伊織、反省する
私の体は火星警察に拘束された。とても汚い、今度こそ本当の牢屋に押し込められた。
牢屋は不潔で寒々としていた。むきだしのコンクリートの床は冷たく、鉄格子の窓から虫が飛び込んでくる。天井に設置されたカメラがずっと私の行動を監視している。
とても逃げ出せるような場所ではなかったし、もう逃げ出す勇気も気力もなかった。
何度も取り調べ室と牢屋を往復して、何日かが過ぎた。私は火星言語が得意でないので、誰が何を言っても答える事ができなかった。またそれが警察の怒りをかったようで、私は何度も殴られた。
顔がはれて頭ががんがんと痛んだ。
もう、死んでしまいたかった。だが、体からいっさいの危険物は取り上げられている。 首をつろうにもカメラがじっと私を見ているのだ。舌を噛みきるにも食事以外にはさるぐつわをかまされているのだ。
そして、また朝がきた。一日の始まりだ。食事をして、また取り調べられる。また食事をして、牢屋に戻される。そんな一日だった。
だが、その日は食事もなしで、牢屋から出された。
後ろ手に手錠をかけられ、突き飛ばされながら長い廊下を進む。
いつもの取り調べ室の前で止まったが、看守が私の肩をつついた。
もっと進め! と言っているようだった。仕方なく、また歩く。
そこの部屋の前には署長室とかかれたプレートがついていた。
看守がノックする。返事があり、ドアが開いた。
また体をつつかれて、部屋の中に転がり込んだ。
火星人の大男が立っていた。赤ら顔で太った男だった。看守の態度からして、この男が署長だろう。
署長が私に向かって何か問いかけたが、私にそれが分かるはずもない。
ただ、黙って下を向いた。
私の前に大きなデスクがあり、その向こうに椅子があった。
椅子には誰かが座っている様子だったが、私の方には椅子ごと背中を向けていた。
署長が私の前に立ち、私の両肩に手を置いた。
「反省しましたか?」
と署長が宇宙共通語で私に言った。
「反省?」
「そう、反省です」
「ええ、私、人を殺してしまったわ」
「それではもう逃げないと誓いなさい」
「え?」
何を言ってるのか分からなかった。言語の違いだろうか?
だけど、もう考えるのも嫌だ。
「反省しました。もう逃げません」
逃げずに罪をつぐなえという事だろう。
私は下を向いて小声でつぶやいた。
「それはよかった。こうおっしゃってますが?」
署長が私の前からどくと、デスクの椅子がくるりとこちらを向いた。
「それなら、ここから出してやってもいいぞ」
と聞き覚えのある声がした。私は顔を上げた。
「カ……イザー……」
にやにやと笑っているカイザーが署長室の椅子に座っていた。
「伊織、今度こそは懲りただろう。何日かここに入れておいたのはお仕置きだ」
「カイザー……私はあなたの部下を殺したわ」
「伊織、お前が判断しろ。俺と一緒に行くか、ここに残るかだ。ここに残るって事は地球どころか、二度と太陽さえおがめない」
「どうして、あなたとならここから出られるの。ここは警察でしょ」
「ああ、ここは最近俺の縄張りになった。お前と出会った場所だからな。傘下に入れておいた。だが、お前がここに残ると言うなら、残念だが……」
カイザーの花嫁になるか死刑になるか?
私には選択の余地は一つしかなかった。もう疲れきっていた。
「……一緒に行くわ」
私にそれ以外のどんな言葉が言える?
私が死刑よりもカイザーを選ぶ事を誰が責められる?
「いいだろう。署長、伊織は正当防衛だ」
「かしこまりました」
署長がそう言い、私の腕から手錠が外された。
「さて、帰るぞ。伊織、結婚式が迫ってるんだ」
カイザーはそう言って笑った。
久しぶりに風呂に入った。
体中が汗とほこりで汚れていたのだ。何度も体を洗って、私はようやく落ち着いた。
部屋ではアリアが唇をとがらせて私を待っていた。
「伊織ちゃまったら、酷い! アリアをおいてどっかに行っちゃうなんて!」
「ごめんなさい」
「ま、いいよ。許してあげる。帰ってきたんだから。ね、これを見て!」
アリアの合図で桜が大きな箱を持ってやってきた。
中から出てきたのは、真っ白いウエディングドレスだった。
「どう? アリアがデザインしたの。ここについてるのはダイヤモンドを星の形にカットしたものを縫いつけたのよ!」
真っ白いドレスはとても美しく、豪華だった。
「ダンテが苦労してカットしたんだから。このダイヤモンド、結構たくさん使ったのよ。総額二千万クレジットぐらいかかったかな、ダイヤだけで」
「に、二千万ですって?」
「そうよ。それもくずダイヤじゃなくて、いい奴を使ったんだから! ダンテがもったいないって泣いてたわ!」
「これだったのね? 何やら企んでたのは」
「そうよ! ね、素敵でしょう?」
「そ、そうね」
「でもねえ」
アリアはあごに手を置いて言った。
「伊織ちゃま、やせすぎよ。サイズが違っちゃったかな。もう少し太ってくれないと、ドレスが合わないわ!」
アリアがうふふと笑った。無邪気な笑顔だったが、私には恐ろしいほど綺麗な笑顔に見えた。
「私、人を殺したわ」
と私は言った。
「そうだったかな」
とカイザーが答えた。
「私、あなたの部下を殺したのよ。それでもまだ連れて行くの?」
カイザーは優しくほほ笑んだ。
「もちろんだ」
「私があなたを愛してなくても?」
「そんな事は何の問題もない」
そう言って、カイザーは笑った。
もう、この恐ろしい男についていくしかなかった。
そう思うとなぜか少しだけほっとした。




