ご褒美
ベシリア街道はかつてオロシアとラクノーを結ぶ交易路であった。
もともと魔界を貫く道ではあり、危険は多かったが、交易による見返りもまた大きかった。
隊商は護衛を雇い、また途中にいくつかの砦も作られていた為、夜間はそこに身を寄せながら通行した。
しかし、50年ほど前に状況が変わった。
勇者による魔王討伐や人間の侵攻は、魔界に大きな変化を及ぼす。
結果、魔物や魔獣の分布が何度も変化した。最後に分布が変化した際、凶暴な四つ足の魔獣――ガルムの生息域が街道に重なるようになったのだ。
ちょうどその頃、ラクノーはオロシアと敵対していたエゲレス連合王国と同盟関係となった。オロシアとの交易は自粛となり、砦は閉鎖。魔物に加え、絶え間ないガルムの襲撃に悩まされていたベシリア街道の保持は放棄されてしまった。
以来、街道を利用する者はほとんどいなかった。
「どうしても大きな儲けが欲しい隊商が、少人数で強行踏破することはあるが、成功するのは稀だ。とてもじゃないが、リスクに見合わん。ほぼ自殺行為だからな!」
イモリッチの見解はこの時代の常識でもあった。
だがチンピラは余裕のある態度を崩さない。
「心配すんな、ギルドを窓口にして通行札を貸し出す。札があれば魔物は襲ってこねぇし、逆に魔獣から守ってくれるぜ。それなら無事に魔界を通り抜けられるだろ?」
「な、何だと……!?」
にやにや笑いを浮かべたチンピラの顔とバイコーンのツノをイモリッチは交互に見やる。相手の能力を測りかねているのだ。
「要するに俺とギルドが共同でケツ持ちするんだよ。ギルドの護衛連中は討ちもらした魔獣だけ、片付けてくれりゃいい」
イモリッチはすっかり混乱していた。話が飛躍し過ぎており、理解が追いつかない。お陰でいつの間にか完全に相手のペースに乗せられていることに、男爵本人は気づいていなかった。
「ば、馬鹿な!? 貴様に何の保証ができる!!」
「できるぜ、魔界のことなら何でもな。なにせ、俺は――魔王ヤスだからな」
「は――?」
外連味たっぷりの仕草でヤスは机から足を下ろし、立ち上がった。革ジャンと上着を脱ぎ捨てると、上半身の素肌があらわになる。
あり得ないものを目の当たりにし、男爵は表情を引きつらせた。
「な……っ!? ま、まさか――継承紋か、それはっ!?」
イモリッチの目玉は飛び出んばかりに見開かれている。
人間のコード・ブックには魔王の継承システムについての記述はない。
だがイモリッチは貴族の一人として、王国最大の敵対者である魔王についての詳細な知識を持っている。
継承紋の形状は魔王毎に違うが、色や場所は共通なのだ。
ただこれは、王国の機密情報でもあった。間違ってもただのチンピラが知り得る情報ではない。何より本来動かないはずの紋様が、皮膚から浮き出すように禍々しく揺らめく様は、グランド・ソースの発動により刻まれた魔法印であることを示している。偽物である可能性はほぼゼロだった。
「ほ――本物なのか。貴様は……人間が、魔王になったというのかっ!?」
であるなら、提示された条件もうなずける。
確かに魔王ならできるだろう。逆に魔王以外とはこんな取り引きは成立しないはずだ。
「話が早くて助かるぜ。どうだ、イモ男爵? 俺と手を組めよ! あんたはギルドに話を通してくれりゃいいんだ」
「うー―い、いやっ! ダメだ! もし貴様が本当に魔王なら、わ、わしは裏切り者になってしまう!!」
冷や汗を垂れ流しつつ、イモリッチは誘惑をはねのけた。
断れば恐らくここで殺される。しかし、魔王と手を組んだことが公になればどうなるか。男爵家が取り潰されることはもちろん、男爵本人は売国奴として王都を引き回され、さらし者にされた挙げ句、首をはねられるだろう。同じ死ぬにしても、より長く苦しみ、より惨めな死を選ぶわけにはいかなかった。
「くっくっくっく……よく言うぜ。密猟なんぞに手を染めている時点で、立派な犯罪者のくせによ」
ひとしきり嘲笑し、魔王ヤスは――
「まあ、いい。裏切りの危険を冒すにはご褒美が足りないってわけだな、ええ? いいだろう、上乗せしてやるよ。とっておきをなっ!!」
――指をパチンと鳴らした。
途端、世界が変わった――いや、ヤスの世界に現実が侵食されたのだ――!!
□
気づけば、イモリッチは一人きりで薄暗い路地のような場所にいた。
遠く、笛の音がしている。聞き覚えのない奇妙な、浮き立つような調子の素朴な曲だ。
ふと見れば、目前に屋台が出ていた。
主人らしき男が熟練の手さばきで何かを調理している。
漂う匂いに誘われ、イモリッチはふらふらと屋台に近寄った。
奇妙な屋台だった。
調理台には半球状のへこみがずらりとついた鉄板が敷かれている。主人はそこに溶いた小麦粉とおぼしきタネを注いでいた。
「おお、すぐ焼けるぞ。ちょっと待て」
イモリッチは素直にうなずく。
おかしい。ここはおかしい。何だ、これは? どこだ、ここは? こいつは誰だ――?
わき上がる疑問の群れは、しかし出口を見つけられないようだ。
アイスピックのような道具を操り、主人はくるくると半分焼けたタネをひっくり返す。
イモリッチはぼんやりと眺めるばかりだ。
「へいっ、タコ焼きお待ちどうさん! 初回限定サービスで今日だけはタダにしとくぜ」」
差し出された紙のケースを受け取る。
蓋を開くと、ふわりといい匂いがして八個の丸い焼き物――“タコ焼き”が顔を出した。
「遠慮すんな。熱いうちに食え」
見れば一個のタコ焼きに小さな木のピックが刺さっていた。イモリッチは言われるがままにピックをつまみ、タコ焼きを口に放り込んだ。
――う……!? あ、熱いーっ!! だが、美味いーっ!!!! あつっ! うまっ! あつ、うま……っ!
イモリッチは夢中で咀嚼し、次のタコ焼きを頬張る。
香ばしくカリッとした外皮が破れると、中からじゅわっと熱い中身がまろび出す。何よりこの、弾力ある具材の味は――何だ? これは何だ? 一体、何を食べさせられているっ!?
――例えようもない味、かつて味わったことのない味だ。危ない。危険だ。これを食べるのはよくない――だが、食べたい!
手と口が止まらない。止めようがない。
よくないモノ、とても悪いモノを食べているというぞくぞくする感じ。背徳の喜びが美味さを何倍、何十倍にも引き立てるスパイスとなっているのだ!!
――まさにこれは別モノだ。次元が違う。恐怖すら覚える。まるで遙か遠い世界から飛来したモノであるかのようだ!!!
ただでさえ食い道楽のイモリッチに、こんな誘惑に抗する術はない。
彼は心底、飢えていたのだ。
□
イモリッチは呆然としていた。
いつの間にか、見慣れた応接室に戻っていた。夢ではない。口中にはタコ焼きの余韻が残っている。火傷した舌もひりひりと痛い。後ろ髪を引かれるような思いで、唾液を飲み下す。
「何だ――今のは、わしは何を――」
救済を願うかのようなうめきは、哄笑に断ち切られた。
「うはははは、どうだ! 俺のタコ焼き、美味かっただろ! ジャンクな食い物ってのは、たまに食うと最高だよなっ!!」
「ジャ……ジャンクだと……?」
確かにそうだ。洗練とはまったく逆。ガラクタと称されても仕方がない食べ物だった。あんなものは初めてだった。あんなものは貴族の食べる物ではない。あんなものは、もう二度と――
――いや、食いたい。もう一度あれを、タコ焼きを。ジャンクな食い物をわしは――!
渇望を見透かされたのか、魔王はにんまりと笑う。
「あんた美味いもんに目がねぇんだろ? 俺と手を組めば、またタコ焼きを食わせてやるぜ。もしかしたら、もっと別のものもな!」
「ほ、本当か……!?」
「おお。逆に言えばな、俺と手を組まないなら、もう二度と食えないぜ。あれは俺にしか作れないからな! どうするよ、イモ男爵?」
もはや、イモリッチの選べる道は一つだった。
こうして魔王ヤスは確固たるシノギを獲得したのである。




