確執
「冒険者ギルドねぇ。奴らもどこかで大金を掴んだってわけか」
「えっ? お金……ですか?」
マルガレーテはきょとんとしている。アスモデと同レベルのようだ。
「いや、気にしないでくれ。連れが街の外で待っているからよ、そろそろ帰るわ」
「え、あ、あのっ! ヤスさん、待って!!」
いつの間にか、マルガレーテはヤスが着ている革ジャンの袖をがっちり掴んでいる。
「お、おう。どうした?」
頬を染め、マルガレーテはぱっと手を離す。
「ご、ごめんなさい。わたし、初めてで……」
「何だよ、まだ食い足りないのか? 確かに美味かったよなっ!!」
「ち、違いますよ! いえ、美味しかったですけど、そうじゃなくて!」
ふう、と息を吐いて「守ってもらったのが、です。わたし、いつも逆だったから……」
「ん? あー、そっか」
シスターとしてマルガレーテは色々な相談事を受けたり、奉仕活動をしている。その関係だろうとヤスは理解した。
「マル子一人の時は気をつけろよ。連中がまた絡んでくるかも知れねぇからな」
「大丈夫です。わたしが名乗れば問題ありません」
表情にうっすらと自負が滲んでいる。
マルガレーテは己が害されないことに絶対の自信があるようだ。
素早く右手を動かし、彼女は指先を自分の左肩、右胸下、右肩、左胸下へ順にあてがう。
×字を描くような仕草だ。
「ヤスさん。ちょっとかがんでもらえますか?」
「あ? ああ、いいけどよ……」
澄んだ笑顔に毒気を抜かれ、素直に応じるヤス。
マルガレーテは指で彼の額を軽く突いた。
「うおっ!?」
瞬間、ヤスの脳内で硬質な金属音が鳴り響く。
同時に身体がすっと軽くなったような感覚が生じる。
「差し出がましいかとは思いますが、サキュバスとの契約を断ちました。本来はご依頼のない方に勝手にするものではないのですけど……」
アスモデが怒りそうな気がする。
いや、ほぼ確実に激怒するだろう。やはり教会と悪魔は相性が悪い。
「むう、そっか。まあ、いいや」
契約はまた結び直せばいい、とヤスはあっさり片付けてしまった。
「えっ!? お、怒らないんですか……?」
叱責を覚悟していたのか、マルガレーテは目を見開く。
「やっちまったことはもういいよ。確かにサキュバスはヤバいらしいからな」
「……実は衰弱死する方はそんなに多くないんです。大抵、その前にサキュバス側が飽きて契約を切ってしまうから」
「ほー。なら、そこまで目くじら立てなくてもいいじゃねぇか」
「そんなわけにはいきません! サキュバスは男性にとって都合がよすぎるんです!」
かつてサキュバス達がラクノー全土に跳梁していた時代があったらしい。若く美しく、サービスもたっぷりで向こうから抱かれたがる。おまけに避妊の面倒もいらない。
「男達は文字通りサキュバスに魅了され、恋人や妻を相手にしなくなりました。契約を切られた後も他のサキュバスを求めて探し回ったんです。多くの家庭が壊れた結果、ラクノーの人口は急減しました。サキュバスは人を殺しませんが、産まれなくさせてしまうんです!!」
まさに悪魔の所業である。陰に潜んでいる分、普通の魔物より性質が悪い。
「ヤスさんも我が教会の聖堂騎士はご存じでしょう? 彼らはもともとサキュバス退治を目的に編成されたんです。聖職者にはサキュバスの魅了はあまり効きませんから」
であればマルガレーテの対応もやむを得ないだろう。
逆にサキュバス側も聖職者、なかでも聖堂騎士を嫌うはずであった。
「なるほどなー、それじゃ仕方ねぇな」
両者の確執は歴史的なものだ。ヤスが簡単にどうこうできる話ではない。
「んじゃ、色々世話になったな、マル子!」
きびすを返し、ヤスは郊外へ向う街道を歩き出す。
「あの――ヤスさん! わたし、丘の上の教会にいますから! 何かあったら、その……」
口ごもるマルガレーテ。
ヤスは早々にオキロを再訪するつもりだった。食料その他の必需品を入手するのは、人間の街が一番便利なのだ。
――顔見知りがいた方が何かと便利そうだな、うん。
「俺は信者じゃねぇけど、教会に行っても大丈夫なのか?」
「だ、大丈夫です! 聖堂教会はあらゆる方を受け入れるのが信念ですから!」
「そっか。なら、近いうちに買い出しにくるからよ。また街を案内してくれるか、マル子」
「は……はいっ!」
マルガレーテは安堵の笑みを浮かべた。
「困っている方をお手伝いするのは、わたしの責務です。お待ちしていますね、ヤスさん!!」
□
ヤスの姿が見えなくなった後も、マルガレーテはしばらくぼうっと立ち尽くしていた。
派手で、乱暴で、ずうずうしい。逆切れするし、金遣いも荒い。
だけど、でも――とても率直で、どこか清々しい男だった。
――また会いたいな。ううん、会えるんだ。またくるって言っていたもの……!
浮き立つような、悲しいような、落ち着かない気持ち。
マルガレーテはわき上がる想いに翻弄されていた。直前まで馬車の接近に気づかないという失態を犯してしまったのは、そのせいだった。
箱形の四輪馬車が彼女の背後で停まり、中年の司祭が降りてきた。
「やはりシスター・フェニクスではありませんか! こんな場所で何を?」
マルガレーテはほぞをかむ。
街道沿いでぼんやりしていたのが失敗だった。
「お困りの方がいましたので、お手伝いをしていただけです」
「聖堂騎士の筆頭が辺境の街角で奉仕活動とは。いやいや、ご立派なことですが――本業をお忘れでは?」
マルガレーテは司祭をにらむ。
彼女は権力者に媚びを売ることに長けたこの男が以前から大嫌いだった。
「わたしの本業はシスターです! 選抜のお話なら辞退したはずですよ、オーツイ司祭!」
オーツイは肩をすくめ、「別件がありましてね。これからオキロの教会へお伺いするところだったのです。ついでにあなたとお話をと思っていたのですが、すれ違いにならず、助かりましたよ」
「ですから、わたしは――」
言いかけて、マルガレーテは馬車の窓が開いていることに気づく。後部座席に座っている人物に見覚えがあった。御者が慌てて御者台を降り、うやうやしく馬車の扉を開く。
初老の男が静かに馬車から降り立った。
「あまりオーツイを困らせるものではありません。同じ聖堂に集う家族なのですからね」
「大司教クローリク様……っ!! どうしてオキロに……!?」
ピョトール・クローリクは王都の聖堂教会本部で頭角を表わした男だ。
枢機卿に叙階されることが内定しており、いずれは教皇とも噂される重要人物である。
「久しぶりですね、選ばれし子よ。道すがら、オーツイから事情は聞きました――やはり、あなたは責務を果たすべきでしょう」
「は、はい……」
マルガレーテはひざまずき、深く頭を垂れた。
「王都へおもむきなさい。すぐに出発すれば間に合います。選抜に参加し、力を示すのです」
「だ、大司教様。わたしは――」
「迷い子よ、間違えてはいけません。我らはしたいことをするのではない。成すべきことを成すのです。神に授けられし力は使命を果たす為にある。わかりますね?」
「はい――大司教様」
「結構です。ここであなたと会えてよかった。これも神のお導きでしょう」
言葉の一つ一つに覇気と慈愛が満ちている。
マルガレーテはただひたすらに圧倒されていた。感動すら覚えていた。
クローリクにはある種のカリスマ性があった。
だが、それだけではない。
高位の聖職者には無条件で信頼を寄せ、従うべきだという性質が彼女の根幹に刻み込まれているのだ。コード・ブックによって。
「共に精進致しましょう、シスター・フェニクス。あまねく大地に魂の救済をもたらす為に」
「はい……!」
言葉はマルガレーテの胸に深く沁み入っていた。
わたしはそれをやろう。選抜に参加して力を示そう――選ばれし勇者としての力を。そして、ミッションが降ってきた。マルガレーテは謹んでそれを受託した。
ただ、ヤスとの約束はもう守れそうにない。
そのことだけが、ひどく悲しかった。




