最高の栄誉
夜のとばりが降りる頃、雨はようやく上がった。
魔王城は静まり返っている。魔術的な仕掛けで自動的にかがり火が灯されたが、廊下に動くものの姿はない。
対勇者作戦の為、魔物達は城から出払ってしまったのだ。
「はー、暇だな。テレビもスマホもないもんな……」
魔王の居室でヤスはベッドに寝転がり、天蓋を見上げながらタコ焼きを食べていた。
美味い。タコ焼きはどんな時、どんな姿勢で食べても美味いのだ。
「でもラーメンにゃ、かなわないよなぁ。食いたいなー、ラーメン。いや、俺は食うぞ。絶対にもう一度食ってやるぞ、ラーメンを!!」
「らーめんって、そんなに美味しいの?」
ヤスはよいしょと身体を起こし、「ったり前だろ。いいか、ラーメンってのは――」目前のアスモデに気づき、「うおっ!? びっくりしたぁっ!!」と跳び下がった。
あきれたように目を細め、アスモデは軽くため息をつく。
「キミ、ゆるむ時はホント、ダルッダルにゆるむよね。油断し過ぎでしょ」
「ほっとけ。てか、お前は何してんだよ。ジェイムスン達と一緒に行かないとまずいだろ」
「別にちょっと遅れるだけよ。明日の朝一で出れば充分追いつくわ」
アスモデはベッドに腰を下ろすと身を寄せてくる。
「お? ちょ……」
「しよ。ヤっちゃん」
不思議なことに、アスモデからフェロモンの匂いはしていない。
「は? いやいや、待てよ。契約した内容と違うだろ? 約束したのは俺が死ぬ前に……」
「だから、まさに今がそうでしょっ!!」唇をかみしめ、「あんな作戦、成功するはずないんだからっ!!」と吐き捨てる。
「お前なー、よくないよ、そういう決めつけ。何事もチャレンジだろ。挑戦する心を忘れてはならないんだぞ。何もかもばっちり上手く行って、俺様大勝利の流れだってあり得るじゃねぇか」
「いいえ、それはないわ」
「ああ? 何でだよ」
「あたし、知っているもの」
「はあ? 何をだよ」
「キミ、あの娘を殺す気ないでしょ?」
図星をさされ、ヤスは口ごもる。アスモデはたたみかけた。
「あいつは勇者なのよ。魔王を滅ぼす、ただそれだけの為に作られた存在なの!! もう人間ですらない。オーツイも兵器だって言ってたじゃない。なのに、キミは……どうしてよ!?」
どうして勇者を殺そうとしないのか――そう問うアスモデの表情はあまりに真摯だった。
さすがのヤスも適当な言い訳を口走ることはできない。
「あー、つまり……それは、だな」
めずらしく、ヤスは言葉を探す。
女子供は殺したくない。だが、それはなるべくだ。
マルガレーテは知人だ。だが、それだけの関係だ。
自分や仲間の命より優先するものではないはずだ。
――じゃあ、何でだ?
マルガレーテを殺したくない。断じて嫌だ。
それは嘘偽りのない、ヤスの本音だった。しかし、どうしてなのか。
「……気に入らねぇんだよ」
アスモデはわずかに首を傾げ、続きをうながす。
「気に入らねぇ。役割が何だ? コード・ブックが何だよ? 俺もお前もマル子も道具じゃねぇぞ」
マルガレーテがヤスを殺したいなら、構わない。全力で殺し返してやるだけだ。
だが、ヤスには到底そうは思えなかった。
「誰でも何でもやっていいんだ。やりてぇこと、何でもやればいい。自分がやりてぇことやって、いつかどこかで死ぬ。それが生きるってことだろ」
難しいことではない。
むしろ、ごく単純な話だ。
「命は一つしかねぇんだぞ。他人が雑に使い捨てていいものじゃねぇんだ。そんな風に扱う奴も、従う奴も俺は気に入らねぇ!!」
「……確かにキミは怒っていたよね。勇者が最後は自殺するって聞いた時に」
「ああ、オーツイの野郎はこうぬかしたよな?」
――しかし、それは最高の栄誉でございますよ? 死した後、勇者は法皇猊下よりも上に叙階され、大聖堂にその名が刻まれます。神にすべてを捧げた真に聖なる騎士として称賛され、永遠に語り継がれるのです。だからこそ、みな勇者になりたがるのですよ。
魔王を殺し、最後は自決する。
勇者の役割はそれだ。それがすべきことだ。何の不思議もない、この世界では当然のことだ。
「だけどな、んなことをマル子本人は望んでなかったぞ。あいつは別の道を歩きたかったんだ!!」
約束があった。彼女がいなくてはラーメンだって作れない。
マルガレーテはしたくないことをし、したいことを諦めようとしている。本人の意思ではなく、他人の都合でだ。それが許せない。どうしても納得がいかない。
「だから俺は気に入らねぇ。こんなやり方は断然、気に入らねぇんだよ、わかったかっ!!」
怒りを露わにするヤス。
アスモデはじっと彼を見詰め――唐突に口づけをした。強烈な快楽が弾け、殴られたような衝撃がヤスを襲う。
「――のわっ!! い、いきなり何しやがる!? 契約違反だろ、契約ぅ!」
「ぴーぴーうるさいわね。グレードⅣのサキュバスが相手でもキスの一つくらいで死にゃしないわよ」
髪をかき上げ、アスモデは鋭い視線を放つ。
「キミの気持ちはわかったわ。だけど向こうはそんなもの、知ったことじゃない。もしあの娘がキミを殺す為に目の前に立ったら、どうするの?」
「どうって――」
「今度こそ勇者を撃てるのか、って聞いているのよ」
ヤスの銃は世界の法則をねじ曲げ、絶対的な破壊をもたらす超特級アイテムだ。
恐らくは勇者を倒せる唯一の武器だろう。
「……撃てるさ」
「本当に?」
「ったり前だろ。俺はヤクザで魔王だぜ? ぶっ壊すつもりで撃ってやるわ!」
「本当に勇者を撃つのね? 天井でも壁でもなく、勇者本人を」
「おお、やってやる。勇者を撃ってやるよ!」
「約束……してくれる?」
「は? 何だよ、契約ならとっくに――」
彼女の顔から感情が消え失せていた。何かの分水嶺にアスモデは立っている――そんな危うさがあった。
ヤスは胸を張って請け負った。
「おお、わかった。約束するぜ。マル子が俺を殺しにきたら、俺はあいつを撃つ。絶対にな」
「――そっか。ごめんね、無理矢理言わせちゃったね」
軽くため息をついた後、アスモデは微笑んだ。瑞々しい唇は艶やかに濡れている。
「ね、ヤっちゃん。もう一回、キスしてもいい?」
「うー、いや、ダメだ。止まらなくなったらヤバいだろ」
「あっははははは! そうね。あたしも途中で止める自信ないわ!」
手を叩いて笑い飛ばす。空気まで軽やかになったようだ。
ところが、「さてと」とつぶやき、アスモデはおもむろに服を脱ぎ始めた。
「うぉい、何してやがる! だからヤバいって!!」
透けた下着越しに見事なプロポーションが浮き彫りになり、ヤスは慌てて目をそらす。
「何って寝るのよ。もう遅いから今晩は魔王城に泊まるわ」
「お前の部屋は別にあるだろ! そっちに行け!!」
文句には頓着せず、アスモデはベッドにもぐり込んでしまう。
「あたしに独り寝しろって言うの? 寒いから嫌よ」
「お前なぁ……」
さっさと横になるとアスモデは枕を叩いてヤスを誘った。
「ほら、キミもいらっしゃい。明日に備えてもう寝ましょ」
仕方なく灯りを消し、ヤスもアスモデの隣に横たわった。
だが半裸の美女にすり寄られては、落ち着いて寝られるはずがない――と思ったのだが。
「何か、お前……いい匂いがするな」
「そう? フェロモンは出してないわよ。あたし達、香水もつけないし」
「いや、そういうんじゃなくてだな……ま、いいや」
穏やかで柔らかい、どこか懐かしい香り。
ヤスがまぶたを閉じると、アスモデがそっと手を握ってきた。まるで幼子のように。
何だか可笑しくなり、ヤスは頬を緩めた――瞬間、彼は眠りに落ちていた。
その夜、ヤスはぐっすりと眠った。
これほどよく寝たのはこちらにきてから初めてである。
王国軍が魔王城へ到達したのは、二日後の昼過ぎのことだった。




