伊織、怪我をする
私がこの星へやって来てから十日が過ぎた。アリアはというと、友達の家を転々と土産を配るのに忙しく、屋敷へはちっとも戻ってこないでいた。
言葉通りにカイザーは暇なんだろう。私にべたべたとしてくる。
セリナは時々私の所へ顔を出し、世間話なんかをしていくようになった。
朝ご飯はパンとジュースだった。
ジュースは甘いのもすっぱいのも苦いのもあったし、パンもピザみたいなのをいただくんだけど、ちょっと飽きてきた。
お米が食べたいなぁ。
それにコーヒーが飲みたいなあ。
地球を離れてから、コーヒーを飲んだ事がない。私は大のコーヒー好きだから、朝、コーヒーがないと落ち着かない。紅茶みたいなお茶はいろいろな種類があるみたいだけど、コーヒーはないようだった。
頼んでみようかなとも思ったが、やめた。
私はさっさと甘いジュースを飲み干すと立ち上がった。
運が悪かったのだ。私にスープを運んできたメイドさんがいた事に私は気がつかなかった。私が勢いよく立ち上がったせいで、私の後ろにいたメイドの腹に椅子が直撃した。
バランスを崩したメイドの手から盆が落ち、熱いスープのはいった皿が私の背中に飛びついてきた。
「あつっ! あっつ! あついって!!」
私は飛び上がった。それはもの凄く熱く、シャツが背中にはりついた。
「伊織!」
とカイザーが叫んで飛んで来た。
「医者だ!」
カイザーは自分の腰にさしてあった大型のダガーを引き抜くと、シャツを縦に引き裂いた。そのまま、私を抱きあげると、手近なシャワー室に飛び込む。
私の背中をシャワーから出る冷水が冷やした。
「つ、冷た!」
「我慢しろ。すぐに冷やさないと、火傷の跡が残る!」
一体どのくらい時間がたっただろう。私の体はすっかり冷えてしまった。
やがて、自分もびしょぬれになったカイザーがまた私を抱き上げて、部屋まで連れて帰ってくれた。医者の手当を受け、着替えさせてもらった私はうつぶせになって話を聞いていた。
「どうなんだ? 跡が残るのか?」
「いいえ大丈夫でしょう。すぐに流水にさらしたのがよかったですよ、カイザー様」
「そうか」
ほっとしたようにカイザーが言った。
「ええ、ですが、しばらくは痛みがあるかもしれません」
私は横目で医者を見た。
わわ、獣人だ。ブラウンの毛並みがとても奇麗な獣人型宇宙人だった。そう、まるで狼男みたい。だけど指はちゃんと五本あるし、言葉も聞き取りにくくない。のりのきいた白衣を着ている。何だかディズニー映画みたいだな。
背中の痛みが薄れてきたので私はのんきな事を考えていた。
「よかった。ブラウニー、御苦労だったな」
「いいえ。花嫁様がたいしたお怪我でなくてよかったです」
ブラウニーと呼ばれた獣人の医者は私にも会釈をした。
「伊織様、メイドには薬を渡しておきますが、もし痛みが続くようなら、夜中でもかまいませんので、すぐに私を呼んで下さい」
「ええ、お世話になりました」
「それではこれで」
ひょこひょこと獣人の医者は帰って行った。
「伊織、痛むか?」
ベッドに腰をかけたカイザーが心配そうな声で聞いた。
「いいえ、大丈夫よ」
そしてそこへ、
「カイザー様、この者の処分はいかがいたしましょう」
扉を開いて、メイラーが顔を出した。
私は首を回して、扉の方を見た。
開け放たれた扉の向こうに一人のメイドがうずくまっている。何人かの者がその娘の肩を押さえている。
「も、申し訳ございません……どうぞ、お許し下さい……」
涙声で娘が泣いている。
その隣には年配の男が土下座をしてカイザーに許しを請う。
その男には見覚えがあった。船で武器倉庫の番人をしていたおじさんだった。
「カイザー様、何卒お許しを! お願いでございます。この老いぼれの命でよければいくらでもさしあげます。どうか孫の命だけは! お許し下さい!」
孫かあ。扉の隅っこの方でセーラとミミが心配そうな顔をして立っていた。
カイザーは無表情で、
「伊織に傷をつけたんだぞ?」
と言った。
その言葉が疑問系だったのが怖い感じがした。
傷をつけたんだぞ? まさか許されると思ってはいないだろうな、と聞こえたから。
「ち、ちょっと、待って! いったぁ……」
私は慌てて立ち上がろうとして、背中がぎりぎりと痛んだ。
火傷というのは本当に神経に障る痛みだ。
「伊織、じっとしていろ。おい、連れて行け」
「はっ」
「ま、待ってったら。メイラーさん!」
「はい!」
メイラーは直立不動で答えた。
「ちょっと、カイザーと二人っきりにしてくれる?」
「はっ、かしこまりました」
メイラーの瞳はあきらかに私に助けを期待している。娘を押さえ付けた男達さえ、そう見える。ぱたんと扉が閉められて、私はゆっくりと起き上がった。
「伊織、横になっていろ」
「カイザー、あの娘をどうするつもりなの?」
「売り飛ばす。お前に怪我をさせるような者はもう使えないな」
「駄目よ!」
「何故だ?」
カイザーは本気で不思議そうな顔で私に何故だ?と聞いた。
「これは事故なんだもの。誰が悪いってわけじゃないわ。怪我だってたいした事はなかったし。ね?」
「駄目だ」
カイザーはきっぱりと言った。
ううむ、と私は考えた。ここは一つ、色仕掛けで迫るしかないか!
「ね、カイザーお願いよ。そんな恐ろしい事はやめてちょうだい」
私はゆっくりとカイザーの体のほうへ移動した。ゆっくりでないと、背中が痛む。
そしてカイザーの頬に手をやる。
「お願いだから」
「駄目だと言ったろ」
私は膝で立ち上がり、カイザーの頭を抱きかかえた。
耳元でそっとささやいてみる。
「お願い、あの娘を許してちょうだい」
「火傷をしたんだぞ? 許せるか!」
「あれは私が悪かったの。私が急に立ち上がったからいけないのよ」
「駄目だと言ったら駄目だ!」
うーん、強情ねえ。
私はカイザーの膝の上に向き合うように乗っかった。
ドレスのすそが太股までまくりあがる。
カイザーの少し焦った顔。
私の唇がカイザーの頬から唇へと移動する。
「お願いよ。あの娘を許すと言ってよ」
「だ、駄目だ」
「この星の人は皆、家族みたいなもんだって、あなたが言ったのよ? 家族を売ったりするの?」
「……」
「ねえ、カイザー、これだけの組織を率いて戦ってるあなたはきっと凄い人なんでしょう。皆に慕われてるのも分かるわ。あなたはとても魅力的で、あなたの為にならみんなきっと命を投げ出すんでしょうね。あなたに嫌われたくない一心で家族と呼んでいた仲間を奴隷に売ったりも出来る。あなたは前に言ってたわね。あなたの船の中ではあなたが神様だって、あなたの思い通りに何でも物事が進む。あなたは誰に遠慮するなく飽きた花嫁を奴隷商人に売る事ができる。でもねあの娘はあなたの家族なの。花嫁を奴隷に売るのとはわけが違うわ。あなたは家族を売ったりしてはいけないの。失敗なんて誰にでもあるわ。そんな事でいちいち家族の命をかけたりしてはいけないの。そうでしょう?」
カイザーは黙って私の言葉を聞いていたけど、すねたような顔をしていた。
「それはお前の願いか?」
「願い? ええ、そうね。あなたが簡単に人を買ったり売ったりしないようになればいいと思うわ」
「分かった」
とカイザーが言った。
「そう! 良かったわ!」
「あのメイドを罰するのはやめよう」
「カイザー! ありがとう!」
「……いや、それがお前の願いならしょうがない」
とカイザーが言った。
「よかった! よかったわ」
「伊織、願いには代償がつきものだ」
「え? 代償?」
「そうだ」
カイザーは私の腰をぐいっと強く抱きしめてから、目を細めて笑った。




