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火星花嫁  作者: 猫又
第一章 伊織と海賊
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伊織、海賊船に乗る3

 その日から、毎晩悪い夢を見るようになった。

 私はガラスの小部屋に入れられて、鎖につながれている。

 ガラスの外には新しい花嫁を連れたアリアが笑っている。

 出して! 私をここから出して! 

 私は必死でガラスをたたいた。しかし、アリアと花嫁は笑いながら立ち去り、入れ替わりに鬼のような顔をした奴隷買いが私を値踏みしているのだ。

 毎朝、はっと目覚める。体中が汗にまみれ、とても疲れていた。

 そしてまたアリアとの一日が始まる。彼女は私を奇麗なドレスや宝石で飾り立て連れ歩き、とても楽しそうだった。

 いっその事、奴隷買いにでも売り飛ばされた方がましかもしれない。

 本気でそう考えるようになった。

 恐怖の夜が来て、憂鬱な朝が来る。

 一体どれだけの時間が流れたのかさえ分からなくなった頃、私はカイザーの部屋に連れていかれた。

 最初に食事して以来、カイザーに会うのは初めてだった。

「よう、機嫌はいかがかな」 

 カイザーは大きなソファに座って酒を飲んでいた。

 風呂あがりなのだろう、バスローブを着て随分くつろいでいる様子だ。

「ええ」

 私は入り口に突っ立ったままで答えた。

 私の後ろには桜と桃が立っていた。

 アリアがいない時も常に誰かが私の側にいる。

 逃げないように一挙一動を見張っているのかもしれない。

 宇宙空間に浮かぶ船の中でどこにも逃げ場なんかないのに。 

「ま、座れよ」

 私はゆっくりとカイザーに近づいた。

 ソファの一番遠くに座る。私はびくびくとしていた。

「どうした? そんなに遠慮しなくてもいいじゃねえか。花嫁さんよ?」

 カイザーは下品な声でひゃっひゃっと笑った。

「アリアは随分とお前を気に入ってるらしいな。最近は俺の所にも顔を見せないぜ」

「……」

「どうした?」

 私はカイザーを見た。

「私を地球に帰らせて……下さい」

「はあ?」

「もう……いいでしょう?」

 カイザーは酒の入ったグラスを持ち上げた。そして私の手をぐいっとひっぱった。

 私の口に無理やりグラスを押し付ける。私ののどに苦い酒が流れこんできた。

「だめだな」

「どう……して」

「アリアがお前を気に入ってるからだ。今まで、長くて二週間、短くて三日だ。それがもう一月だとは、俺も驚いてるくらいだ。よほど相性がいいらしい」

「そんな事言われても」

「俺も忙しくてなかなか花嫁の相手ができなかったが、最近やっと時間が取れるようになってきた。ま、俺の相手もしてもらうさ」

 じょ、冗談じゃない……この男の相手までできるもんか!

 立ち上がろうとした私の腕をカイザーはぐいっと自分の方へ引き寄せた。

「やめてよ! 触らないで! あんたなんか大嫌いよ!」

 カイザーの顔がむっとなり、抵抗している私の顔をいきなりひっぱたいた。

 痛かった、でもそれ以上に屈辱だった。

 カイザーは私の髪の毛をつかんだ。

 体が引きずられるのに抵抗しようとした時、

「お許しください!」

 と声がして誰かの手がカイザーの腕をつかんだ。

「ああ?」

 不機嫌な声とともにカイザーの動きが止まる。

「おやめください!」 

 と言ったのは、バイオノイドの桜だった。

「どうぞお許しください!」

 一瞬、カイザーの動きが止まったのだが、すぐにケッと吐き捨てるように言ってから、

 その長い足で桜の体を蹴り飛ばした。

 桜の華奢な体は部屋の隅まで吹っ飛び、手足が変なふうに曲がってから床に落ちた。

「なんて……事を!」

 急いで桜の元へ這って行こうとしたけど、カイザーの手はまだ私の髪の毛をつかんだままだった。

「離してよ! ……桜ちゃん! 大丈夫!?」

 声をかけると、桜はすぐに体を起こした。

 腕と頭をぎゅぎゅっと直すような仕草をしてから立ち上がり、

「大丈夫ですわ。伊織様」

 と答えた。

「あ、ああ、よかった。あーびっくりした」

 腰が抜けた。髪の毛を掴まれたままだけど、私は床にへたっと座り込んだ。

 あんな華奢な女の子を蹴り飛ばすなんて、信じられない。

 野蛮な男!

 多分、そう思ったのが顔にしっかり出たんだろう。

 私はカイザーを睨んでいたのだと思う。

 カイザーは私を睨み返し、髪の毛から手を離した。

「いたたた。ほんと最低!」

 と私はつぶやいた。

 

「伊織ちゃま?」

 シュイーンと音がして、ドアが開いた。 

 パジャマ姿のアリアが目をこすりながら入ってきた。

「アリア、子供は寝る時間だぞ」

 とカイザーが言った。

「伊織ちゃまと寝るぅ……」

 アリアは床に座り込んでいる私を見つけて、小走りに寄ってきた。

「ね? 伊織ちゃま」

 耳元でアリアの甘い声がした。

 うんざりだ。

 甘ったるい声も仕草も。

 

 アリアは私の体を揺さぶった。

「ねえ、伊織ちゃま!」

「触らないで!」

 私はアリアの腕を強くふりほどいた。

「きゃ!」

 悲鳴を上げてアリアは私から少しだけ、離れた。

「伊織様、何という事を」

「伊織様……」

 桜と桃がつぶやいた。

「もううんざりだわ。あなたもあなたの自慢のお兄さんも!」

「伊織ちゃま……」

 アリアはぽかんとした顔で私を見ている。

「分かる? 私ね、あなた達とこれ以上一緒にいるくらいなら、もう奴隷商にでも売られた方がましなんじゃないかって思ってるの。私、頭がおかしくなったのかしら? あなた達はどうしてそうなの? 私にこんな扱いをしておきながら、自分達の望むように私がふるまうのがどうして当然なの? 何様のつもりなの? 私、あなた達みたいな傲慢な人間が嫌いだわ」

 顔をあげてカイザーを見ると、鬼のような形相だった。

 もう何を言ってるのか自分でも分からなかった。


 アリアは真っ青な顔になり、やがて涙ぐんだ。

 そして何も言わずに部屋から走り去った。

 

 カイザーの腕が上がった。

「殴るの? 女を殴ってそんなに楽しい? 最低の男ね! いくら花嫁を探しても無駄よ。あなた達なんか誰も愛してくれやしないわ!」

 カイザーは腕を振り下ろした。

「言いたい事はそれだけか? この俺にそんな口をきいてこのままですむとは思ってないだろうな?」

 カイザーの口調が怒りの為に震えていた。

「思っちゃいないわ。奴隷買いにでも売り飛ばすんでしょ? やればいいわ。このままここでおもちゃにされてるくらいならその方がましよ!」

「いい覚悟だ。後で泣きわめいて後悔するがいい!」

 カイザーは私に背を向けて出て行った。

 すぐにカイザーの部下達がやってきて、私に汚い作業服を着せると、いつか見た牢屋に連れて行った。

「アリア様が伊織様には随分なついていらしたので、きっと大丈夫だと思ったのですが」

 彼らはそうつぶやいた。

 私はガラスの部屋に入れられた。

 私の前の花嫁が私を見て、にっと笑った。

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