イイ女
散々盛り上がった後、アスモデはヤスを魔王城の一室へいざなった。
革張りのソファーに並んで座り、銀のグラスで乾杯する。
「うえーい、お疲れー。かっこよかったよ、ヤっちゃん!」
「お、おお……疲れたな、確かに」
グラスの中身は果実酒だった。匂いは悪くないが、飲んでみるとえぐみが強く、正直ひどくまずい。テーブル上の皿に盛られたつまみ類も雑だ。塩気がきつく、味に癖がある。
だが、そんなことはどうでもよかった。
――何か知らんが、こいつ俺に気があるっぽいよな。いや、確実にある。むしろ惚れられているとしか思えないぞ?
女子とたまたま視線が合っただけでも、気があるのかと疑う。少なくとも嫌われてはいないと確信する。あまったお菓子のおすそ分けとかもらった日には、確実に惚れられたと思い込む。
それが男という生き物なのだった。
もちろん、ヤスもキャバ嬢とのつき合いはそれなりにある。
彼女達は客の金や権力だけが目当てだ。いかにむしれるか、そこにプライドをかけている。惚れたように思わせ、貢がせるのが商売なのだ。
しかし、まれにキャバ嬢が客本人に惚れ込んでしまうことがある。
店に来た客に裏でこっそり金を渡すケースすらある。
――こいつの眼つきはそれだ。焦がれてやがる。金でも他の何かでもねぇ。俺本人を欲しがってやがるぜ……!!
「くっくっく……そんなに欲しいのか、うひひひひっ!!」
「――ん? どうかした?」
「い、いや、何でもねぇよ」
「ふうん、そう」
アスモデは艶っぽく微笑むと、肩へしなだれかかってきた。
自然にヤスの太腿に手が置かれている。
――よっしゃーっ、間違いねぇ!! な、何だか全然わからんがやれるぜ!! 絶対そういう流れだよな、これぇっ!!!!!!
改めてじっくり見てもイイ女だ。めちゃめちゃイイ女だ。空前絶後の美女だ。
ヤスの人生でこんな女がべたべたしてくることなど、初めてだ。
まるで現実とは思えない。
アスモデと自分が初対面なのは間違いない。
彼女の話ではヤスはいきなり出現し、演説中だった前魔王タヌーを刺したそうだ。
そんな状況でわざわざ味方を買って出た。
どころか、あからさまな好意を抱いているらしい。
これまでヤスがキャバ嬢から向けられた視線はせいぜい同情どまりだった。彼女達にもなめられていたのだ。
アスモデの態度は普通、あり得ない。
ならば、普通ではない何かがある――はずだ。
ヤスはぎりぎりで冷静さを取り戻した。
――むむむむ……やっぱり変か、これ。そもそもこいつの正体だってわからねぇよな……?
大勢の魔物や変貌したイノークの姿が思い浮かぶ。
ヤス本人だってまるで別人のように身体能力が上がっている。
アスモデもがらりと変身するかも知れない。
その気になって押し倒したら、おっぱいがぱかっと割れて顎になり、中からぴろぴろした触手が飛び出すかも知れない。遊星からの物体的な何かになってしまうかも知れないのだ。嫌すぎる。それくらいならゾンビの方がまだマシだ。
――さ、さすがにそれはないとしても……いや、あり得るのか? やってから考えるってわけにもいかないか、くそっ!!
こんな美女を目前に我慢するのはきつい。
だが、正体もわからず飲み下すと後悔するかも知れない。このまずい酒のように。
アスモデは飲み慣れているようで、するりとグラスを干した。優雅さが漂う一気飲みだ。
「ふふふっ。――聞きたいこと、たくさんあるって顔しているね?」
確かにある。
それはもう、無数にあった。何しろ、わらかないことばかりなのだ。
ただ、優先順位はヤスの中で明確だった。
「まず、お前は何者だ? 何で俺を助けるんだよ?」
「えっ? 最初に聞くのがそれ?」
「ったりまえだ! わけのわからねぇ奴から何を教えられたって意味ねぇだろ!」
というか、正体がわからないと安心して抱けない。
美人局なら金はないと開き直れるが、ここでは常識は通用しない。何があるのか、本当にわからないのだ。
まじまじとヤスを眺めた後、アスモデはにんまり笑った。
「ふうん。ヤっちゃんも結構頭使っているんだね。そうね、信用は大事よね」
軽く姿勢をただし、胸に手を添えるとアスモデは告げた。
「あたしはもちろん人間じゃないわ。いわゆる魔物、サキュバスよ」
淫魔とも呼ばれるサキュバスは、悪魔の一種だ。人間をたぶらかし、精を吸い取る――と言われている。ヤスが遊んだことのあるゲームにも同じような設定で登場していた。
そう、彼女のような存在はゲームの中にしかいない。それが当たり前の現実だったのだ。
状況から頭では理解はしていたものの、リアルな実感は重かった。
やはり、ここはもといた場所とは別の世界なのだ。
ヤスの心中などお構いなしに、アスモデは微笑んだ。
「だから助けた理由はねぇ……こういうことよ」
「あ? お、おい……」
アスモデはヤスをソファーに押し倒し、唇を合わせてきた。
なめらかで弾力のある舌先を感じた瞬間、ヤスの視界は真っ白になった。
「――っ!?」
いきなり強烈な快感の柱が屹立していた。背骨を貫き、脳髄にぐっさりと突き刺さる。意識が飛びそうになった時、アスモデが唇を離した。
「う、は――あ、ああああ……っ!」
息も絶え絶えになっているヤス。
暴力だ。イノークとはまったく方向性が違うが、これはまさに不意打ちの暴力だった。
アスモデは頬を紅潮させ、ヤスに頬をすり寄せた。
「ああ――やっぱりね! キミ、この世界の人間じゃないでしょ! 匂いでわかるの、あたし達は!!」




