グランド・ソース
グランド・ソースとは、世界の法則そのものだ。
新しいソースの追加や既存ソースの削除や変更には複雑極まる儀式がいる。
おまけに大抵は拒絶されてしまう。
だが、もし受領された場合、世界の法則が書き換わるのだ。
「実際に継承は済んでおりますので、ヤス様が魔王であることは間違いございません。ご安心くださいませ」
なだめるようにつけ加えるジェイムスン。
世界の法則が更新可能とは驚きだが、考えてみれば異世界へ転移すること自体、常識を超えている。つまり、もとの世界にも秘められた“グランド・ソース”が存在していたのだろう。
「じゃあ、みんなグランド・ソースって奴の内容を知ってんのか。俺にも教えてくれよ、それ」
アスモデとジェイムスンは顔を見合わせた。
「……そっか、別の世界の人間だものね。きっとヤっちゃんの頭の中にはないのね? コード・ブックが」
コード・ブックは実際の本ではない。
グランド・ソースに関連する知識の塊だ。生まれた時から頭の中に存在し、成長と共に紐解かれていく。
「もちろん、コード・ブックにはグランド・ソースの全部が書いてあるわけじゃないわ。種族というか、役割によって知るべき内容だけ、抜粋されている感じかな」
他に役割毎にすべきことも記載されているそうだ。
人間の場合は職業につくことで、さらに項目が追加されることが多いらしい。
「なんじゃ、そりゃ? 息苦しくないのか?」
「いえ、特には。実際、それほど細かい内容ではございません。定められているのは推奨される行動です。してはならないことはほとんど決められておりませんから」
「それにしたって気持ち悪ぃだろ、すべきことが決められているなんて」
「もし何でもできるのであれば、何をすればいいのか、どうやって決めるのでしょうか? 何のルールもなしに、どうやって生きる指針を定めていらっしゃるのか、逆に不思議に思えますな」
確かに自分は男だから、ヤクザだからこれをすべきだ、みたいな思い込みはヤスにもあった。田貫組へのカチコミはその典型であろう。コード・ブックも同じようなものなのか。
「むう。早い話が常識が違うってことか……」ヤスはぼりぼりと頭をかいた。
アスモデはぱん、と掌を合わせた。
「はいはい、じゃあ話を戻しましょ。グランド・ソースはともかく、今多くの魔物達が望んでいるのは、ラクノーの再征服よ。旧来の土地を取り戻す為にね」
ヤスに刺された際、タヌーがぶっていた演説の内容も旧支配地の奪還を煽るものだったらしい。
「でも何度も人間に負けたからこうなっているんだろ? できるのかよ、奪還とか」
「……実際のところは難しいかと存じます。一騎打ちなら別ですが、我々は集団戦には向きません」
軍隊の強さは物量だけではなく、統制された行動にある。
一方、魔物達は戦端が切られたら最後、興奮して目前の敵に襲い掛かることしかできない。
下手すると味方同士で殺し合うことすらあるらしい。
――イケイケ状態になった鬼島の兄貴が大勢いるようなもんだな。そりゃ、魔物の大軍を作っても無意味どころか逆効果だ。
おまけに頭抜けた力を持っていた魔物の族長達は、大半が歴代勇者との戦闘で討ち取られていた。
魔物は寿命が長い分、世代交代も遅い。新たな実力者はなかなか現れず、現在はタヌーがトップでイノークがその次だったという。正直かなりお寒い状況だ。
「だから、魔界に入ってきた少人数の冒険者とか行商人を襲っているわけ。やり過ぎて討伐軍がきちゃうこともあるけど」肩をすくめるアスモデ。
「ふーん。なら、こっちからの手出しはやめたらどうだ?」
「ヤっちゃん、そうもいかないわよ。人間達の中には魔物を狩る連中がいるの。あたし達の数が減っているのは、そのせいでもあるわ」
ジェイムスンも同意見のようだ。
「人間を襲うことをやめれば、彼らは魔物達を侮り、さらに魔界の奥へと入り込んできます。戦争はともかく、支配領域を守る戦いまで放棄しては……」
「なめられる、ってわけか。やれやれ、メンドクサイ話だな、おい」
魔界の実情はかなり厳しい。ろくなシノギがない上に、わずかな縄張りすら危うい。そのせいで構成員も減っているわけだ。
「まあ、いきなり解決はできないわよ。タヌーの奴だって煽るだけ煽っていたけど、具体案はなーんもなかったし」
「そうですな。ひとまず我々の現状を理解して頂ければ充分でしょう」
伝えるべきは伝えたと、ジェイムスンは引き下がった。
ヤスはそっとアスモデに耳打ちする。
「もしヤバくなったら、逃げるぞ」
「えっ!? ヤっちゃん、魔王なのに逃げちゃうの!?」
この反応からすると魔王の“すべきこと”は魔王城で堂々と敵を迎え撃つことだ。恐らくそれはもうこの世界の常識なのだろう。だがヤスには関係のない話である。
「当たり前だろ。お前を抱く前に殺されるのは、俺のやることリストには入ってねぇんだよ」
「でも……本当にやっていいの、そんなこと?」
「いいさ。俺は別の世界からきたんだぜ。コード・ブックなんざ、知ったことじゃねぇからな!」
軽く唇をすぼめた後、アスモデは
「――だね。あたしの最優先もヤっちゃんとの契約で魔界全体じゃないし」とうなずく。
「んじゃ、どっか遠くに安全な隠れ家を探しといてくれ」
「うん、まかせて」
にっ、と笑うアスモデ。
いったん、ヤスは深く考えるのをやめてしまった。
問題についてはわかったが、小手先でどうにかなるものでもない。
当面の問題は、飯がまずいことだった。
まだ数回しか食事をしていないが、どの飯もひどくまずいのだ。
――めっちゃ塩辛いか、味がないかだもんな。中でもさっき昼に食ったウナギっぽい魚のゼリー寄せはマジでやばかった。強烈に生臭くて意識が飛ぶかと思ったぜ。
食事問題のせいで、ヤスは早くも望郷の念にかられ出している。
――ラーメンとまでは言わないが、せめてタコ焼きとか食いてぇな……。
屋台の手伝いはしょちゅうやらされたので、ヤスも腕に覚えがある。
だが、ここには材料も器具もない。調味料も岩塩のみでは作りようがない。
「はー、タコ焼き、タコ焼き……せめてタコ焼きだよなぁ……」
「タコ焼き? 何、それ?」
アスモデの問いはスルーする。
所詮、彼女も魔界の住人だ。魔王城で出される飯を平然と平らげる味覚の持ち主なのだ。説明しても理解されるとは思えない。
――タコ焼き。外はカリッと、中はじゅわっと。かぐわしきソースと目に鮮やかな緑の青海苔。タコ焼き。ああ、タコ焼きぃ!
困ったことに、一度食べたいと思い始めると止まらなくなってしまった。もはや渇望のレベルだ。
ジェイムスンも怪訝そうに、
「魔王様? どうかなさいましたか? やはり、何か――」
「ああ、いや……」ヤスはふと蠢く触手へ目を向け、「おお、タコはあるじゃねーか!!」と手を打つ。
「――は?」何事か察したのか、ジェイムスンはやや後退りした。
突然、ヤスの脳内にぱっと明るい光が差した。
ふわりと意識に浮かび上がる三つのキーワード――“タコ”“小麦粉”“卵”
「な……っ!?」
“タコ”はきらきらと輝いている気がする。
“小麦粉”“卵”は暗いままだ。
「タコ焼きの材料……? いや、でもこれだけじゃ足りねぇし、調理器具だって――」
言いかけたセリフは口中に消え、ヤスはしばし沈黙した。
「ヤっちゃん? ね、どうしたの?」
異変を察知したのか、アスモデは心配そうにヤスの顔をのぞき込む。
「いや――大丈夫だ。揃えればいい。揃えさえすれば、きっと……」
唐突な確信には切迫感さえあった。
揃えるんだ。早く、早く揃えなければ、と。
「ジェイムスン! ここに小麦粉と鶏の卵はあるか!?」
「は、いえ……残念ながら、ございません。魔王城には人間向けの食糧はほとんど――」
「だよな、仕方がねぇ。アスモデ! 出かけるから、案内してくれ!!」
「えっ!? いいけど、どこに行きたいの?」
「人間の街だよ」
口の端をゆがめ、ヤスはにやりと笑った。




