ゼクス
ヤスはオキロの街をぶらぶらと歩いていた。イモリッチ男爵の屋敷からの帰り道だ。シノギは順調で相応の金が貯まっていた。
勇者の噂を聞いてから、はや二ヶ月が経過している。
選抜は粛々と進み、様々な試練を経て先日完了したらしい。
「聖堂勇者“ゼクス”ね。妙な名前だよなー」
むろん、本当の名前ではない。選抜参加者や勇者の実名は秘匿されている。
身内などに魔物の手が及ぶことを防ぐため、別名をつけて正体を隠す習わしなのだ。
――で、いよいよ俺がマトになるってわけか。ちぇ、思ったよりも早かったな……。
勇者などできればずっと現れて欲しくなかった。
ヤスは魔王として王国に脅威を与えるような振る舞いもしていない。
何故、このタイミングで魔王討伐が具体化したのだろうか。
――ひょっとしてタヌーが魔物を煽っていたのが伝わったのか? だとしたら、くっそ迷惑なタヌキだぜ!
愚痴っても仕方ない。イモリッチとはひとまずの対応を示し合わせた。
まず、シノギはこのまま継続する。ことが露見した場合は、オーツイと同様に男爵も「ヤスは魔王ではなく、ヤスシ・ヤスダという魔物を操る異邦人だと思っていた」ということにするのだ。逆に慌てて店じまいしては疑いを招くだろう。
――密猟と密貿易だけなら死刑にゃならねぇはずだ。イモ男爵としちゃ、御の字だろ。雑な使い捨てもしたくねぇしな。
むろん親切心だけでそうするのではない。ぎりぎりまでイモリッチを利用する為の措置だった。冒険者ギルドやピーラーにも同じように言い含めてある。
問題はヤス本人の方だった。
――警察……いや、軍隊とヤクザがやり合うようなもんだよな。まともにぶつかるのはヤバい。
歴代魔王の中で勇者を退けた者はいない。
ならば彼らとは違うやり方をしなければならない。そもそも戦うこと自体が悪手なのではないか。
一応、隠れ家は準備させているが、せいぜい時間稼ぎにしかならないようだ。
アスモデは「軍隊や聖堂騎士相手ならいけると思ったんだけど……勇者って魔王へたどり着く為の関門や障害がいくつあってもくぐり抜けてきちゃうのよ、不思議と。逃げて下手な場所で戦う位なら、結界がなくても魔王城の方が有利じゃないかな」と否定的であった。
言われて、ヤスにも思い当たる節があった。
もしかすると歴代勇者の魔王討伐はミッション化していたのかも知れない。そうであるなら提示された条件をクリアすれば最終目的へ到達する手立てはグランド・ソースが整えてしまうはずだ。
「だとしたら、確かに逃げ切るのは無理だよなー。いきなり目の前に現れるかも知れねぇし。戦うってもな……」
銃やさらしは役には立つだろう。
だが勇者の魔王に対する勝率は100%である。恐ろしく強いことは間違いない。
やはり根回しが功を奏することを祈るしかなさそうだ。
「……ま、いいか。どうせ、なるようにしかならねぇんだ」
一人で田貫組と相対した時はもっと切迫していたし、完全に手詰まりだと思っていた。
それでもまだちゃんと生きている。どころか、ここまではなかなか愉快にやってきたではないか。
ヤスはにやりと笑った。
一度死にかけたせいか、妙に腹が据わってしまった。どうせ最後は身一つ。乗るか、そるかだ。
「ふん、魔王が神頼みってのも妙な話だからな! いざとなりゃ、またドス構えて特攻だぜ。ぐだぐだ考えても……んん?」
角を曲がった先に人の列ができていた。
聖堂教会の炊き出しだ。みな小鍋などを持ち寄り、スープを受け取っているようだ。ろくな産業がないオキロでは生活が苦しい者も多いのだろう。
長机に並べられた大鍋の後ろに小柄なシスターがいるのが目に入る。
「って、マル子じゃねぇか!? うおおい、マル子!!」
「――ヤスさんっ!?」
レードルを動かす手を止め、マルガレーテは叫んだ。
□
タイミングのいいことにちょうど交代時間だったらしい。
ヤスはマルガレーテを以前きた広場まで連れ出し、ベンチに座らせた。彼女はつい二日前にオキロへ戻ったそうだ。
「お前、ひどい顔色してるぞ。奉仕活動なんかしてる場合じゃねぇだろ。そもそも、どこ行ってたんだよ?」
「……実は王都で別の務めがありまして、呼ばれていたんです」
「はーん、王都か。遠いんだろ、ここから。それで疲れちまったか」
「ええ、そうですね。確かにだいぶ疲れましたね、あれは――」
□
王都郊外のコロシアムは、熱狂がまさに渦を巻く状態だった。
立会人は高まる期待を充分に承知しているようで、誇らしげに胸を張っている。
円形のバトルステージ中央へ進み出ると、貴賓席へ向け一礼。魔力増幅された声で朗々と決闘の開始を告げる。
「――皆様、お待たせ致しました! これより、勇者選抜の決勝戦を執り行います!!!!」
王都の空に大歓声が轟く。
詰めかけた観客の興奮は頂点に達していた。
「聖堂騎士“アルジーヌ”!」
偽名を呼ばれ、マルガレーテは数歩前へ出る。
一段と大きな歓声が上がった。まるで見世物だ。いや、実際そうなのだった。
「聖堂騎士“エクトール”!」
バトルステージの反対側にいた長身の男も観客に振りながら歩み寄ってくる。彼の本名はレイン・ドッグズ。重力を無視して逆立つ髪は部分染めされており、流行の先端を突き抜けたような服装をしていた。整った顔立ちも相まって騎士というよりホストのようだ。
マルガレーテと向かい合うとレインは大げさに肩をすくめた。
「やれやれ。君は辞退したって聞いていたんだけどな。やっぱり勇者の地位が惜しくなったのかい? マルガレーテ」
「少し考えを改めただけですよ、ドッグズ君」
「まだレインと呼んでくれないのかい? 修道学校の同期だってのに……つれないね。僕の気持ちはわかっているだろうに」
ふっと笑いを浮かべるレイン。
あふれ出る自意識を浴びせられ、マルガレーテはうんざりした。昔からこの男とはそりが合わない。学生時代、レインが妙なちょっかいをかけてくるせいでこうむった迷惑の数々は枚挙にいとまがなかった。
「相変わらずのお堅いフェニクスというわけだ。まあ、いいさ」
レインは肩口からのぞいていた柄に手をやり、背負っていた剣を抜き放った。
うっかり岩に突き刺したら抜けなくなり、タガネで丹念に掘り出されたというどうでもいい逸話を持つ聖剣、エックスカリバーであった。
「――今日、ここで君は僕のものになるんだからね。この日を待ち焦がれていたよ!」
負ければそうなるし、勝てば逆になる。
だからこそ、選抜に出るのは気が進まなかったのだが、ことここに至ってはもはや是非もない。マルガレーテも腰から得物を抜いた。最初の勇者が使ったと言われる伝説の剣――トロの剣である。刀身にうっすらと白い筋が走っており、刃先に脂が乗っていてよく切れるのであった。
「安心して僕に委ねるといい。勇者としての使命も女としての幸せも――」
「ここに立つ以上、お互い覚悟は済んでいるはず。ですが知らぬ仲ではありませんし、一言詫びておきます」
「何だって?」
「わたしが勝ちます。あなたはすべてを失います。だから――ごめんなさい」
淡々とした口調ににじむ謝意。真摯であればあるほど、戦士にとっては強烈な侮辱となる。
レインはいまだ笑顔を保っていたが、口の端が引きつっていた。
「感心しないね、女性が僕にそんな口をきくのは」ゆっくりと首をふり「こちらも優しくする余裕がなくなってしまうよ。君を奪い尽くした後――」レインは表情を一変させ、「地に転がし、辱めてやるっ!!」凶暴な怒りを爆発させた。
両者が剣を構え、バトルステージが結界で囲まれた。立会人が高らかに叫ぶ。
「いざ尋常に――勝負っ!!」
数十合に及ぶ激しい撃剣の末、マルガレーテは“ミッションをクリア”した。
こうしてラクノー王国に新たな勇者が誕生したのである。




