偵察
暗雲をまとい、不気味にそびえる黒金の城。
城門は固く閉ざされ、鳴り響く雷光が近寄る者をひるませる。
魔王城は民草からそのようにイメージされていた。
これまでは実際そうだったのだ。
「どうなっているんだ、こりゃ……」
呆然と城を見上げるのは、ラクノー王国軍 先遣部隊の隊長である。
暗雲どころか、ドピーカン。幾日も続いていた雨は上がり、抜けるような青空が広がっている。花々が咲き乱れ、蝶が舞い踊る様は悪の巣窟というよりご近所の公園といった風情であった。完全武装の兵士達より家族連れの方が似つかわしい場所だ。
「――やはり結界は張られておりません」
「ああ、まあ……そうだろうな」
術士の報告は目前の状況を追認したに過ぎない。
魔王城付近の天候がいつも荒れていたのは、大気が結界と干渉していたせいなのだ。
「隊長、あれを」
兵士の一人が指を指す。魔王城の最上階付近はひどい有様になっていた。
「ぶっ壊したのか、誰か……?」
一応修復はされているようだが、大穴を急いで適当に塞ぎました、という体は隠しようもない。まるで屋根をごっそり吹き飛ばされたかのようだ。
おかしな点はそれだけではなかった。様子見の為、斥候に出した小隊が駆け戻ってきた。
「城の周囲を調べましたが、魔物の姿はどこにもありません!」
「一体もか?」
「はい。城内に潜んでいる様子もありません。まるで空城のような……」
護りの結果は城の内外からの攻撃を防いでしまう。つまり、城内から敵を討つこともできない。
だから魔物達は魔王城にこもって勇者の侵入に備える連中と、城外で討伐軍を妨害する連中に別れるのが常だ。しかし今回に限ってはどちらも見当たらない。
――まさか、魔王はここにいないのか……!?
隊長は慌てて術士に水鏡を準備させ、後方にいる勇者ゼクスに問い合わせる。
しかし、勇者の答えは否であった。いまだ魔王は魔王城から動いていない。間違いなくここにいるのだ。
「!? た、隊長! 城門が……開いていきます!!」
「何ぃ!?」
見れば、確かに魔王城の城門はきしみながらゆっくりと開放されている。最後にがごん、と音が鳴り、完全に開いた状態で固定されてしまった。
「ど、どうします? 本隊と勇者の到着を待ちますか……?」
部下の提案に隊長は首を振る。どういう状況かまったくわかりません、では偵察の意味がない。
城外に一隊を残し、先遣部隊は城門をくぐって魔王城へ侵入した。
文献に記録はあるとはいえ、魔王城に入った経験のある者は部隊にはいない。
内部構造は複雑だった。侵入者を真っ直ぐ玉座へ行かせず、伏撃する為の迷路構造なのだ。
幸いにも先遣部隊は迷わず済んだ。壁に案内板が張られていたからである。
「この先、右折……魔王はこの先だと?」
兵士達がいぶかりながらも表示に従うと、本当に迷路を抜けてしまった。
こうなれば行き着くところまで進むしかない。やがて先遣部隊は廊下の行き止まりにある部屋にたどり着いた。
「ふん、やっときたかよ。遅っせぇだろ! 字が読めないのかよ、お前ら?」
だらけた姿勢で一人の男が石段に座っていた。
男の背後には石柱が林立している。柱に囲まれた床に紋様が描かれているところから、何かの魔術装置のようだ。
隊長はすっかり困惑してしまった。
「何だ、貴様は? 人間がここで何をしている!?」
「阿呆か、お前ら。ここは俺の城だぞ。お前らこそ誰だ? マル子……勇者ゼクスはどうした?」
「わ、我々は先遣隊だ! 勇者ゼクスはこの後――いや待て。お前の城だと……?」
そうだ。確かに聖堂騎士団から情報がきていた。
今度の魔王は人間らしい、と。まさかと思った。魔物の王は魔物に決まっているではないか。
まして目前にいるチンピラがそうであるとはにわかには信じられない。
「お――お前が、魔王……なのか? 本当に?」
「おお。ま、そういうことだな」
やれやれと男は立ち上がり、石柱の間へ入って行く。
「ま、待て、動くな!! 何をするつもりか知らんが――」
「そうびびるなって。逃げるだけだ」
「は――? お前……貴様、魔王なんだよな? 魔王なんだろっ!?」
「だからそうだって言ってるだろ。俺が魔王ヤスだ」
「魔王なのに一戦もせずに逃げるというのか!?」
「お前らならともかく勇者がきたらヤバいからな。怪我でもしたらつまらん」
「いやダメだろそれ、魔王として! 魔物で一番偉いのに逃げちゃダメじゃん!? 玉座でこう、フハハハハ! よくぞここまでたどり着いたな、勇者よ! みたいな感じで堂々と迎え撃てよ! 一番の見せ場だろ!!!」
「うるせぇな、ほっとけ。やりたきゃ、お前がやれよ」
「え? じ、自分が……?」
「うむ、いいぞ。まかせたわ。びしっと決めてくれや」
魔術装置が起動し、隊長は我に返った。
どうやら石柱は転移魔術の仕掛けらしい。魔王は本気で逃亡するつもりなのだ。
「いやいや! ちょっと、待てって、おい! 逃げても無駄だぞ! 勇者にはお前のいる場所が」
「わかるんだろ? 知っているって。それより、この城を壊したり汚したりするなよ」
「だから待てって! くそっ、魔王を逃がすな!!!」
慌てて部下達と駆け出すが、もはや手遅れであった。
「俺はまたここへ戻ってくるからよ。留守番よろしくな!」
ひらひらと手を振りつつ、魔王はまばゆい光に包まれ、かき消えてしまった。




