揚げパン
ヤスは素直にうなずく。
悪魔がいるのだから天、つまり神だっているはずだ。神がいるならその位のお節介はするかもな、と単純な理解をしている。
マルガレーテはほっとしたようだ。
「信じてもらえて嬉しいです! 古い文献にはミッションに関する逸話もあるのですが、今まで誰も信じてくれなかったから」
「ふーん、そうなのか?」
「ええ。わたしも自分以外でミッションを体験した人と会うのは初めてです。キーワードは頭に浮かぶだけですから、受託した本人にしかわからないじゃないですか? わたしを含め、誰のコード・ブックにもミッションの記載はありません。存在自体、信じられなくて当然なんです」
「まあ、そうかもな。俺も話してみたけど、わけわからんって顔されたな」
「こればっかりはミッションを受託した人同士じゃないと、ダメかも知れませんね」
うんうんと深く納得する二人。
完全に身内の空気を醸しているチンピラとシスターに、周囲の困惑は深まるばかりであった。
「あ、そう言えばミッションに関して気をつけた方がいいことがありますよ」
ミッションは他人の相談事によって受託することがあるらしい。
困り事を聞くうちに『確かにそれは大変だ、解決すべきだ』と心から納得してしまったが最後、ミッションが降ってくる。受託してしまったミッションはクリアしない限り、意識から消えることはない。
「わたしは仕事柄、信者さんのご相談を受けることも多くて……」
「じゃあ、余計なミッションが降ってきたのか」
「はい。一時期は、十個以上のミッションが未クリアの状態でした」
「マジかよ、地獄じゃねーかっ!!」
悪し様な言いようにマルガレーテは苦笑している。
「ミッションを受けすぎると日常生活にも差し支えます。特に立場が上の方からの頼まれ事はミッション化する確率が高いですから、あまりうかつに相談には乗らない方がいいですよ。わたしはそうもいかない立場ですし、これも修行と割り切ってますけどね」
微笑むマルガレーテだが、自分に言い聞かせている風でもあった。
口を開きかけ、ヤスは薄く漂う甘い匂いに気づく。比喩的な意味ではなく、実際に漂っているものだ。
「どこからか、いい匂いがするな。よしマル子、ちょっと探してこい。ご褒美に骨をやるから」
「もう、わたしは犬じゃありません! 甘い匂いのことでしたら屋台ですよ、ほら」
マルガレーテの指す方向には小さな広場があり、確かに屋台らしきものが出ていた。
「揚げパンのお店ですよ。ただ、ああしたものは贅沢品ですから、わたし達は――」
「――パンか! そうだな、ミッションじゃねぇけどパンもいいよなっ!!」
「? ヤスさんはパンがお好きなんですか?」
「おお、好きだぜ!! 何たって、パンは人間の食い物だからなっ!! ちゃんとかみ切れるし、味があるし、腹も壊さない。最高だぜ!!」
「は、はぁ……」勢い込むヤスにマルガレーテは戸惑っていたが、「あ! もしかしてヤスさんって北部の開拓村からきたんですか? あちらは生活がかなり厳しいそうですね。パンも滅多に食べられないとか」
「お? おお、まあな。そんなようなもんだ」
ヤスは適当に調子を合わせ、卵をぶら下げた縄を持ち替えた。
空いた手をマルガレーテの髪に伸ばし、わしゃわしゃとかき混ぜる。
「ともかくよく見つけたぞ、マル子。よーし、よしよし!! マル子は賢いなぁ!!」
「だ、だから、わたしは犬じゃありませんったら!!」
顔を赤らめ、マルガレーテはヤスの手から逃れる。
買った物を彼女に預け、ヤスはうきうきで揚げパンを買いに走った。
□
やはり贅沢品なのか、揚げパンは少々割高のようだ。
他人の金なのでヤスは躊躇せずに買いまくる。
鼻歌まじりに戻ってくると、広場のベンチで待っていたマルガレーテの隣にどすんと座る。
紙袋いっぱいに詰め込まれたパンに、マルガレーテは目を丸くした。
「もしかして、全種類買ったんですか……?」
「おお、どうせだからな! まずはこの蜜を塗った奴にしてみるか。マル子は?」
「ありがとうございます。ですが、結構です。わたし達、そうしたものは禁じられていますので」
「ああ? シスターは揚げパンを食うなってコード・ブックに書いてあるのか?」
マルガレーテは困ったように、
「いえ、そうではなく、宗教上のですね……」
「何だよ、神様に叱られるのか? たかが買い食い一つで、器の小せえ野郎だな」
とたん、マルガレーテは憤然となり立ち上がった。
「――っ!! 違います、我らが神はすべてを見通し、すべてを許す偉大な方です! たとえ信者さんでなくとも、あまりに不遜な物言いををするなら、見過ごすことは――」
「おー、そうかそうか。じゃあ、いいじゃねぇか。食えよ、マル子」
突き出された紙袋に気勢を削がれたのか、マルガレーテはやや身を引く。
「いえ、あの……お気持ちは嬉しいのですけど、贅沢を禁じる戒律があって……」
「何だそりゃ? 神様って奴はそんなものまで決めんのか」
「違います、けど。でも、わたしなどよりずっと偉い教皇猊下もですね」
「阿呆か。神様が許すってんだろ? 下の奴らが勝手に作った決め事なんか、どうでもいいじゃねぇか」
「ど、どうでもよくはないですよ!」さすがに言い返してくる。だが、明らかにさきほどより語勢が弱い。
「わかった、わかった。でも、普通のパンは食うんだろ? 似たようなもんだよ。食えよ、ほれ」
ヤスはもう一度、紙袋を突きつけてやる。
がさりと音がして、甘い匂いが撒き散らされた。
「う――」
マルガレーテはごくりと唾を飲んだ。もはや本音は明らかである。
戒律を別にしても、シスターは原則的に私財を持ち合わせていない。いつもは買い食いなどしたくても出来ないのだ。
ヤスはたたみかけた。
「いいか、こいつは今日の礼だ。俺の礼は受け取れねぇってのか? あんた、俺に恥をかかすつもりかよ?」
「そ、そんなつもりは――街のご案内は奉仕活動の一環ですから、礼などは」
「とにかく食えよ。食ってみなけりゃ、贅沢かどうかはわからねぇだろ。てかさ」
大口を開けてパンをかじり、ヤスはにんまり笑った。
「美味いぜ、これ!!」
もはや反論の言葉はなかった。
最終的にヤスは五個、マルガレーテは三個の揚げパンを平らげたのだった。




