横取り
アスモデは頬を膨らませると、上体を伏せて丸まってしまった。
すっかり拗ねてしまったらしい。
「おい、ちょっと。アスモデ!」
「……」返事はない。しかばねごっこだろうか。
「いや、これはお前が悪いだろ?」
「なによ。サキュバスがサキュバスの仕事をしただけじゃないの。それが悪いの?」
「む……まあ、そうなんだろうけどよ」
「ふん、どうせあたしは悪魔ですよーだ。ヤっちゃんなんか、もう知らない! 自分で好きにやりなよ。あたしは関係ないから」
アスモデの返事は取りつく島もなかった。
しかしながら、ヤスとしても搾り取られて殺されるわけにもいかないのだ。
――うーむ、メンドクサイなこいつ。俺はコマシじゃねぇんだから、いちいち女のご機嫌伺いとかできねぇし。
あっさりと説得を諦めてしまうヤス。チンピラに女心の機微などわからないのであった。
頭をぼりぼりとかくと、
「仕方がねぇな。わかったよ、無理にとは言わねぇよ。別の奴に頼んで……」
「――ちょっと!! まさか、他のサキュバスを抱くつもりなのっ!?」
アスモデは素早く向き直ると、ヤスの肩をがっしりとつかんだ。
長い爪が素肌に食い込んで痛い。獲物を逃さんとする猛禽のようである。
「馬鹿、ちが……」言いかけてから、ヤスは「まあ、そうなるかもな。条件次第だろ」と、とぼけてみせた。
「じょ、冗談じゃないわっ!! 助けてあげたの、あたしでしょっ!? 横からさらわれちゃ、たまらないわよっ!!」
ヤスは別の魔物に尋ねようと思っただけだ。むしろ、やっかいなサキュバスは避けるつもりだった。
だが、身内に横取りされると思い込んだアスモデは、完全に冷静さを欠いてしまったようだ。よしよしとヤスは心中でほくそ笑んだ。
「うーん、だけどお前は契約しないと協力も何もしてくれないんだろ?」
「そ、それは……待ってよ、他のサキュバスだって同じこと言うはずよ!?」
「おお、なるほどなぁ。俺はかなりイイ獲物らしいし、この世界のことはよくわからんから、うっかり騙されて契約しちまうかもなぁ」
「――っ!! だから、そんなの冗談じゃないってばっ!!!!」
ほとんど悲鳴のような叫びを上げるアスモデ。
サキュバスは専属契約だ。もし誰かに先を越されたら、もう手出しはできない。うかうかしている間にヤスを奪われてしまったら、悔やんでも悔やみ切れない――そんな感情に翻弄されているようだ。
「お前の方が手加減するってのはどうだ? 別にこっちは普通の女並みに気持ちよくしてくれれば……」
「ごめん、無理。人間の女レベルに落とす約束を契約に入れるなんて、できないわ」
アスモデは即座に却下した。
「なんでだよ? プライドが許さないみたいな話か?」
「それもあるけど……たぶん、あたしの方が我慢できない」アスモデは片手で額を押さえ、「今、こうしていてもヤっちゃんの匂いにやられているの。キミがそばにいるだけで、満足できちゃう位なのよ! いざ抱かれたら、自分を抑える自信がない。きっと全力でヤっちゃんを気持ちよくしちゃうわ」
本人の気持ちが高ぶり過ぎて、サキュバス能力の制御が難しくなるようだ。
己ができないことは契約には入れられない。悪魔として守るべき、最低限度の矜持がそれなのだろう。アスモデとしても、いかんともしがたい話のようだ。
「じゃあ、普通に俺の命令に従ってくれよ。俺、魔王なんだろ?」
「魔王が魔物を従えられるのは“絶対命令権”を持っているからよ。悪いけど」
アスモデはヤスをちらりと見て、
「ヤっちゃんからそれは感じられない。あたしだけじゃなくて、他の魔物達も同じだと思う。こう、ぶわーっとした悪者オーラがないのよ、オーラが」
よくわからない話であったが、本来魔王に備わっている無条件に魔物を従える力が、ヤスにはないようだ。チンピラの限界であろうか。
「何だよ、じゃあマジで手は貸せないってことか?」
「まあ、実際のところはさ、あたしは契約なしで協力してあげてもいいけど……」
応じかけたところで、アスモデは激しくかぶりを振った。
「いやいやいや、やっぱりダメだわ!! 契約しないとダメ! ヤっちゃんを野放しにする危険は冒せないもの、絶対っ!! キミはあたしのモノなのっ!!!」




