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密猟

 贅を尽くした晩餐を前に、イモリッチ男爵の食は進まなかった。

 柔らかく繊細な味に仕上げられた前菜、濃厚かつすっきりした後味のポタージュ、遥か遠いシルベア海から魔術で直送させた新鮮な魚の切り身、ウサギ肉のうまみを見事に引き出す、技巧をこらしたソース――すべて、食べ飽きていた。



――ふん。金持ちになるのも考えものだな。



 10年前の自分なら、喜び勇み、涙すら浮かべて食べていただろう。

 本来なら辺境の所領しかない貧乏男爵の食卓に供せられるような料理ではないのだ。

 

 だが、もう飽きた。

 

 食べることが大好きで、食べる為に危うい真似までして財貨を稼いだ。そして美食に狂的な情熱を注ぎ、金を費やし続けた結果がこれだった。以前は何より楽しみだった食事は、毎度失望を再確認するだけの儀式になっていた。



――際限なく金をかければ、どんな物でもいくらでも手に入る。だが、多くなり過ぎればどんな物も価値をなくす。当然のことだ。



 手を振って、ろくに口をつけていないメインの皿を下げさせる。

 妻子は王都の別邸に行ったきりだ。ベッカイは男爵家唯一の所領だが、こんな田舎では気晴らしもろくにない。本当ならイモリッチも代官に管理を任せ、王都に引きこもりたいところだ。

 

 だが、そうもいかない事情があった。イモリッチには()()()の圧力が強くのし掛かっていた。もはや身の危険すら感じるほどなのだ。とても人任せにはできない。それも食が進まない理由の一つであった。



――裏稼業を気に病んで食事がまずくなるなど、本末転倒ではないか。何の為の金なのだ。



 げんなりして、ため息をつく。

 タイミングを見計らっていたのか、壁際で控えていた執事がすっとテーブルに近寄り、


「――旦那様。実は冒険者ギルドの者がきております。ピーラーと名乗っておりますが」と告げた。


「何? こんな時間にか?」


 イモリッチは夕食を済ませた――いや、片付けさせたところである。壁時計を見るまでもなく、人を訪問するには非常識な時刻だった。相手が領主ならなおさらだ。


「はい。出直すように申し伝えたのですが、緊急の要件だとかで……一応、待たせてありますが、いかが致しましょうか?」


 馬鹿者、叩き出せ! と、言いかけて考え直す。

 ギルドの連中にはもっと結果を出せと尻を叩いたばかりだ。



――ピーラーか。確か探索を任せた者達の中にそんな名前の奴がおったな。



 成果が上がるには早過ぎる気もするが、とびきりの幸運に恵まれた可能性もある。もしそうなら、それこそ人任せにはできない。


「ギルドの者であることは確かだな?」

「はい。証になるメダルを持っておりますし、見覚えのある男です。新しい助手を連れておりますが……」

「わかった、わしが一人で会おう。部屋の周りには誰も近寄らせるな。もちろんお前もだ。いいな!」


 一瞬、驚きの色を浮かべた後、執事は慇懃(いんぎん)に頭を下げた。

 こうしてイモリッチの命運は定まったのであった。




   □




 応接室に入り、イモリッチはぎょっとした。

 主人の椅子に若造が鎮座している。それどころか、高価な執務机の上に薄汚れたブーツを乗せているではないか。

 

 

――何だ、こいつが助手か? 態度も身なりも、まるきりチンピラではないか!

 

 

 一方、おどおどした表情で横に立っているのがピーラーらしかった。こちらはこちらで、汚らしい袋を抱えている。おまけに服は泥だらけであちこち破れている。人払いしたことを後悔しつつ、イモリッチはチンピラを怒鳴りつけた。

 

「貴様、どこに座っておるかっ! 立場をわきまえろっ、さっさとどけっ!!」


 若いチンピラは微動だにしない。代わりに口の端をゆがめてにやりと笑い、顎をしゃくった。

 弾かれたようにピーラーが動き、袋の中身を机にぶち撒けた。がしゃがしゃと音を立て、青黒い円筒状のものが積み上がる。


「な――っ!? こ、これは……」

「バイコーンのツノだ。これが欲しいんだろ、あんた」


 バイコーンは二本のツノを持つ馬に似た魔獣の一種だ。人間の男、それも善良な男だけを襲って食べるとされている。実際のところバイコーンは人里を嫌うので、ラクノー王国ではほぼ魔界深部にしか生息しない。また個体数も少ない為、狩猟は禁止されている――はずであった。


「あんた、冒険者ギルドの連中をこっそり動かして密猟させていたそうだな。いけねぇなぁ、国王の決めた事を下っ端が反故にしちゃあ。立場をわきまえろよ、イモおやじ」

「だ、黙れっ! わしは男爵だ、貴族だぞっ!! 貴様ごときチンピラが――」

「やっかましいわ、ぼけっ!! 国王(てっぺん)じゃねぇなら、下っ端だろうがっ!!!」


 一喝した後、チンピラはぼりぼりと頭をかいた。


「ま、それはどうでもいい。んなことよりだな――商売の話だ」


 提案された内容は驚くべきものであった。

 相応の対価と引き換えに、バイコーンのツノを毎週24本納入するというのだ。現在、イモリッチが入手できている量の倍以上にあたる。もしそれが可能なら、男爵が受けている“事業上の圧力”は綺麗に消え去るだろう。


「ほ、本当にできるのか、そんなことが……?」


「できるに決まってんだろ。実際、あるじゃねぇか、ここに」ツノの山を指し示し、チンピラは「ただし、一つ条件がある。冒険者連中の魔界探索は止めさせろ」


 魔界の大半はイモリッチ男爵の領内だ。

 冒険者ギルドは男爵家から許可を受け、手数料を支払って探索を行なっているのだ。


「何ぃ? むぅ……いや、しかし……」


 イモリッチはうなった。

 バイコーンのツノは極めて高価だから、充分うま味のある取り引きだ。逆に冒険者ギルドからの手数料は大した額ではないので、なくなっても痛痒(つうよう)はなかった。


 だが、いきなり探索を禁止されればギルドの方も黙ってはいまい。彼らも食っていかなくてはならないのだ。


「心配すんな。冒険者ギルドってのは、行商人のケツ持ちもしてんだろ? そいつを大々的にやればいい。魔界の向こうにある、あの――なんつったっけ? 国があるだろ、別の」


「オロシア帝国か……? まさか、ベシリア街道を使って帝国と交易しろと!?」イモリッチは思わず叫ぶ。


「おお、それだ、それそれ。オロシアだったな。妙な名前が多くて困るぜ、こっちはよ」

「馬鹿な、不可能だ! ベシリア街道は魔界深部を通過するのだぞ。とても無事にはたどり着けん!!」

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― 新着の感想 ―
[一言] ほほう、イモリッチ男爵視点のお話ですか! こういう視点切り替え好きなので、読んでて楽しいですw
[一言] イモリッチだから男爵なのでしょうか? 男爵だからイモリッチなのでしょうか? 酪農王国で別海なんですね。
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