カチコミ
世間にはたくさんの職業がある。
当然ながら仕事の内容は様々で、まさに千差万別と言えるだろう。
ただすべてに共通する、いわば真理もある。
その一つが“なめられたら終わり”だ。
結局、この世は競争社会。弱肉強食なのだ。
時には無理してでも「こいつはなかなかやるな」と認められなければならない。
己の力を誇示せねばならない。
ヤクザ者ともなれば、示すべきは当然暴力だ。
シノギで多少目端が利くだけでは、陰口をたたかれる。
上に立ちたいなら誰からもなめられてはいけない。
ゆえにヤス――安田康は兄貴分に羨望を抱いていた。
「んだら、おらぁっ!!」
ごつい拳を喰らい、見張りの男が殴り飛ばされた。
まるで車に激突されたような勢いである。男は鼻も歯も折られ、泡を吹いて気絶してしまった。
「うお、すげぇっ! さすが、鬼島の兄貴ぃ!! 一撃だぜ、一撃っ!!」
間髪入れず、ヨイショを入れた。いつものことである。いいね、みたいなものである。
満更でもないらしく、鬼島猪己は巨体を震わせて笑った。
「がはははっ、まああっ、こんなモンじゃい! 行くぞ、ヤス!!」
「へいっ!!」
のしのしと歩き、鬼島は雑居ビルへ入っていく。
何の気負いも感じられない。ヨイショが効いたのか、むしろ上機嫌だ。
正直、ヤスには気がしれなかった。
――兄貴はすげぇよな……これからたった二人で、田貫組にカチコミをかけるってのに。
二人とも上半身は裸、腹にはさらし。
ドスを携え、ポケットには拳銃を突っ込んでいる。
世界遺産として申請してもいいほどの伝統的なカチコミスタイル。組長がノリノリで揃えてくれたものだ。
――ひははは、なかなか似合うじゃねぇか! よぉし、おめぇら。さっさと田貫のぽんぽこ野郎を殺ってこい!!
その言葉で鬼島とヤスの運命は決まった。
もちろん反論や拒絶は許されない。上からの命令は絶対だ。兵隊は従うしかないのだ。
――だけど首尾よくやりゃあ、俺も幹部だ。もうテキヤの真似事なんぞしなくて済むんだ……っ!!
ヤスは組の中でも下っ端だ。
まともなシノギもできず、屋台でタコ焼きやイカ焼きやお好み焼きや焼きそばを作り、糊口をしのぐ有様だった。
それが変わる。鬼島のように自分もなめられなくなるのだ。
武者震いをこらえ、ヤスは兄貴分の後を追う。
鬼島のでかい背中は一面、派手な彫り物で彩られていた。
――やっぱ極道はアレだよな。カチコミが終わったら、俺も何か入れようかな。
むしろ、入れるべきだ。銭湯やプールに行けなくなっても構わない。
だって俺は幹部なんだから! とヤスは思った。
――幹部になったら金持ちだ。ラーメンの食べ歩きも好きなだけいけるぞ。そうだ、いつも俺を馬鹿にしているキャバ嬢連中に一杯1500円の高級ラーメンを食わせてやろう。遠慮すんな、トッピングは全部乗せだ! なんならギョーザもつけていいぜ! 昼間っからビールの大瓶も頼んじゃう!! 豪遊だ、豪遊するのだ! うはははは!!!
ふと思い当たる。これはいわゆる死亡フラグではないか?
ヤスは慌ててかぶりを振った。
喧嘩の経験はそれなりにある。ドスもあれば銃もある。
さらしも刃物から腹部を守ってくれるはずだ。
――大丈夫、大丈夫だ。やれる。鬼島の兄貴がいるんだ。俺もやってやるっ!!
正直、鬼島は馬鹿だ。
馬鹿なのだが、恐ろしく強い。阿呆のように強いのだ。強さにおいて鬼島をなめる奴は、この界隈には誰もいない。
敵に回せば恐ろしいが、味方であるなら頼もしい。多少の不利など跳ね返してくれるだろう。
成功するなら、むしろ味方は少ない方が都合が――
「オイオイオイ、何だ、てめぇらっ!?」




