本当の気持ち
先ぶれを出してお伺いを立ててから二時間後、ケイトリンからは「ちょっと遅めのランチでも一緒にどうか」と快い返事をいただいたので、私はおみやげの菓子を手に伯爵家を訪れた。
「よく来てくれたわね……って、どうしたのこの世の終わりみたいな顔して」
「あはははは、ちょっと色々とあって」
日よけの設置されたテラスへ向かうと、そこにはおいしそうなパンや魚のムニエル、冷製スープなどが用意されていた。氷は貴重だから、冷たいスープを用意できるのは財力の証である。
席に着くと、ケイトリンは不思議そうな顔をして尋ねた。
「本当にどうしたんです?突然連絡を寄越すから、てっきり婚約が決まったのだとばかり」
そういう受け取り方があったのね!?
私は驚いて目を丸くする。
「婚約だなんて……!違うのよ、結婚話なんて」
「え?まったくないんですの?」
「…………実はそのことで相談に」
食事をとりながら、私はこの一ヶ月間のうちにあったことをぽつりぽつりとケイトリンに伝えていった。
彼女は「あら」「まぁ」「なんてことでしょう」と驚き、けれどとても楽しそうに話を聞いていた。
「素敵!ずっと義姉を想ってきたなんて、まるで恋物語のようだわ!」
ケイトリンは頬に手を添え、どこか遠くに想いを馳せるかのようにうっとりとしている。
「でも、困っているの。急に態度が変わってしまって、恋人にするような扱いを受けたら気持ちが落ち着かなくて」
「あら、お嫌なの?」
嫌じゃないから困っている。
押し黙って俯いた私を見て、ケイトリンはふふふと含み笑いになった。
「よいのでは?嫌ならどうにかして逃げる方法を考えないといけないけれど、ルーシーだって憎からず想っているのでしょう?ならば何も問題なんてないと思います」
「それは、そうかもしれないけれど……」
もやもやした気持ちになってしまうのはどうしてだろう?
姉として認めて欲しくてがんばってきたのに、それがもう叶わないから意地になっている?
それとも、実は嘘なんじゃないかって不安?
自問自答を繰り返すけれど、何も答えは見つからない。
「もしかして、お母様の一件を気にしているの?」
「え……」
顔を上げると、ケイトリンがまっすぐにこちらを見つめていた。
このもやもやの正体に、彼女は私よりも先に気づいたのだ。
「まだ私たちがお友だちになったばかりの頃、確か実のお母様側のご親戚に会いに行ったわよね?そのときに酷いことを言われたって落ち込んでいたのを思い出したんだけれど」
「そういえば、そうだったわね」
あれは私が成人してすぐの頃だ。十六歳になったお祝いに、と祖父母や叔父のいる伯爵家を初めて訪れた。
おじさまは一緒に行くと言ってくれたけれど、私は仕事の忙しいおじさまに遠慮して一人でそこへ向かった。
祖父母は私を見て「アンジェラにそっくり」と喜んでくれたものの、思い出話をするうちに、母がいかに伯爵家に迷惑をかけたかを話し始めたのだ。
婚約者がいたのに駆け落ちをして、お相手の家に巨額の賠償を行ったこと。娘の教育を間違えたと、陰口を叩かれて肩身の狭い思いをしたこと。母の弟である叔父の結婚にも差し障りが出てしまったこと。
おじさまが私を引き取ったとき、「祖父母とはうまく暮らせないかも」という可能性を示唆していたのはこういうことだったのかと納得した。
しかもあのとき、十六歳の私は奇しくも駆け落ちした母と同じ年だった。
祖父母も叔父も、何度も何度も私に念を押した。
絶対に人を好きになるな、と。姿は母によく似ていても、主家の令嬢に手を付けるような男の血が流れているのだから、絶対に公爵家を裏切らないよう誰のことも好きになるなと。
母が父と駆け落ちしなければ私は生まれていなかったけれど、あの人たちの前ではとても母の行動を正当化することなどできなかった。
黙って「わかりました」と言うしかなかった。
「ジュード様とは、誰からも反対なんてされていないんでしょう?安心して好きになれるわよ?」
ケイトリンからすれば、好きになっていい相手を好きになりたくないと葛藤するこの気持ちは理解できないんだと思う。けれど、いざ好きになってもいいと状況が整っても、自分の気持ちがうまく解放できないのだ。
「怖いの。好きになって、関係が変わってしまうのが。姉弟ならば終わりも来ないし、万が一嫌われたとしても一方的にでも「かわいい」「好き」って思っていられるでしょう?」
「それはそうね」
「ジュードにはこれから先、いい縁談もいっぱい来ると思うの。13歳のときから私だけを想ってくれていたのはうれしいけれど、ほかのご令嬢と出会ったらその方のことを好きになる可能性だってあるわ」
「あら、それはルーシーにだって言えることじゃない」
困った顔で笑うケイトリン。私は即座にそれを否定した。
「いいえ、私にはないわ。だってジュードのかわいさは世界一よ!もうすぐ秋が来るけれど、毎年私のために温かいショールを買ってきてくれて、私に気づかれないようにメイドにそれを託すの。でも私はわかっているから「ありがとうございます」ってお礼を言ったら、「余りものをやっただけなのに礼をいちいち言うな!」って顔を赤くして怒るのよ!?かわいすぎでしょう!?ショールが余るってどんな状況!?店でもやっているのかしら!?ってツッコミが止まらないわ」
「うん、あなたがジュード様大好きなのはよくわかったわ」
「そんな……、その、大好きだなんてそれはその」
指摘されると急激に恥ずかしさがこみ上げる。
けれど、そんな私を見てケイトリンは意地悪く口角をあげた。
「ねぇ、気づいてる?前までは、同じことを言っても『そうなの大好きなの!』って全力で肯定していたのよ?けれど今は、そうやって照れてる」
「!?」
「もう諦めて、ジュード様を好きだってお返事すれば?」
「でもまだ一ヶ月しか……」
「時間は関係ないわよ。ね、今日お邸に戻ったらきちんと伝えるのよ?」
ケイトリンは自分のことのようにうれしそうに微笑むと、デザートのチェリーパイをぱくりと食べて言った。
「あ、そうだわ!国立庭園のお花が見ごろらしいの。せっかく来たんだから、悩んでいるよりきれいなお花を見て楽しく過ごしましょうよ。お兄様も家にいるから、連れて行ってもらいましょう」
使用人がすぐにフェルナン様の部屋へ向かい、おでかけの準備が始まる。
この兄妹の力関係は、妹の方が圧倒的に強い。フェルナン様に拒否権はないようだった。
帰ったら、ジュードに気持ちを伝える。何度もそう胸の中で繰り返し、しばしの安らぎを求めて国立庭園へと出かけるのだった。




