恫喝
「うおおい、落ち着けよアスモデ! 今、そんな場合じゃないだろ? 文句は城に帰ってからゆっくり聞いてやるから、ここは」
ヤスの言う通り、周囲は未だ戦闘の真っ最中である。
だが、アスモデは提案を一蹴した。
「るっさいっ! 大概にしなさいよ、このドチンピラっ!! あたしとの契約、何だと思ってんのよっ!?」
「そんなこと言われてもなぁ。仕方がねぇだろ、あの場合」
他に手はなかった。少なくともヤスには思いつかなかったのだ。
結果はよかったのだからいいじゃないか――と返した言葉は、アスモデの神経を逆なでしたらしい。
「ああ? 要するにキミ、反省してないわけね? 何なら契約破棄して、とことん搾り取って逝かせてやってもいいのよ……!?」
凍るような視線と、ドスの効いた声。
抜群の美貌を誇るだけあり、恫喝するアスモデの迫力はまさに般若の如きである。
さすがにこれはヤバい。無条件降伏するしかない。
ヤスもそう思わざるを得ないほどの完璧なマジ切れだった。
「わ、わかった、悪かった。反省してるって! 怖いから、そう凄むなよ」
「ほんっとうに、わかったでしょうね!? 次にあんな真似をしたらきっちりここで詫びてもらうわよ!!」
がっと股間を鷲掴みにされる。ぞくりとするものがヤスの背筋に迸った。
確かにこれは脅しとして成立している。性的な快楽はサキュバスが振るえる最大の暴力なのだ。
割って入ったのは、地を踏み締める小さな音だった。
アスモデは虚を突かれ、目を見開く。
「な……っ、何で勇者まで無事なのよっ!?」
いつの間にかマルガレーテが立ち上がっていた。
まだ身体がふらついていたが彼女も鎧の胸当て部分が砕けただけのようだ。
ヤスはお気楽そうに口を開く。
「おお、マル子。その様子じゃ大丈夫だったみたいだな」
「……大丈夫じゃありませんよ。本当に、特に礼拝堂では死ぬほど驚いたんですから!」
「あー、そっか。悪かったな、そりゃ」
マルガレーテはヤスに視線を据える。
ついさっきまでほとばしっていた殺意の奔流はすっかり消え失せていた。
そっとつぶやくように、
「ねぇ、ヤスさん。あなたは魔王だったんですか?」
「まあな」
「また、そんな、あっさり!」
「もったいぶっても仕方ねぇだろ」
「そうかもですが、どうして何も……いえ、話せるはずがないですよね。愚問でした」
「うむ。だな」
「むしろヤスさんなら大っぴらに言いそうでもありますけどね。うははは、俺は魔王ヤスだぞーって」
「おいおい、ひでぇな。まあ、違うとも言わんけどな、うははは!」
長々と嘆息するとマルガレーテは剣を鞘に収めた。
呆れたような、困ったような様子だった。
「お前だって勇者になるって言わなかったし、おあいこだろ」
「仕方ないじゃないですか。勇者の本名は秘匿する決まりなんです」
オキロで再会した時、マルガレーテは勇者化の途上だった。
おかげでひどく体調が悪く、ヤスの再契約を嗅ぎつけることさえできなかった。
完全に勇者になると能力が底上げされる代わりに本人の人格は薄れてしまう。
思考も単純化され、ひたすら魔王を殺すことだけを考えるようになり、他のことには目もくれなくなる。
まさに兵器になるのだ。
「ただ、それも――すっかり壊されてしまいました」
「俺が撃った弾は、ちゃんと命中したみてぇだな」
満足そうにヤスはやりと笑う。
彼は勇者ではなくコード・ブックという概念を撃ったのである。
礼拝堂でマルガレーテの動きを止めた時のように。
「はい。わたし、もう勇者ではなくなってしまいました」
薄い苦笑には、迷い子のような心もとなさがあった。
「んじゃ、俺んとこにこいよ、マル子」
「――えっ?」
「麺を作るミッションがあったろ。あれをクリアしないと俺のミッションも終わらない。ラーメンが作れねぇからよ!」
「ヤスさん……」
二人を交互に見やった後、アスモデはヤスを背に隠すように前に立った。
「ちょっと待ちなさいよ! 何の話か知らないけど、あたしは許さないわよ。あんたはヤっちゃんを何度も殺そうとしたじゃない!!」
アスモデは本気で怒っていた。
表情を一変させると、マルガレーテも冷然と言い放つ。
「愚かな悪魔ですね。勇者は魔王を討つ者です。そこには何の言い訳もいらない。わたしは誤魔化すつもりも詫びるつもりも毛頭ありません。必要ありませんから」
「何ですって!?」
「そして聖堂騎士は悪魔を狩る者です。わたし達、特に淫魔には容赦がありませんよ」
わずかに身じろぎをするマルガレーテ。
戦闘準備を整えたのだ。いつでも剣の柄に手を伸ばせるように。
すっと眼を細め、アスモデは合点がいったとばかりに首肯する。
「――ああ、そっか。やっぱり、あんたがそうなのね。勝手にあたし達の契約を解除した身の程知らずは」
「身の程知らずはどちらですか? 聖堂騎士の筆頭にサキュバスが一人で相対するなんて。控えめに言っても自殺行為では?」
「あたしは命張って魔王の情婦やってんだよ!! なめるんじゃないわよ、糞ビッチっ!!」
アスモデはついに双剣を抜き放った。
己の負傷も相手の強さも承知の上で、しかし一歩も退くつもりはないのだ。
「まるでならず者の言い草ですね。冒険者ギルドの人達の方がまだ品があります」
「うるさいんだよっ!! 他人の男に手を出すとどうなるか、その貧相な身体に刻んであげるわ! この貧乳騎士っ!!」
「んなっ!?」
ががーんとショックを受けるマルガレーテ。
アスモデの挑発に言ってはならない単語が含まれていたらしい。
「何、気にしてたのかしら? まあその抉れ胸じゃ、どう頑張っても男を喜ばせるなんて無理よね。ああ、だから教会に入ったのかしら? かわいそうに」
「……あ、悪魔に何を言われようがいちいち気にしませんが、いちいち契約を解除するのも面倒です。この際元を断つべきでしょうね……!」
ぎりりと歯を噛みしめ、マルガレーテも抜刀した。
「ふん、やれるもんならやってみな! 教会のド腐れ女っ!!」
「おいおい、お前ら仲良くしろとまでは言わねぇが――」
彼女達から同時にきっとにらまれ、ヤスはびびった。
「ねぇ。何でこの糞ビッチを撃たなかったの? 勇者を撃つって約束したよね、ヤっちゃん」
「ちゃんと淫魔は危険だって教えましたよね? 何故、また契約したんですか? ヤスさん」
漂う空気は険悪を通り越し、瘴気と化している。
死地だ。いつの間にか、ここは危険があぶないデンジャーゾーンになっていた。
知って突っ込むほどヤスは命知らずではない。
「――言わねぇが、本人達が納得の行くようにするのがいいな。うむ、それがいい!」
ぽんと手をたたき、ひらひらと掌を振る。
「まー、そういうわけで俺のことはお構いなく、当事者同士で思う存分雌雄を決してくれ。ほら見合って見合って!!」
あっさりと撤退を決め込むヤス。むしろ煽るような態度に豹変していた。
もはや両者の激突は止めようもないと思われた。
ところがまさにその刹那、大聖堂が噴火したのである。
地響きを伴い、爆炎が湧き上がった。
大聖堂のドーム屋根は崩壊し、無数の破片が周辺区域に落下する。
火事見物に集まっていた野次馬達は悲鳴を上げて逃げ散る。
そして濃密な黒煙の中からソレは姿を現した。
「な……んじゃ、ありゃ……っ!?」




