手打ち
村は緑の海に呑まれようとしていた。
荒れた道の終点に荷馬車が着くと、ほどなくオーツイが出迎えに現れた。
「お疲れ様です、ヤスダ殿。はるばるとご足労をおかけ致しましたな」
幌つきの荷台から降り立ち、ヤスは周囲を見回した。
「マジでここかよ。ド田舎ってか、ほぼ森の中じゃねぇか」
「だから都合がいいのですよ。昔この辺は鉱山で栄えたそうですが、ずいぶん前に廃村になりましてね。人目がありませんから」
「ほー、あれは人じゃないのか?」
ヤスの視線の先には聖堂騎士達の姿があった。
十数名はおり、荷馬車をぐるりと囲む形に展開していた。みな全身に鎧をまとった完全武装だ。
「俺は丸腰なんだがな。せめて棍棒でも持って来た方がよかったぜ」
「いやいや、彼らは護衛ですよ。どうかお気になさらず」
オーツイはへらへらと笑う。
まあ、荷馬車の御者も聖堂騎士なのだから今さらではある。
「ささ、ヤスダ殿。どうぞこちらへ」とオーツイは先に立ち歩き出した。
岩山をくり抜いて作られた教会へヤスは案内された。
階段を延々と上り、狭い通路を抜けた先は礼拝堂になっていた。色あせた天井画は半ば剥がれ落ち、点在する石像も崩れ、苔むしている。
がらんとした床に真新しい椅子が置かれ、誰かが腰掛けていた。
上着のフードを深く被り俯いている。顔はよく見えないが、初老の男のようだ。
「猊下、ヤスダ殿をお連れ致しました」
男はわずかに首肯する。オーツイは頭を下げると礼拝堂の外へ出てしまった。
足音が遠ざかり、部屋の中には二人だけとなった。
ヤスはずかずかと男に歩み寄った。目の前まできても相手は俯いたままだ。
「あんたがクローリクか。俺に用ってのは何だ?」
もともとヤスは聖堂教会上層部への渡りをつけるつもりであった。
どのように言いくるめようかと画策していたところ、オーツイの方から「買い取りの件で大司教クローリク猊下がヤスダ殿とお会いしたいと申しております」と持ちかけてきたのである。
勇者にはかなわない。
交渉もできない。
そもそも本人が恣意的に魔王討伐を決めたわけではないからだ。法皇の命令に従っているだけなのである。
では、聖堂教会本体はどうか。
彼らは金の為、違法な取引に手を染めている。ならば買収も可能なはずだ。幸い、金はある。
みかじめ料を教会に支払うことで手打ちにしてもらう――それがヤスの目論見だった。
とは言え、ことは交渉だ。
わざわざこちらから頼み事をする体をなすこともあるまい。
「ちぇ、だんまりかよ。人を呼びつけておいてシカトはねぇだろ!」
「これは失礼。ヤスダ殿……でしたな」
「おお」
「異国よりいらしたとか。ご出身はイリアス? ナルニアですかな?」
「どうだっていいだろ、んなこと。そんな話なら俺は帰るぜ」
踵を返そうするヤス。答えにくい話を振られ、苛立ったのだ。
クローリクはひょいと爆弾を投げつけてきた。
「では、例えば――日本ですかな? もしかすると東京でヤクザをしていたとか?」
「な――っ!?」
本物の驚愕がヤスを硬直させていた。
クローリクはゆっくりと顔を上げた。ようやくヤスと視線が合う。
「ふ……く、くくく……っ! がはははははっ! ひはははははっ!!」
厳めしい祭服に似合わない、下劣な哄笑。
「しばらく見ねぇうちにずいぶんと偉そうな口を利くようになったな! 下っ端のチンピラ風情がよ!!」
クローリクはフードを上げた。
ヤスは愕然となった。露わになった大司教の顔に見覚えがあったのだ。
「あんた……組長じゃねぇかっ!?」
「ひひひひっ、覚えてたかよ。えらく久しぶりだな、ヤスよ!」
宇佐義組 組長、宇佐義羽太――それが大司教ピョトール・クローリクの転生前の名前であった。
□
クローリクは饒舌であった。
転生前の自分を知っている人間に会うのは初めてらしい。
もともとヤスは彼に誘われて極道になったのだ。
ただ組に入った後は立場が違い過ぎ、挨拶の他は数える程度のつき合いしかしていない。
「オーツイの腰抜けからおめぇのことを聞いてな。まさか、と思ったわ。ヤスシ・ヤスダなんて名はこっちじゃ聞かねぇからよ。本当にウチの組にいたヤスだったとはな!」
ヤス達がカチコミをかけた後、田貫組は宇佐義組に吸収された。
宇佐義は力をつけ、名実ともにかのやま連合を仕切るようになった――のだが、意趣返しを喰らったらしい。
「ムショにいた田貫の生き残りが出てきたのよ。で、ダンプカーで俺の車に突っ込みやがった。それでお陀仏だ」
ところが、気づけば宇佐義はこの世界の路地裏で暮らす孤児として生まれ変わっていた。聖堂教会が管理する孤児院にもぐり込み、以来数十年、手段を選ばずのし上がってきたのだ。
「お陰でえらく苦労したわ。逆恨みしたバカのせいでよ、いい迷惑よ」
「へっ、よく言うぜ。あんたの自業自得だろ」
「あん? 何だ、ヤス、てめぇ!!」
「田貫組の縄張り荒らしはなかった。あんたはただ戦争を仕掛ける口実が欲しかっただけだ。違いますかね、オヤジ」
あの時、田貫が浮かべた驚愕と狼狽は本物だった。
おかしいのはそれだけではない。雑居ビルには田貫組の連中が大勢いた。事前情報は嘘だったのだ。
「あんた、知ってたんだろ? 知ってたくせに、俺と兄貴だけで行かせた」
返り討ちは必然だった。どう考えても戦力差があり過ぎる。
田貫組の事務所まで突入できたのは、鬼島の戦闘力がずば抜けていたお陰だ。それでも結局は力尽きてしまった。
「俺だけならまだしも、鬼島の兄貴まで使い捨てにしたのは何でだよ。兄貴が邪魔だったのか?」
「ひははははっ! おうおう、なかなか頭が回るようになったじゃねーか! まさに生まれ変わったって奴かよ!!」
にやにや笑いを浮かべるクローリク。
「ああ、ぜーんぶ俺の仕込みだよ! 普通に仕掛けたんじゃ、連合の日和見どもに止められる。鬼島はあれで組の古株だったからな。下っ端が殺られたのとはわけが違う」
縄張り荒らしだけでなく古参の組員も殺された――だからそう簡単には手打ちはできない。
宇佐義がそう言い張る為の捨て駒として鬼島とヤスは使われたらしい。




