おしおき
とにかくクローリクを始末する――ヤスはこれまでそう考えてきた。
すべてはオヤジを片付けてから。他のことはそれからだと。
そんなはずはなかった。魔王にとっての脅威は何よりもまず勇者なのである。
諸々を先延ばしにした結果、ツケはアスモデが支払う羽目になった。
マルガレーテはヤスがどうにかしなくてはならないのに――
「くそっ、この馬鹿野郎ぉぉぉーっ!!!!」
跳ね起きる勢いのまま、ヤスは棍棒を振った。
手加減なしの猛烈な一撃だったが、マルガレーテは剣を滑らせ、棍棒をするりと流してしまう。
剣先が翻り、ヤスの頭に振り下ろされた。
「ぐうっ!!」
横倒しに構えた棍棒に阻まれ、刃はヤスに届かなかった。
両手で棍棒を支えるが、勇者の剣はぐいぐいと押し込まれてくる。
――マジかよ!? 何つう、馬鹿力だ!
一方、マルガレーテは不審を覚えた。
魔力付与されているにせよ、棍棒は棍棒だ。トロの剣を防ぎ得るほどの硬度があるはずはない。
理由を考える間もなく、アスモデが身体を起こす。
「こんのっ、糞っ、ビッチぃ……っ!」
「――!?」
倒したはずの悪魔が動き、驚いたのか、マルガレーテの力が緩む。
ヤスは一気に彼女を押しのけた。
「うおらっ!! おしおきだ、マル子ーっ!!!」
遮二無二棍棒を振い、ヤスはマルガレーテを攻め立てる。
攻撃、攻撃、とにかく攻撃だ。技量に劣るヤスが受けに回れば瞬殺されてしまう。
彼女が態勢を整えないうちに一撃を入れないと――
「うおおおおおおおおっ!! この、この、このぉっ!!」
だが、入らない。
何度やってもクリーンヒットはもちろんかすりさえしない。
怒涛の攻めにマルガレーテはやすやすと追従している。
ようやく立ち上がったアスモデが介入した。
「ヤっちゃん!!」
双剣の斬撃にはキレがなかった。
回避と同時に放ったマルガレーテの蹴りがアスモデに突き刺さる。
「あぐぅっ!」腹部を蹴られ、再び地に転がるアスモデ。
ヤスは歯を喰いしばった。
アスモデがくれたチャンスを無駄にはできない――ヤスは遊びのない、まっすぐな打撃を叩きつけた。
最高速度、最大威力で思い切りスイングする。
しかし勇者には通用しなかった。
がんっ、と重い衝撃。
ヤスの手は万歳をするように跳ね上げられた。
棍棒が――ない。
マルガレーテは狙い澄ましたタイミグで鋭く剣を薙ぎ払い、ヤスの手から武器を跳ね飛ばしたのだ。
くるくると宙に舞う棍棒を反射的に目で追い、手を伸ばす。
瞬間、ヤスは己が致命的な誤りを犯したことに気づく。棍棒を追った結果、勇者に背を向けてしまったのだ。
――やべぇ、しまったっ!
後方でマルガレーテが剣を構えるのがわかった。
「魔王ぉぉぉ……っ!!」
手遅れだ。棍棒をつかむのは間に合わない。向き直ったところで真っ二つにされるだけだ。
もう何をする時間もない。できるとしたら、精々――
「死ぃぃぃぃねぇぇぇぇーっ!!!!」
裂帛の気合と共に踏み込み、マルガレーテは剣を振り下ろす。
ヤスは背を向けたままだ。彼の反射速度ではもう対応できない。
何かできるとしても指一本を動かすのが精々だろう。
この一撃で使命は果たせる。だから余力を残す必要はない、とマルガレーテは思った。
勝負はついた、はずだった。
「ぶっ壊れろーっ!!」
「――っ!?」
驚異的な動体視力で勇者はすべてを見届けた。
轟音と同時に発砲炎が魔王を包む。
ヤスは己の腹を撃ったのだ!
身体を遮蔽物とし、すぐ真後ろに迫った相手を狙い撃つ。
しかもマルガレーテは斬撃の途中。回避も斬り払いも不可能なタイミングだった。
ヤスを貫通した弾はマルガレーテの胸部に命中。
ミスリル鋼の鎧と聖なる加護を突破し、“一撃必殺”の銃弾は勇者ゼクスを完全に破壊した。
「あぐああああああーっ!?」
破砕音と共にマルガレーテは絶叫する。
魔王による聖堂勇者の打倒。
ラクノー王国の歴史上、初めての出来事であった。
□
大聖堂に接続する回廊は煙でもやっていた。すでに避難してしまったのか、人影は見当たらない。
袖で口元を抑えつつ、急ぎ足でクローリクは進む。
「糞、糞、糞っ! ふざけやがって、チンピラがっ!!」
「猊下、お早くっ!」
先導していた聖堂騎士が大扉を開く。とたん、濃厚な煙が噴き出した。
大聖堂の中は炎の海になっていた。ここを突っ切ればすぐ外に出られるのだが、とても無理だ。
「く――っ! こ、ここはダメです!! 別の出口――んなっ!?」
先導していた騎士は振り向いたとたん、顔をゆがませた。
煙を巻き、クローリク達の背後に巨大な幽鬼が迫っていたのだ。
「がははは、逃がすかよっ!! おうらぁーっ!!!」
躊躇なく石斧を叩きつけるイノーク。
振り向く間もなく、後衛の聖堂騎士はぐしゃぐしゃの血袋になってしまう。
クローリクは燃え盛る大聖堂へ転がり込んだ。
「ひいいいいっ!! な、何とかしろぉっ!!」
大慌てで騎士の後ろに隠れるが、もうそれ以上は下がれない。
石斧で死ぬのも火で死ぬのも、同じことだった。
「ぬうっ! こ、この化け物め……っ!」
脂汗をかきつつも騎士が剣を構えたのは、聖堂の戦士たる意地の証であったろう。
しかしながら誰の目にも結末は明らかであった。
「猊下、お覚悟を……! 残念ながら私だけでは太刀打ちできません!!」
「ばっ、馬鹿野郎、それでも聖堂騎士か! そ、そうだ! こいつを使えば……」
クローリクは法衣をまさぐり、革張りのケースと小瓶を取り出す。
ケースの蓋を開くと中には金属製の注射器が入っていた。慌てて小瓶の中身を吸い上げる。
「!? それは……まさか、プレイズの原液では!?」
「心配するな、てめぇはもう充分仕上がっているからよ。このくらいは耐えられるだろ、ひはははっ!! 早く腕を出せ!!」
「無理です! そ、そんなものを打ったら死んでしまいます! わ、私はせめて騎士として誇りある最後を」
「何が騎士だ、ヤク中に誇りも糞もあるかっ!! いちいち俺に逆らうんじゃねぇ! てめぇをどう使うかは俺が決めるんだよ! せめて俺を、俺が逃げるまでの時間稼ぎを――」
捲し立てるクローリク。
だが大司教の罵詈雑言が終わるまで待つ義理など、オークにはない。
「ふんがあっ!!」
「ぐがっ!」
ブーストされた斬撃の速度は勇者にすら匹敵する。
まったく反応できず、最後の騎士は横から真っ二つに両断されてしまった。
「ああ、ちきしょう……ちきしょう、ちきしょう!! ヤスの野郎めっ! ぶざけやがって、糞がっ!!」
もはやクローリクは腰が抜けていた。
のっそりと歩み寄るオークに恐怖の眼差しを向けることしかできなかった。
「ちっ、弱っちいのう。アンタもボスじゃろがい。もちっとしゃんとせいや!」
いらだたし気に一喝するイノーク。
かすかな違和感がクローリクの脳裏をよぎった。
この世界ではない、前世での記憶だ。
「――!? て、てめぇは……鬼島? もしかして、鬼島なのか……!?」




