妄執
魔物の群れが教会本部を疾走する。
礼拝堂、謁見の間、美の回廊――衛士が対応する間もなく、オークは体当たりで跳ね飛ばしてしまう。
物陰から飛び出した人影が素早くヤスに並んだ。
「――旦那! ヤスの旦那!」
「おう、ピーラーか! クローリクの野郎は!?」
大司教は大聖堂で説法を始めたところのようだ。オーツイから事前に聞いた情報は正しかったらしい。だが、ヤスは違和感を覚えた。
――らしくねぇな。俺が王都を目指しているとわかった時点で逃げ出すかと思ったが……。
そうした動きを察知する役をピーラーに担わせていたのである。
しかし結局、クローリクは予定を変えなかったらしい。
「このまま真っ直ぐ進んで中庭を突っ切って下せぇ。反対側のでかい扉が大聖堂に行く近道でさ!!」
多大な報酬と引き換えではあるが、ピーラーはヤスに協力する道を選んだ。
もともと冒険者ギルドは、ラクノー王国の成立時に地位を追われた土着の有力者達が寄り集まってできた組織だ。統一王朝へ忠誠を捧げるのをよしとせず、アウトローに身をやつした者達なのだ。
ピーラーも家系をたどればそれなりの一族の末裔らしい。
「ま、俺はこういう稼業の方が性に合ってますがね!」
「んじゃ、ぶちかますぜっ!! ピーラー、お前も予定通りにな!!」
「へいっ、おまかせを!!」
横道に姿を消すピーラー。
そのままヤス達は中庭へ雪崩れ込み――庭の真ん中まで進んだところで、足を止める羽目になった。
「ぬっ!?」
中庭に面した扉が一斉に開き、大勢の聖堂騎士が出現したのだ。
騎士達は素早く機動し、ヤス達をぐるりと包囲する。
「ち……っ、まーたこれかよ。芸のない奴らだぜ」
とはいえ、罠の渦中にあるのは明らかだ。
聖堂騎士の戦列の背後にクローリクも姿を見せる。
「ここは聖なる祈りの場です。神にあだなす者、魔に連なる者は立ち去りなさい!」
「ほー、逃げてもいいのか? つーか、気持ち悪いしゃべり方はやめろよ、糞ジジィ!」
「――ふん。馬鹿の一つ覚えのカチコミかよ。やると思ったぜ、てめぇならな! だからちゃんと切り札も用意してあるぜ!!」
どうやらヤスの目論見は見透かされていたらしい。
余裕を装うものの、冷たい汗が噴き出す。
――マル子もここにいるってことかよ。くそっ、ヤバいぜこりゃ。
ヤスはふところに忍ばせている銃を強く意識した。
まともなやり方では通用しない。至近距離の銃撃にもマルガレーテは反応できる。反射神経と判断力が桁外れなのだ。
不意を突ける可能性があるとしたら、物陰に潜んでの狙撃しかない。
だがここは見通しがよく、ろくな遮蔽物がなかった。
ましてヤスが隠れるのを敵が見逃すわけもない。
もし隠れることができたとしても、どこかにヤスがいると知っていればマルガレーテは警戒する。
第一、ヤスに動く目標を遠くから狙い撃つ技量などないのだ。
奇策が必要だった。
――ええい、何かねぇのか! 何か……って、何だありゃ!?
異様なモノが現れていた。全身を拘束具で緊縛された若い女性のようだ。
髪も服も薄汚れ、両足首に鉄球つきの鎖までつけられている。
聖堂騎士は彼女を引っ立て、突き飛ばした。目隠しされ、両手両足を縛られてはどうにもならない。受け身も取れず、女性はクローリクの前へ転がった。
得意げな表情でクローリクは彼女を見下ろす。
「何、あれ……? 法術付与の拘束具みたいだけど……」
戸惑うアスモデ。
ヤスはぎりっと歯を鳴らした。
「――マル子だ」
「えっ?」
「あれはマル子だ! 勇者ゼクス……マルガレーテ・フェニクスだよ!!」
「――、――」
マルガレーテは何事か呻いているが、口枷のせいでまったく聞き取れない。
身じろぎする度に拘束具に術紋が浮かび、動きを抑え込んでしまう。
「何でマル子がこうなっているんだ!? オヤジ、てめぇ何しやがった!?」
「ああ? 俺に従わねぇからに決まってるだろうが。たかが武器、たかが道具の分際で俺に逆らうからこうなるのよ!!」
クローリクは襲撃を予測していた。
これまでの魔王ならやらないが、ヤスならやる。故に最も有利に戦える場所――大教会本部での待ち伏せを選んだのだ。
当然ながら最大戦力である勇者は、ここに留め置く必要がある。
だが、マルガレーテは魔王城攻略に参加したがった。
魔王城で魔王を倒すことが、勇者のすべきことだからだ。
大司教であるクローリクの命令すら拒絶し、出撃しようとしたのだ。
「よっほど魔王をぶっ殺したいんだろうが、手札をどう切るかは俺が決めることよ。こっちもいい加減に頭にきてな。ふんじばって地下の穴倉にぶち込んでおいたのよ!!」
クローリクはマルガレーテの髪をつかみ、強引に引き起こす。
拘束具が一斉に外れる。どうやら法術を解いたらしい。クローリクが手を放すとマルガレーテは崩れ落ちた。
「起きろゼクス、毎度毎度寝てんじゃねぇ、ぼけがっ!! おら、お待ちかねの魔王がきたぞ!!」
「は――あ、あああ……ああああっ?」
まぶしそうに眼をしばたたかせて、顔を上げ――ヤスを認識した途端、勇者は咆哮した。
「あああ、がああああああっ!! ま、お゛お゛お゛お゛……っ!」
びりびりと空気が震えた。
殺意だけをみなぎらせ、マルガレーテはヤスをにらむ。
「おうおう、まるで犬だな。もう人間じゃねぇ。狂犬だぜ、こいつはっ! 魔王を喰い殺す狂犬だ、ひははははっ!!」
「コード・ブックのせいだろ。てめぇら聖堂教会がマル子に刻み込んだんだろうが!!」
魔王を倒す。人間にとってそれは崇高な使命だったはずだ。
しかし数世代に渡って積み上げられた結果、腐臭を放つ妄執と化してしまった。
「ククククッ、まさにな!! この世界の連中はみんな馬鹿なんだよ!! コード・ブックの奴隷に成り下がってやがるっ!!」
クローリクは軽蔑しきった嘲笑を浮かべた。
人差し指で自分のこめかみをつつく。
「俺は違う。コード・ブックなんざ、入ってねぇ。ヤス、てめぇと同じようにな!」
「……ふん、そうかよ。だからかよ、糞ったれが」
転生者であるクローリクには、この世界であるべき行動を規定するコード・ブックがない。
だからこそ彼はのし上がれた。だからこそ、ヤスの行動を確信できたのだ。




