サキュバス
アスモデは再びヤスの口にタコ焼きを押し込む。
「よかった! じゃあ、あたしが教会の糞野郎と話をつける時、絶対に止めないでね!」にっこり笑う。
「んが?」
「下っ端聖職者の分際で悪魔と契約者の間にしゃしゃり出てくるなんて、身の程知らずもいいところよ。まして、本人の合意もなく勝手に契約を断つなんてね――うふふふふふ、さあ、どうしてやろうかしら!! マルコって名前だったわよね。あたしが相応の報いを与えてやるわ!!」
激烈な怒りに熱せられ、どろどろと融解して煮えたぎる悪意。まるで魔女の大鍋のようだ。
ヤスは慌ててタコ焼きを飲み下す。
「お、おい。お前、マル子を殺すつもりなのかよ?」
「嫌ねー、ヤっちゃんってば。あたしはサキュバスよ? あたしは殺さない。人間には耐えられない快楽を与え続けて、もう殺して下さいって言わせてやるだけよ。契約がなくたってイカせることはできるからね!」
「い、いや……マル子はもうあの街にはいないみたいだぞ?」
イモリッチの館へ行ったついでにヤスは教会に寄ったのだが、彼女はオキロを発った後だった。
「どこに逃げても関係ないわ。たとえ大聖堂に隠れていようとも、必ず見つけ出してやるから!」
「おお……怖ぇな、お前……」
アスモデは息巻いているが、人間の領域で魔物が簡単に動けるとは思えない。おまけに相手を男だと勘違いしているようだから、そう簡単には見つかるまい。名字や行き先が王都であることも隠しておこう、とヤスは思った。
――いざとなったら俺が止めるしかねぇか。
もちろん、マルガレーテの自業自得の部分もある。
サキュバスについての知識はあったのだから、報復を招くことも知っていたはずだ。ある意味、落とし前をつけられて当然なのだ。しかしヤスもそれなりに縁のあった少女が破滅するのを黙って見過すほど、情が薄くもないのだった。
――だけどアスモデの奴が、またすねそうだよな……。
サキュバスはサキュバスとしてしか、生きられないのだ。そこは責められないし、止められない。
一方、聖堂教会はラクノーの隅々まで勢力を伸ばしている。お陰でサキュバス達はかなり危うい立場に置かれているのではないか。
「しかしもったいねぇよなー。もとの世界じゃ、お前らみたいな女を抱けるとなりゃ、いくらでも金を払う連中がいっぱいいるのによ」
ヤスのぼやきにアスモデはふんと鼻を鳴らす。
「お金なんてどうだっていいわよ。契約者の精が欲しいの、あたし達は」
「だけどよ、金があれば何でも買えるぞ。タコ焼きが好きなら他の飯も食いたいんじゃないのか? 他にも服とか宝石とか、興味ねぇのか?」
「あるわよ、もちろん。人間の料理は美味しいし、服も素敵だし。だけど、あたし達が直接店に行くわけにはいかないじゃない?」
アスモデは肩をすくめた。
確かにサキュバスが金を持っても購入できなければ意味がない。だから昔は契約者に現物を貢がせていたらしい。
「でも最近はすぐに聖堂教会が嗅ぎつけてくる。悠長に貢物を要求している場合じゃなくなったの。さっさと搾り取って、すぐ逃げないとね」
「んな、家畜の乳でも盗んでいるみたいだろ、それじゃ……」
何ともせちがらいことである。
濡れ事には違いないのに、情緒もへったくれもないのであった。
「だけどお前ら飛べるじゃねぇか。聖堂騎士も空まで追いかけてこれねぇだろ」
「確かに飛べるけど、翼は魔力の消費が激しいの」
魔力切れになると身体能力もガタ落ちになり、余計に離脱が難しくなる。
召喚される時はいいが、魔界から離れれば離れるほど帰路のリスクは増大してしまう。
「特に若くてグレードが低いサキュバスはもともと魔力が少ない。だから遠くまでは飛べないわけ」
他の魔物もそうだが、サキュバスにはグレードがある。
最初はみんなグレードⅠだが経験を積むことで昇格し、魔物としての能力も上がるのだ。
「あたし達は基本的に人間専門だからね。危険を冒してでも街や村に侵入して精を奪わないと商売上がったりになっちゃうのよ」
「上がったりになると、どうなるんだ? 魔物は転職するってわけにもいかないだろ」
「――消滅するわね、最悪は」
「は? 消滅って誰がお前らを……ああ、そっか。例のグランド・ソースって奴かよ」
ヤスはがりがりと頭をかいた。
コード・ブックに特に記載はないのだが、役割を果たせないモノは不要とされ、削除コードが発動してしまうらしい。かつて一種族が丸ごと消滅した事例さえあるそうだ。
この世界はまったく甘くない。容赦なき弱肉強食がまかり通っているのだ。
「まあ、あたしは実績が山ほどあるから安泰だけどね。駆け出しの頃は必死だったのよ、これでも」
アスモデはグレードⅣ。
自慢するだけあって、サキュバスとしてはほぼ究極の域に達しているのだ。
「グレードⅠだと綺麗なだけで人間とあんまり変わらないの。フェロモンも魅了も弱いから」
「あー、相撲の新弟子みたいなもんか。お前は横綱ってわけだ」
「何それ? ともかく、危ない橋を渡ってでも色々な男と寝ないといけないの! どこか安全に男を漁れる場所があるといいんだけど……」
「うーむ。それじゃまるで――」言いかけてヤスは固まった。
「ん? どうしたの、ヤっちゃん?」
「――そう、それだよな。イモ男爵に話つけて、渡りをつけてもらうか」
きょとんとしているアスモデにヤスはにやりと笑いかける。
「お前も手伝えよ、アスモデ! 若いサキュバスを集めてくれ。新しいシノギを始めようぜ!!」




