので牢屋から出したものの、怒りがおさまらないのだろう。
「会議? 妹の命よりも大事な会議があるの? 何故、アリアの側にいてやらないの」
「うるせえな。お前にどうこう言われる筋合いはない」
長い机に向かって座っている男達が私を見たが、そんな事は気にもならなかった。
私は一番奥にふんぞり返って座っているカイザーの側まで行った。
どうせ売られる命。最後に少女の願いくらいかなえてやってもいいだろう。
「随分、御立派な海賊だこと。妹を大事そうにしながら、実は仕事の事しか考えてないなんて。アリアも熱を出すはずね」
「何だと!」
「偉そうな口をたたいて、たった一人の妹の体の心配さえしてやらないなんて、さぞかしもうかってるでしょうね」
会議に出席している男達がひそひそと話す声がする。
カイザーの事をよほど恐れているのか。
私をつまみだした方がいいのか、否か。
つまみだされる前に言ってやろう。
「あんたはここで何をしてるのかと聞いてるのよ! 子供が高熱を出すのが危険な事くらい分かってるでしょ? アリアよりも大事な事が他にあるって言うの? それに、あんたが連れてくる花嫁をアリアが本当に喜んでると思ってるの? アリアが本当に側にいて欲しいのが誰かくらい分からないの? ばっかじゃないの?」
カイザーが立ち上がった。
拳を握りしめている。
もう片方の手で私の胸倉をつかんだ。
「一体、誰にものを言ってるんだ?」
ばちんっ!
カイザーが私を殴るよりも早く、私は右手でカイザーの頬をたたいてやった!
「う」
カイザーは頬をうたれたまま、一体今、何が起きた? という顔をしている。
周囲の者達ははっと息を飲んだ。
「カイザーなんて呼ばれていい気になってるから、そんな大事な事も分からないばか者になるのよ!」
私はカイザーにつかまれたドレスを直して、その場を立ち去った。
そのまま、アリアの所にも寄らずに、牢屋に帰る。
牢屋番が驚いた顔をしたが、そのままさっきまでいたガラスの部屋に自ら入った。
これで終わり。
言いたい事は言ってやったし、あの男の顔もひっぱたいてやった。
もう思い残す事はない。
後はもう死ぬだけ……かな。
一時間とたたないうちに、またカイザーの部下が私を迎えにきた。
私はカイザーの部屋に連れていかれた。
殺されるかもしれない。
カイザーは作業服のままで酒を飲んでいた。
私を冷たい視線でじろっと見ると、
「先程は随分威勢がよかったな」
と言った。
「そお? 私は本当の事を言っただけよ」
「確かに、お前の言う通りだ。アリアは寂しがっている。だが、俺も一年中妹の側にいてやる事はできない」
「そうでしょうね。汚い商売でお忙しそうだものね」
カイザーは酒のグラスをどんっとテーブルに置いた。
「汚いだと?」
「そうよ。薄汚い、みっともない商売よ。醜いあんたにはぴったりだわ」
カイザーは立ち上がると、私の前につかつかとやってきて、私の頬をぴしゃりとたたいた。
「やかましい!」
「何よ。本当の事でしょ」
カイザーは私の髪の毛をつかむとそのまま振り回した。
私の体はベッドへ投げだされた。
カイザーは怒りの顔で私の上に馬乗りになる。
カイザーは私に乱暴なキスをする。
私はその唇を思いっきり噛んでやった。
「痛っ」
カイザーは指で唇をなぞった。私が噛みちぎった傷からほんの少し血が流れ出していた。
「誰も彼もがあんたに従うと思ったら大間違いよ!」
「お前も馬鹿な女の一人か。そうやって安っぽい勇気を売り物にして、世の中何とかなるとでも思っているのか? 正義の味方が飛び込んでくるとでも?」
「思っちゃいないわ。ここからは私のプライドの問題よ!」
「プライドだと? 笑わせるな! お前みたいなちっぽけな地球人のプライドが何だ? いいか、ここでは俺が掟だ。この俺が神様なのさ。お前らは家畜か奴隷人同様だ。貴様に俺の事や妹の事を無神経に踏み込む権利はないぞ。貴様は俺が死ねと言ったら、素直に死ねばいいんだ!」
不思議な事に私は本当におかしくなって笑いだしてしまった。
カイザーは私の上に馬乗りになったまま私を押さえつけていたが、ほんの少し不思議そうな顔をした。
「何がおかしい? 恐怖のあまりに狂っちまったか?」
「ばっかじゃないの? 本当に哀れな男ね! あたしは死なないわ。あんたみたいな男に殺されはしないわ。誰もかれもがあんたを恐れ、怯えているけど、あんたの本性はただの心の弱いちっぽけな男よ。あんたは誰かがあんたに牙をむくのを恐れてるだけなんだわ。自分がいかにちっぽけな存在かを知らされるのが怖いだけだわ。余裕もなにもない、怯えた羊みたいだわ!」
一瞬、カイザーの顔がぎょっとなったような気がしたが、それは気のせいかもしれない。
カイザーは鬼のような顔で私を睨みつけた。
「……!」
だが、怒りのあまりに声も出ないのだろう。
私を傷つける言葉を探しているようにも見えた。
「いい度胸だな。そいつだけは誉めてやろう。今まで逆らった女はたくさんいたが、お前みたいな女は初めてだ。怖いもの知らずか、それともただ頭が鈍いだけなのか?」
カイザーはさっと私の上からどくと、どたどたとソファーまで歩いていき、酒瓶をつかんだ。ぐいっと口のみをして、私の方に振り返った。
私はカイザーから視線を外さずにゆっくりと起きあがった。
この船の中で逃げる場所なんかどこにもない。
今更、この場から逃げてもどうなるものでもなかった。
だから、私はベッドの上でじっとしていたのだ。
「俺がこの世の中で一番嫌いな人種は、貴様のようにすぐに説教をたれる女だ。人の生き方をどうこういう権利が貴様にあるのか? 何様のつもりだ!」
私は驚いてカイザーの顔を見た。
カイザーはすねた子供のような顔をしていた。
いたずらを楽しんでいたのをたしなめられた子供のようだった。
「何様のつもりはあんたでしょ? 何言ってるの? あんたが人を殺そうが、泥棒をしようが私の知った事ではないわ。でも、自分にふりかかる火の粉は振り払わなきゃ。あんたが私の目の届かないとこで何しようがあんたの勝手よ。でも私を巻き込まないで。この船に乗っている人にはあんたは神様かもしれないわ。でも、私には違うわ」
もしかしたら、私はこの男の言うように狂ってしまったのかもしれない。
何故なら私は少しも慌ててもいないし、カイザーを恐れてもいなかったからだ。
例え殺されてもこの男には媚びまいとそれだけを心に誓っていた。
私達は数秒の間睨み合っていた。
「……では、死ね」
カイザーは酒瓶をテーブルの上に戻すと、ふらふらと私の方へ近づいて来た。
私はさっと身構えた。身構えたところでどうにもなるまいし、この海賊王を殺すなんて出来るはずもない。それでも、むざむざと殺されるのは嫌だ。
せめて……。
カイザーは私に大きな拡散銃を向けた。これで撃たれれば、身体は粉々に吹っ飛ぶだろう。もうどうにもならないらしい。
私の命運もこれまでか。
だがカイザーは銃を撃ちはしなかった。
にやりと笑って銃を下ろすと、
「一瞬で貴様に死という安らぎを与えるのは我慢ならん。泣いて叫んでこの俺に許しを乞うまではな!」
と吐き捨てるように言った。
「本当に性根の腐った男ね」
カイザーが私に向かってグラスを投げつけた。
それは私の頬をかすめ、壁に当たって砕け落ちた。
カイザーが手下を呼び寄せ、
「勇気あるお嬢さんにおもてなしを」
と言った。
手下の顔がぎょっとなり、カイザーと私を交互に見比べた。
「カ、カイザー様……」
「聞こえなかったのか?」
「いえ、了解しました」
手下どもは私の身体を両脇から抱えると、引きずるようにカイザーの部屋から連れ出された。
「どこへ行くの?」
私の問いに男達は答えようともしなかった。無表情で、私を引きずって歩く。
やがて大きなカプセルの前で止まると、無理矢理その中に押し込まれた。
透明の蓋がしまる。私は子供の頃の理科の実験を思い出した。
カエルの標本がはいったビーカー。ホルマリンにつけられたまま、内蔵をむき出したままの姿。
私はカプセルをどんどんとたたいた。
男が無表情でカプセルのスイッチを押した。
「きゃー!!」
はっとなった瞬間に床が消え、私の身体は立ったままの姿勢で、落下していったのだった。




