聖堂教会
魔王城から一番近い街はオキロである。
街は丘に挟まれた盆地にあり、数千人が居住していた。
人口のうちかなりの部分を兵士がしめており、さらに”冒険者”と呼ばれる連中も多い。
オキロまで普通に行けば馬で三日はかかるのだが、魔王城には転移魔術の仕掛けがあった。
この魔術は登録した者を任意の転移座標へ送ることができる。
お陰でヤス達はオキロ近郊まで一瞬で移動できた。
「っても、転移座標は地脈に依存するから自由には決められないし、何時間か空けてエーテルをリチャージしないと再使用はできない。おまけにほんの数人しか運べないから、そんなに便利でもないんだけどね。とにかく、オキロの街は人間が魔界へ侵入する際の拠点になっていて――」
丘の上から街並みを眺めつつ、アスモデが解説をはじめた。
だが、ヤスはろくに聞いていない。タコ焼きのことで頭がいっぱいなのだ。
アスモデは突然、不快そうに吐き捨てた。
「――げっ!? いつの間にか聖堂教会ができてるじゃないのっ!! やだわ、最悪ぅっ!!」
見れば、確かにヤス達がいる場所と街を挟んで反対側の丘に教会らしき建造物があった。この距離から視認できるのだから、かなり大きな建物だろう。街の規模から比べると不釣り合いなほどだ。
「うははは、悪魔と宗教は相性悪そうだもんな! やっぱ苦手なのか?」ヤスが笑うとアスモデはむくれて、
「笑い事じゃないわよ、もう! 前にきた時はなかったのになぁ……聖堂教会の連中、昔から偉そうだったけど、このところ一段と幅をきかせているらしいのよ」
よほど嫌なのか、すっかり弱り顔になっている。
「そりゃ、金回りがよくなったんだろ」
「えっ? でも無私清貧とかをモットーにしている奴らよ? だからこそ、あたしは嫌いなんだけど」
きょとんとするアスモデにヤスはあきれ顔になった。
「阿呆か、悪魔が宗教のおためごかしを真に受けてどうすんだ。のしてきたなら、金を掴んだに決まってるんだよ」
「へー、そういうものなの?」
「当たり前だろ! 金がなきゃ、どうにもならねぇ。逆に金さえあれば大抵どうにかできるじゃねぇか」
「ふうん、なるほどねぇ」
一応は納得したようだが、あまり実感はなさそうだ。アスモデは魔物の中では目端が利く方のはずだが、彼女にしてもこの調子である。金を人間が大事にしているキラキラしたモノ、程度にしか認識していない。
「最初は聖堂教会の建物なんて数えるほどしかなかったのよ。それがどんどん増えちゃって、とうとうこんなところまで。嫌になっちゃうわ、ホントに!」
心底嫌そうに言うアスモデ。
教会と悪魔、特にサキュバスは相性が悪いらしい。宗教は何であれ、たいがい姦淫を厳しく戒めるから当然ではあった。
「まいったなぁ。ベッカイみたいな辺境にあんな大きい教会を建てるってことは、よほどお金があるのかしら……」
「ふん、だろうな。いいシノギでも見つけたんだろ」
言い捨てた後、ヤスはふと眉を寄せた。
そう、“いいシノギ”を見つければいいのではないか? 自分達も。
「――ごめん、ヤっちゃん。あの街には行かない方がいいと思う」
聖堂教会にはサキュバスを探知する術に長けている者がいるらしい。
アスモデは人間っぽく見えるように服を替え、尖った耳を上着のフードで隠していた。
だが、この程度の変装は簡単に見破られてしまうそうだ。
「教会の連中、奉仕とか勧誘とかで街中をうろついているはずよ。オキロにきたばかりなら、なおさらね」
「ふーん。見つかったらヤバいのか?」
「位が高い聖職者には法術を使える奴がいて、これが結構やっかいなの。あたしがそうそう遅れをとることはないけど、バレたら大騒ぎになるわ。もし聖堂騎士がいたらホントにヤバいし……」
「騎士? 宗教団体じゃないのかよ?」
聖堂教会は独自の軍事力である聖堂騎士団を抱えている。
数こそ多くはないが精鋭揃いであり、普段は教会と信者の生命財産の保護を主目的に活動している。
だが、騎士団最大の存在意義は勇者の輩出にあった。
法皇の命が下ると、戦士にして聖職者である聖堂騎士の中から資質を持つ者を何名か選抜。様々な試練をくぐり抜け、厳しい競争に打ち勝った者、ただ一人に秘儀を施し“勇者”とするのだ。
つまり勇者とは、聖堂教会によって意図的に産み出される超人的な戦士のことなのだった。
「だから、連中は魔王の天敵でもあるわけ。さすがに聖堂騎士までここにはいないと思うけど……」
「なるほどなー。じゃあ、俺がちょろっと行ってくるから、街の外で待っててくれ」
「ええっ!? ダメよ、話聞いてたの!? ヤっちゃんだけ行かせられるわけないでしょっ!!」
「いや、お前が行けないならしょうがねぇだろ。俺は行くぞ、絶対にな!」
異世界ではあるが、単に買い物をするだけだ。出来ない方がおかしい。
怪しまれないよう得物やさらしは置いてきたが、ヤスの身体能力はオークの族長を上回る程なのだ。街で遭遇するレベルの危険など、余裕で対処できるはずだ。
アスモデは渋ったが、ここは譲れない。ヤスには小麦粉と卵を入手するという、重大な使命があるのだ。
結局、アスモデが折れた。
「はぁ――もう、仕方がないわね。継承紋さえ見られなきゃ、魔王とは思われないだろうし……」
アスモデはとっくりとヤスを眺めた。
鋲打ちされた革ジャンにシルバーのアクセをじゃらじゃらと下げ、幾つも指輪をつけている。ジェイムスンが触手を駆使し、大急ぎで仕立ててくれた衣装だ。
ヤスの面相と相まって、どこからどう見ても調子に乗った悪そうなチンピラ――つまり、人間にしか見えない。
「だけど、教会の関係者には近寄らないでね。特に騎士は絶対にダメよ。もし、何かヤバくなったら必ずあたしを召喚して。ちょっとでもまずそうなら、すぐに呼ぶのよ。わかったわね、ヤっちゃん!」
まるで母親のように言い立てるが、ヤスの耳には半分も入っていなかった。
「おお、わかった、わかった。んじゃ、行ってくるわ」
不安そうなアスモデを置き去りに、ヤスは軽い足取りで丘を下り出す。
この一歩は小さな一歩だが、タコ焼きゲットに向けた偉大な一歩なのだ――と、彼は確信していた。




