致死量
クローリクの問いにイノークは眉をしかめた。
意味がわからないのだ。
「ああ? 何の話じゃ?」
「そうだ、鬼島だ……鬼島じゃねぇかっ!! ちくしょう、そういうことか!! それで俺を……こ、この恩知らず共っ!!」
恐慌と激昂がクローリクを駆り立てた。
震える膝を抑えて立ち上がると、イノークに指を突きつける。
「誰がてめぇらを拾ってやったと思ってやがる!! てめぇらは俺に従えばいいんだよ! 俺に使われて当然だろうが! 俺ぁ、てめぇらの親だぞ!! それをこんな、逆恨みなんぞしやが――」
かつっ、と何かが軽く手にぶつかったような感触。
クローリクは反射的に確かめようとして――絶叫した。
「ぎぃやあああああああーっ!? う、腕が! 俺の腕がぁーっ!!!!」
ひじから先がない。石斧ですっぱりと斬り飛ばされていたのだ。
血飛沫が噴き、クローリクは足をもつれさせ、転倒してしまった。
イノークは面倒そうに鼻を鳴らす。
「キジマだら、誰じゃ? んな奴ぁ、俺ぁは知らんわい」
「あ、ああああっ! ……ちっきしょぉぉぉっ!? 痛てぇ、痛ってぇぇぇーっ!!」
尻もちをついたまま後退りするクローリク。もはや正気を失いかけているようだ。
イノークは大儀そうに石斧を振り上げた。
「ひひひ、痛てぇ……ひ、ひははは……はははははーっ!!」
握りしめていた注射器をずぶりと自分の首に突き刺す。
掌を押し子にあてプレイズの原液を――致死量の千倍を注入した。
「かはっ! あああ、ああああ……」
瞳孔が開き、意志の光が消え失せる。
仰向けに倒れ、びくびくと痙攣した後、クローリクの呼吸は停止してしまった。
困ったのはイノークである。
「あ? おーい? おおーい、死んだか? 死んじまったか、人間よー?」
当然ながら返事はない。
どうやらクローリクは自殺してしまったらしい。
ドーム天井が崩れ、がらがらと瓦礫が落下。遺体は埋もれてしまった。
ぼりぼりと顎をかき、イノークはめずらしくため息をつく。
残念ながら、ヤスの命令は果たせなかった。さすがに同じ人間を二度も殺せない。
「むぅ、すっきりせんが……ま、ええか。おおそうじゃ、まだ勇者がおるわ。あいつは俺がやらんとのうっ!!」
気分の切り替えにオークが手こずることはない。
早くも頭の中は勇者との戦いで一杯になってしまっている。
中庭へ戻るべく、イノークは踵を返した。
地獄の窯が蓋を開いたのは、その時だった。
□
轟く銃声が中庭に鳴り響く。
着弾の衝撃に押されたのか、マルガレーテはぐらりと傾ぎ、仰向けに倒れた。
ヤスは前のめりに崩れ落ちる。
「ヤっちゃんっ!! ちきしょうっ、何て馬鹿な真似を……馬鹿、馬鹿、馬鹿ぁーっ!!」
駆け寄り、アスモデが手を伸ばした時――ヤスはむっくりと身体を起こした。
「あー、びっくりした。さすがにびびったぜ」
「ええええーっ!? な、何で平気なのよ、キミ!?」
「お前こそ大丈夫だったのか? ばっさりやられたから、びっくりしたぞ」
「あ、あたしはヤっちゃんが貸してくれたアイテムがあったから……」
アスモデは胸にさらしを巻いていたのだ。
背中の服は切り裂かれてしまったが、おかげで深手は負わずに済んだのである。
さらしの特性“刃物に対して無敵”は伊達ではなかったのだ。
結果、マルガレーテの剣は刃先が潰れ、なまくらとなってしまった。
だからヤスとの戦闘時、棍棒を両断し損ねたのだ。
「……まあ、さすがに無事ってわけにはいかなかったけど」
アスモデは右の肩口を浅く斬られていた。
血は止まっているが、傷は焼け爛れたようになり、薄く煙までたなびいている。
聖なる力が宿った剣はかすめただけでも悪魔に大ダメージを与えるのだ。
よく見れば、さらしの方も寸断されかけている。
勇者の剣とさらしの対決は引き分けだったらしい。
「とにかく、あたしのことはいいのよ。キミ、ちょっとちゃんと診せて!」
押し倒すような勢いでアスモデはヤスに取りつき、彼の身体を調べた。
服はあちこち焼け焦げ、ぼろきれになっている。
しかし、腹には棒で突かれたような赤い痣があるだけだ。
「うおい、撫でまわすな! こしょばいだろ!」
「――嘘、何で? 銃弾が貫通したはずなのに……?」
「どこも怪我はしてねぇよ。ふん、俺の思った通りだったぜ!!」
ヤスの銃は常識を凌駕する“一撃必殺”の効果を持つ。
最初に撃った時は、魔王城の天井どころか屋根まで貫通し、結界さえ破壊した。
次は聖遺物であるゴリアテをばらばらになるまで破壊した。
しかし、乗っていたマルガレーテは無傷だった。
これは偶然ではない。
ゴリアテは命中した胸部だけなく、全身をまんべんなく破壊されていた。
末端の手足や頭に至るまで完全に壊れていたのだ。
逆にマルガレーテを直接を撃った時は、彼女の動きを封じただけだった。
これも銃弾が斬り払われたからではない。
ヤスの狙いが“マルガレーテを止める”ことだったからだ。
「つまりだな。こいつは“狙ったモノだけを一撃でぶっ壊す”銃ってわけだ」
魔王城や礼拝堂では特に狙いを定めなかった。
そのせいで破壊の範囲が野放図に広がってしまったのだ。
「じゃあ、さっきはちゃんと勇者に狙いを絞ったからヤっちゃんは無事で済んだってこと?」
「おお、多分な。いやー、正直ヤケクソで賭けてみたんだが、まさかビンゴとはな! うはははは、この勢いで宝くじでも買いたいところだぜ!」
「……へーえ。そんないい加減な根拠で自分を撃ったわけ、キミ」
ひんやりした冷気を感じる。遅まきながら地雷を踏み抜いたことにヤスは気づく。
アスモデさんはお怒りだった。激怒りだった。たぐいまれな勢いで怒髪天を突きまくっていた。
「ふっっっっっっざけんじゃないわよ、こんの馬鹿ったれーっ!!!」




