別の道
マルガレーテはヤスに事情を語ろうとはしなかった。
「とにかく少し調子が悪いだけで病気じゃないんです。動いていた方が気がまぎれますから」
ぎこちなく笑ってはいるが、頬は蒼白だ。視線もどこかぼんやりしている。そう言えばアスモデとの再契約にもマルガレーテは気づいていないようだ。本人が言う以上に具合が悪いのだろう。
「あー、わかったわかった。とりあえず、これ食え」
ふところから紙包みを取り出し、押しつける。
マルガレーテは包みの中身をしげしげと見つめた。
「え? これ……また菓子パンですか? 魚の形をしているなんて、珍しいですね」
「タイ焼きってんだよ。俺の国の料理、いや菓子だな」
このタイ焼きは先ほどイモリッチに振舞った際、自分用に残しておいたものだ。オロシアとの交易で小豆と砂糖を入手し、ヤスはタイ焼きの屋台も出せるようになっていた。
マルガレーテは申し訳なさそうに、
「ヤスさん。前にもお話しましたが、わたし達は――」
「固いこと言うなって。俺の手作りだから、スープと交換ってことでいいだろ」
湯気の立つカップを軽く振る。配っていたスープを分けてもらったのだ。
「ヤスさん、お菓子職人なんですか……?」
「あー、いや屋台の助っ人してたんだよ。前にちょっとな」
スープを一口飲んでみて、ヤスは驚いた。
「――うおっ、美味いな、これ! いい出汁が取れているじゃねーか!」
「だし? は、わかりませんけど、ありがとうございます! それ、わたしが作ったんです」
ようやくマルガレーテの表情が和らいだ。
「農家さんからいただいた鳥の骨と野菜くずをよく煮て、濾したんですよ。あとはきのことネギ草、岩塩を足しただけですけど」
「ほー、鶏ガラスープか。なるほどなぁ。マル子もタイ焼き、食えよ。美味いぜ、それも」
「……もう。ヤスさんって全力でわたしを堕落させようとしていませんか?」
「かもな。体調が悪い時位、いいじゃねーか。ほれほれ」
逡巡しつつ、マルガレーテはタイ焼きを一口食べた。
「んっ! 本当ですね、甘い……お、美味しい……!」
嬉しそうに表情をほころばせるマルガレーテ。心なしか顔色もマシになったようだ。
ヤスもごくごくとスープを飲み干す。
「うむ、お世辞抜きで美味いな。こんだけいいスープがあるなら美味いラーメンも作れるのになぁ……」
タコ焼きの屋台にも出汁はあるのだが、外には持ち出せない。鉄板はもちろん天かすなども含め、屋台内でしか使用できないのである。
「らーめん? それもヤスさんのお国の料理ですか?」
「おお、もう国民食だな、ラーメンはっ! 色々な種類や食い方があるけど、基本は醤油ラーメンだと思うぜ、俺は! こう、熱いスープにからむちぢれ麺のコシが決めてなんだよ! チャーシューはタコ糸で縛った豚肉をだな――」
ヤスは前のめりになってラーメンの魅力を語った。語れば語るほどに食べたくなってしまう。
タイ焼きを頬張りつつ、マルガレーテもふんふんと耳をかたむけた。
「っても俺はラーメン屋の手伝いはしたことねぇし、ここじゃ材料もなぁ。ああああ、ダメとなるとよけいに食いたくなるぜ!!」
「なるほど、確かに美味しそうですね。わたしも食べてみたいかな。麺は打てますよ、一応」
「うおい、マジでか!?」
「いえ、お話を聞く限り別物みたいですから、やるとしても色々試してみないと――」
言いかけて、マルガレーテは固まった。
そのまま数秒、沈黙が落ちた。
「あ、あはははは……しまったぁ……」ひきつった笑い。
「おい、マル子? どうしたんだよ?」
「ミ……ミッションがきちゃいました……」
「は? って、まさかラーメンの――」
言いかけたとたん、ヤスにもミッションが降ってきた。
察したらしく、マルガレーテは「あ! きましたね、ヤスさんも!」と、ぱんと手を打った。
「いや、何で嬉しそうなの、お前……」
お互いの情報を持ち寄ってみたところ、どうやら必要なものは麺と出汁だ。
マルガレーテからそれを受け取れば、ヤスのミッションは完了する。ついにラーメンの屋台を出せるようになるのだ!
「ミッションが連携するなんてことあるんですね! でも、ほぼわたしの仕事のような……」
「要するに俺はマル子待ちだな。こういうミッションなら楽でいいな。よろしく頼むぜ、うはははは!」
高笑いするヤスをマルガレーテはどこかまぶしそうに見つめた。
「――ヤスさん。実はわたし、しばらく本業で手一杯になるんです。たぶん、明後日あたりにはまたオキロを出発します」
どうやらマルガレーテはまた教会の役務が入っているようだ。
「全部終わったら帰ってきます。ミッションはその後に取り掛かからせてください」
「おお、頼むぜ! 悪いけどマル子がやってくれないとクリアできないみたいだからよ。でもお前……大丈夫か?」
「えっ? な、何がですか?」
ヤスはぼりぼりと頭をかいた。
「お前、見る度疲れている気がするぞ。教会の仕事、大変なのか?」
「……そうですね、大変です。向いてないのかも知れませんね、わたし」
「おう、マル子には向いてないと思うぞ」
「そんな、あっさり!?」
速攻で同意を示され、マルガレーテはショックを受けたようだ。
「あの、わたし孤児なんです。だから物心ついた時から教会のお世話になってて……」
「ふん。恩があるからって一生縛られることはねぇだろ」
「そ、それはそうですけど……」
「だってよ、お前食いしん坊じゃねぇか。甘い物、すげー好きだし」
「う……は、半分くらいはヤスさんのせいじゃないですか! 確かに食べるのも料理するのも好きですけど……」
「お前がシスターやりたいならそうすりゃいいさ。もし、そうじゃねぇなら誰にも遠慮はすんなって話だ」
視線をそらし、マルガレーテはうつむいた。
「――わたし、信仰をやめるつもりはないんです」
「おお」
「――わたしには他の人にはない恩恵を天から授かっています。信者の末席に名を連ねる者として成すべき使命もあります」
「そうか」
「――大切な仕事にも選ばれました。教会の誰もが憧れる役割を担うんです。もうすぐ、わたしはそうなります」
「そりゃ、めでたいな」
「それでも――別の道を歩んでもいいと思いますか?」
静かにマルガレーテは問う。
こめられた想いに気づいているのか、いないのか。
ヤスは普段通りにあっさりとうなずいた。
「おお。いいだろ、別に」
「……ですよね。ヤスさんはきっとそう言ってくれるって思ってました。わたし、ずるいですね」
つぶやくと、マルガレーテは「あの、もし――」続く言葉を飲んでしまう。
「ん? 何だよ、マル子?」
ヤスがうながすとマルガレーテはゆっくり首を振った。
「こんな風に相談にのってもらったの、わたし初めてです」
「話ならいくらでも聞いてやるぜ。次はまた別の物を食わせてやるからな!」
「あははは、それは楽しみです!」
マルガレーテは明るく笑う。吹っ切れたような笑顔だった。
離れた場所にいた他のシスターがマルガレーテに身振りを送る。ぱっと立ち上がり一礼すると、
「あっ! すみません、わたしそろそろ戻りますね!」
「おお、またな!」
ヤスも立ち上がって歩き出す。マルガレーテは振り返って声をかけた。
「ラーメン、一緒に作るの楽しみにしていますね、ヤスさん!」




