手打ち
「――ほう、なるほどな。若いというのはいいものだな、うむ」
醤油ラーメンのスープを綺麗に飲み干し、イモリッチは満足げに嘆息した。
彼の前にはすでに空になった器が4つ重ねられている。
隣に座っていたアスモデが憤然と噛みつく。
「今のオチのどこに“いい”ポイントがあったのよ? ひどい目にあったんだからね、こっちは!」
墜ちてコブや青あざを作ったことより、睦言を邪魔されたことが許せないようだ。
ヤス的にはナイスアシストであったのだが。
「ふむ、お嬢さん。怒るとせっかくの食事が台無しになるぞ。美味しいものを頂く時は、いつでも明るく楽しくだ」
「おっ、さすがイモ男爵。いいこと言うぜ」
調理の手を休めず、ヤスはすかさず調子を合わせた。
偽ウロボロス騒乱から3週間。
王国軍はとっくに魔王城から去り、王都の復興も始まっている。
謎の大魔獣による損害が甚大である為、魔王討伐は中止となった。
実際のところ、魔王城と王都は互いに護りの要を失っている。
クローリクの悪行は到底公表できないほどひどい。おまけに魔王は勇者を人間に戻してしまった。
密かに会合がもたれ、魔王とラクノー王国は手打ちをしたのだ。
泡姫無双とオロシアとの交易も再開された。
あまり派手にやらない限り、王国は目をつぶる約束だ。
「あたしの分はまだじゃないの! てか、ラーメン作れるようになったの、あたしのおかげでしょ」
ヤスがラーメンの屋台を出せるようになったのは、つい先日のことである。
さっそくイモリッチ男爵を魔王城に招待し、ラーメンを振舞っているのだった。
王国との交渉を仲立ちしてもらった謝礼としてである。
マルガレーテはアスモデの前に器を置き、営業スマイルを繰り出す。
「味噌ラーメン、おまちどうさまです!」
「ふん。聖堂騎士が魔王城の料理人なんてやっていいのかしらね」
言いながらもアスモデはちゃっかり器を受け取った。
「わたしはもう聖堂騎士団から退団してますよ。料理はまあ、趣味でお手伝いしているだけです」
マルガレーテは王室直属の騎士となった。
勇者ではなくなったが、彼女の清廉潔白な性格と高い実力が評価されたのだ。
クローリクに協力していたのは、コード・ブックの強制によるもので彼女のせいではない。
何より、一連の騒動についての裏事情を熟知している。
現在は王国派遣の駐在武官となり、魔王城に居室を与えられている――のだが、実態的にはヤス専用の料理人であった。
「それにわたしもラーメン作りには貢献してます。こうして調理もしてますし、何より麺を打ったのはわたしなんですから!」
自慢げに胸を張るマルガレーテ。
アスモデはふーふーと麺を冷ましつつ、言い返す。
「あたしが汲んでおいた水を使ったから、成功したんじゃない! そうでしょ、ヤっちゃん!!」
失敗続きだった麺作り。
マルガレーテが何度試しても、うどんのような麺になってしまう。
知識のないヤスには理由がわからず、行き詰っていた。
ラーメンの麺作りに欠かせないもの――かん水を使っていなかったのだ。
かん水はアルカリ性の水である。
これを小麦粉と混ぜることで麺にコシとつやが生じる。さらには独特の色と香りも与えてくれるのだ。
そして泡姫無双の温泉は、アルカリ性であった。
「もともと化粧水を作る為に汲んできたのよ、あれ。勝手に使ってさ!」
アルカリ性の水は肌を保湿し、なめらかにする効果もある。
アスモデは泡姫無双のサキュバス達からそれを聞き、瓶に詰めておいたのだ。
この瓶をうっかり調理場に置き忘れ、ヤスが使ってしまった……という経緯であった。
「わかったわかった。確かにお前のおかげだ。わかったから、さっさと食え」
アスモデはいまだ不満そうだったが、食べ始めると夢中で麺をすすり出す。
彼女は特に味噌ラーメンがお気に入りなのだ。
「タコ焼きやタイ焼きもよかったが、このラーメンという奴は特に素晴らしいな! 国民食になるのも、うなずける!!」
すっかり感服しているイモリッチ。
マルガレーテは不思議そうに尋ねる。
「でも意外でした。閣下はもっと繊細な料理をお好みだとばかり……」
「うむ、確かにな。これはジャンクだ。だが、これのおかげで食することへの情熱がよみがえった。食べ飽きたはずの料理すら、新鮮な気持ちで味わえるようになったのだ。毎日食べてはやはり飽きるだろうが、もはやわしにはかかせない刺激だ。特にラーメンはな!」
熱く語るイモリッチにマルガレーテは若干引き気味だ。
「な、なるほど。でも、少々召し上がり過ぎではないですか?」
「何を言う。わしはそうそう気軽には食べられないのだぞ!? どうせなら全種類食べたいではないか!!」
その言葉はヤスの記憶を引っ掻いた。
クローリク……いや、宇佐義のオヤジとの思い出話だ。
あの時、ヤスはまだ中学生だった。学校には行っていなかった。
つまらないケンカに負け、ぶちのめされて繁華街の冷たい路地裏に転がる羽目になった。
そこに酔った宇佐義が通りかかったのである。
――おいおい、何やってんだ、おめぇ。地べたで寝るのが好きなのかよ。
ヤスの父親は負け犬だった。
酔っては息子を殴り、素面になると泣いて謝る。その繰り返しだった。
宇佐義は真逆だった。
普段は酷薄そのものなのに、酔うと親切で気前がよかった。
宇佐義は見ず知らずのヤスを助け起こすと、ラーメン屋台に連れて行ったのだ。
何を頼めばいいのかわららず、ヤスは戸惑った。
外食の経験などほとんどなかったからだ。
すると宇佐義はからからと笑った。
――どうせなら全種類食っちまえよ。腹減ってんだろ、小僧。ひははははは!
全種類とはいかなかったが、ヤスは3杯食べた。
こんなに美味い飯は初めてだと思ったのだ。あの時のラーメンの味は決して忘れられない。
――結局、組に入った後も酔ったオヤジと何度かラーメンを食いに行ったっけ。
この経験はヤスの根深いところに刻まれている。
鬼島も宇佐義のこうした側面にほだされていたに違いない。
それもこれも、もう終わってしまった話なのだ。




