調教
激しく打ちつける雨粒に叩かれ、魔王城の窓が鳴っている。
ここ数日、ラクノー王国全土は濃い雲に覆われ、ベカイ地方は特にひどい荒れ模様となっていた。
「我々には恵みの雨ですな。これがなければもう今頃は――」
「魔王城は人間の軍隊に包囲されていたでしょうね。誰かさんのせいでね!」
ジェイムスンの言葉を引き取り、アスモデはじろりとヤスをねめつけた。
「いや、俺のせいじゃねぇだろ。オヤジの奴がだな」
「あらそう? いいえ、そうじゃないわ! マルコ……マルガレーテとか言う、くっっっっっそビッチの息の根を止めておけばよかったのよ!」
アスモデは人差し指をぴんと伸ばし、「キ、ミ、が、ね!!」と、区切りに合わせてヤスの胸をつつく。
あの時ヤスが撃ったのは礼拝堂の天井であった。
結果、岩山ごと礼拝堂は崩落してしまった。
「お陰でずらかれたんだから、いいじゃねぇか。それにだな――たぶん撃っても無駄だったぞ」
「何でよ!? ちょっとの間だったけど、キミの弾はかすめただけで勇者の動きを止めた。ヤっちゃんの思い通りの効果を発揮した。そうでしょ?」
確かにヤスはマルガレーテを殺そうとはしていなかった。単に止めようとしたのだ。
だから銃弾は“勇者の動きを破壊”したのである。つまり勇者が相手でも相応の効果を発揮したと言える。
「キミがちゃんとその気で撃てば殺れるはずよ! 初めて、魔王が勇者を倒せたのよ!!」
「いや、だからだよ。マル子にもそれはバレてるだろ。あいつが大人しく撃たれるわけねぇだろうが」
至近距離で横合いからの銃撃にすら、マルガレーテは反応した。
ヤスを見据えた状態で真正面から撃たれても、また斬り払うか回避するかしたはずだ。
「それはそうかも知れないけど……でも、残り一発しかないんでしょ? 撃つなら勇者を撃たないと殺せないわよ、絶対に!!」
「アスモデール様の仰る通り、確率は低くともやらなければ可能性はゼロになってしまいます。至極もっともなご意見かと」
執事もアスモデに同意する。
ヤスはふんと鼻を鳴らし、腕組みをした。
「んなことより、別荘の方はどうなってんだ? 情報がないことには手の打ちようがねぇぞ」
「さて、状況が変われば水鏡でご連絡頂けるはずですが……」
ぴちょん、と水音がした。繰り返し、繰り返し。
部屋の隅に置かれた、長い脚つきの銀の器。そこに張られた水から水滴が勝手に跳ね上がり、また着水しているのだ。
「おや、噂をすればきたようですな」
にょろにょろと移動し、ジェイムスは器の横についたレバーを引く。
水が一気に盛り上がり、小さな人の形――いや、サキュバスの上半身を形成した。驚いたことにうっすらと色までついている。
『やっほー、ヤス様ぁ~っ♪』
出現したのはラミアの水像であった。
「おお、すげぇな! まるでアレだ、3Dのプロジェ……何とかみたいだな!!」
『あはははは! 何言ってるの、ヤス様ってば。もしかしてアタシの魅力にやられちゃった? なにせこのラミアちゃんは遂に! とうとう! 満を持して! グッレェェェード、Ⅱゥ! になったからね!!』
えっへんと胸を張るラミア。
クローリクとの交渉決裂後、当然ながら泡姫無双は閉店となった。ラミアはその直前に昇格を果たしていたのだ。お陰でサキュバスとしての能力は飛躍的に向上している。
ただし身体機能は若干向上しただけだ。戦闘力は平均的な騎士にも及ばない。
アスモデの卓越した力は純粋に彼女の修練と経験のたまものである。
『無駄話をしている場合ではありませんわ、ラミア。魔王様とお姉様がお待ちなのよ。早くご報告を』
とがめる台詞を追うように、もう一つ水像が出現。モルモの姿になった。
泡姫無双でラミアと競い合ったのが功を奏し、彼女もグレードⅡに昇格している。
『あっ、やっだなー、この娘。自分だけイイコになろうとしてるぅ。昇格したからってぇ、調子に乗っているんじゃないー?』
『おや、自分を貶めるのが好きなのですか。阿呆なのですね、あなたは。もの凄い阿呆なのですね。かわいそう』
『誰がかわいそうかっ!! アンタ、口悪すぎなのよ! 言っとくけど、アタシの方が2時間早く昇格したんだからね!!』
『まあ、たったそれだけの誤差にしがみつくなんて哀れですわ。よほど自己肯定感が薄いのですね。かわいそう』
『いちいちかわいそうをつけるんじゃないわよ、マジでぶっ殺すわよ!!』
周囲をまるっと無視してラミアとモルモはいがみ合いをはじめてしまった。
実際に彼女達がいるのはオロシア国境にほど近い、放棄された砦である。もともとヤスの隠れ家としてアスモデが準備したのだが、泡姫無双にいたサキュバス達の避難場所になっていた。
「いつまではしゃいでいるの、この小娘どもっ! さっさと報告しなさいっ!!」
アスモデに一喝され、ようやくラミア達は報告を始めた。
王国軍の総数は五万。本陣は勇者ゼクスをはじめとする聖堂騎士団が固め、オキロから出撃――など、魔王討伐軍の概要についての情報であった。
「ふん、なるほどな。ガセってことはねぇだろうな?」
『だーいじょうぶだって! このラミアちゃんはグッレェェド――』
『グレードⅡのサキュバス二人がかりで篭絡致しました。オーツイは本人の知る情報を正しく吐き出しているはずですわ』
ラミアを押しのけるようにモルモが答える。
礼拝堂からの脱出時、ヤスは気絶していたオーツイを拉致し、ラミア達に引き渡したのである。
「確かでしょうね、モルモ? 奴はあたし達を嫌悪していたはずよ」
『もちろんですわ、アスモデールお姉様。麻薬の禁断症状による地獄の苦しみ――それを忘れさせるほどの快楽を繰り返し叩き込んで調教致しました』
嫣然と微笑むモルモ。
魅了はともかくフェロモンは聖職者にも有効だ。湯浴みもなしでグレードⅡのサキュバスによる全力全開のダブルサービス。麻薬で不感症になりかけていたオーツイも耐えられるものではなかったのだろう。
『契約こそしておりませんが、オーツイはもうわたくしのもの。わたくしが可愛がってあげなくては、一日だって正気を保てないでしょう』
お陰でオーツイはプレイズの禁断症状から脱しつつあるらしい。すっかり骨抜きにされてしまったようだから、薬物依存からサキュバス依存へ切り替わっただけとも言えるが。
『いや、アンタだけじゃないわよ、アタシだって頑張って搾り取ってやったんだから! アイツ、あんな顔してぎっちぎちに縛られて股間を踏まれるのがツボで――』割って入るラミア。
脳裏にオーツイが搾り取られている様子が浮かび、ヤスは慌ててラミアを遮った。
「あー、そういやオーツイの臭いは大丈夫なのか? 俺にはわからんが、サキュバスにはすげー臭うそうじゃねぇか」
モルモは苦笑して、
『ええ、最初はひどいものでしたが禁断症状が治まるにつれ、臭気が薄れましたの。今はほとんど感じませんわ』
「ふーん……てことは、あれは麻薬経由の臭いだったのかしら?」
つぶやくアスモデにモルモはうなずき返す。
『はい、お姉様。プレイズはバイコーンのツノから精製したそうですね。基本的に魔はヒトを冒します。快楽を得る目的でそんなモノを摂取し続ければ、心身が腐食されるのは必然ですわ』




