16 宇宙港にて
ヴァーチャルItuber、黒猫ミミが奇妙な仲間たちとミッションへと赴いていった頃、中立都市支配領域から遠く離れたウライコフ勢力圏の宇宙港に臨時便が到着していた。
惑星トワイライトのウライコフ陣営は自領域内に軌道エレベーターを建設していたため、衛星軌道と地上との運行は鉄道に倣ったもので、一般的な鉄道が地表を走るのに対して、軌道エレベーターでは上下に動くといった程度の違いでしかない。
しかし宇宙港の様相は鉄道の駅というよりも空港を思わせる。
壁面や天井の大部分はガラス張りとなっていて搭乗待ちの客の旅情を盛り立てるものであったし、搭乗や降機の際のシステムもまた現実世界の空港を倣ったものとなっていた。
すなわち臨時便が到着して真っ先に降りてきたのはファーストクラスの客である。
だが、この便に乗っていたファーストクラスの乗客はたった2名。
そもそもが宇宙蝗の来襲に対する対応のための臨時便であった事を考えれば、戦況は掃討戦に移行しつつあるとはいえ宇宙では未だ盛んに戦闘が行われている今の時点で宇宙から戻ってくる者はそう多くはない。
VIP扱いのファーストクラスに乗れるような者ともなればなおさらだ。
ファーストクラスの客が姿を現すと、空港職員たちは一斉に挙手の敬礼で2人を出迎える。
勤務中だというのに素面の者は少ない。そんな空港職員たちだというのに全ての者はまるで根の張った大樹のような、ピンとした立派な立ち姿である。
仮に背後から体当たりをかまされてもビクともしないのではないか。実際のとこはそんな事はないのだろうが、ウライコフ軍人たちの最敬礼を車椅子を押す少女はそういう風に思っていた。
だが、ウライコフ軍人たちの敬礼は少女に向けられたものではない。
彼らの敬礼は車椅子に座る少年へと向けられていたのだ。
だが少年から敬礼に対する答礼はなかった。
寝ているわけではない。ガラス張りの天井から差し込む日光を眩しそうに頭を振っていた事からも彼の意識が定かであるのは確かである。
いや、寝ているわけではなく起きているという点ではそうなのだろうが、それでも少年の意識が定かであるというのは間違いかもしれない。
車椅子の少年の精神は壊れてしまっていた。
宇宙蝗との戦争は少年の精神を蝕み、彼の精神の防衛本能は覚醒を拒否していたのだ。
それを事前に知らされていた空港職員たち、ウライコフ軍人はかえって目頭を熱くして己の全身を鉄のように硬くし、前線に赴かずここで敬礼している事しかできない自分たちを恥じるのであった。
敬礼を自身に向けられているものとは認識できない少年に代わって車椅子を押す少女は空港職員たち1人1人に小さく会釈しつつ通り過ぎていく。
そして搭乗待ちのロビーで、長椅子に座る顔見知りの男女の姿を見付けて近づいていった。
「ホント、いい迷惑だわ」
「ゴメンっス! この埋め合わせは必ずするっスから!」
「まあ、いいわ。丁度良いタイミングだったしね」
少年少女を待っていたは長身痩躯で、胸部だけ異様に発達した女性と、均整の取れた長身の優男。
長身の女性はこのゲーム「鉄騎戦線ジャッカル」の運営チームの一員である獅子吼D、共にいた男性は彼女のユーザー補助AIであるマサムネ。
そして車椅子を押す少女は獅子吼Dの妹であるプレイヤーネーム「ライオネス」であった。
獅子吼Dは妹を椅子に座るよう促すと、マサムネに飲み物を買ってくるよう頼む。
ライオネスも姉の向かいの長椅子の傍らで車椅子のブレーキを降ろしてから、どっかりと椅子に座り込んでから大きな溜め息を吐いた。
「あ~あ! 今回のイベントは貢献度ランキングで良いとこイケると思ったんだけどな~! で、ピンチって何?」
「……いや、そんな事よりも」
不機嫌そうな様子で姉に話を促すライオネス。
イベント参加中に姉からのSOSで急遽、イベントから撤退して地上に降りてきたのであるから機嫌を悪くするのは当たり前なのかもしれない。
だが獅子吼Dはそんな事よりも気になる事が、とばかりにちょいちょい妹から視線を外していた。
「星が点いたり消えたりしてる! 彗星かな? いや彗星はもっとパ~っと……」
「宇宙戦艦か大型空母でしょ? 味方のじゃなければいいわね」
車椅子の少年が不意にガラス張りの天井を見上げて大きな声を上げる。
ライオネスは立ち上がろうとする少年の体を抑えながら自身も天井を見上げるものの、彼女の目には雲1つない藍色のような空だけが移る。
「マ、マモル君、いったいどうしちゃったんスか!?」
ついに堪えきれなくなった獅子吼Dがツッコミを入れる。
車椅子の少年、マモルはライオネスのユーザー補助AIである。
だが、つい先日、彼と獅子吼Dが会った時にはふっくらと子供らしかった頬はこけ、細い髪の毛には随分と白髪が混じってしまっていた。
見るからに表情や視線はぼやけていて、外傷ならばメディカルポッドに入れば完治するだろうに車椅子に乗っている。
いったい何がどうなればこうなるというのか?
「ライオネスちゃん。マモル君の胸の勲章のために何をやらせたんスか!?」
「マモル君には逃げ場が無かったのよ……」
非難するような口調になってしまったのは、運営チームの一員としてというよりは姉としてである。
運営チームの一員としての立場ならば、ゲームシステムに則ったものである限りプレイヤーがユーザー補助AIをどう扱おうが問題はない。捨て駒にしようが、マトモな戦力を与えずに戦場に放り込もうが、その結果として好感度が下がるなどの責任を負うのはそのプレイヤーの自己責任。
だが姉としては、妹がそのように疑似人格AIを扱っているとなれば、たとえゲームの中であろうと許容しがたいものがある。
だがライオネスは姉の言葉に対して悔恨の表情を滲ませながら振り絞るように言葉を紡いでいく。
「私だって戦場に長くいれば時間感覚がおかしくなっていく感じがしていたわ。それでも私は定期的に現実世界に戻ってくる事ができた」
「マモル君には逃げ場が無かったって、どういう事っスか? プレイヤーがログアウトしている時間ならマモル君も休む事ができたハズじゃ。定期的に休息を取っていれば精神状態は快方に向かうよう調整されているハズなんスけど。第一、ユーザー補助AIはプレイヤーと付き合う都合上、深く精神構造にこの世界が虚構の存在だと刷り込まれていて、自分が死亡してもリスポーンする都合上、そんな精神的な負担は無いハズじゃ……」
俯いてしまった妹に、姉は自分が思っていたのとは違う事態があったのではないかと可能性を探る。
だが、いくら考えても獅子吼Dには原因が分からない。
そんな簡単にAIの精神が崩壊してしまうようなゲーム、作っている方だって精神が持たないに決まっているのだからセーフティーは幾つも設けられているハズなのだ。
「失敗だったのはマモル君がウライコフ正規軍の臨時大隊長に任命されたのを面白がって許してしまった事かしらね?」
「はあ? いったいどうやって……」
「考えてみてよ。1週間以上も兵隊たちが自分の盾になるために喜々として死んでいって、死んだら死んだで次々と補充がされて、また死んでいく……」
マモルのタキシードの胸に所狭しと張り付けられている勲章の数々を見ながらライオネスは自嘲気味に笑う。
獅子吼Dの担当外であるために正確な所は分からなかったが、それらの大小はマモルとその指揮下の大隊が数々の戦果を挙げてきた事を意味している。
その戦果を挙げるためにいったいどれだけのウライコフNPCが死んでいったというのだろうか?
「『後は坂道を転がり落ちるように』なんて言い方があるけれど、私が気付いた時にはもう坂道を転がり始めた後だった。人が死んで補充と勲章が来て、私がログアウトしていてもマモル君は戦場に出るようになって、また人が死んで勲章が増えて、ウライコフから専用機が寄贈されて、また人が死んで……」
「は? せ、専用機!? ライオネスちゃんじゃなくて、マモル君が貰ったんスか!?」
その言葉はマモルの精神崩壊異常に獅子吼Dを驚かせた。
慌ててタブレットを開いてデバッグモードで確認すると、ウライコフ陣営に尋常ならざる多大な貢献をしたプレイヤーに送られるハズの特殊HuMo「ソヴィエツキ・ソユーズ」がプレイヤーであるライオネスではなくマモルに贈与されていた。
この段階での「ソヴィエツキ・ソユーズ」の譲渡も、それがプレイヤーではなくユーザー補助AIに対して行われた事も大誤算である。
「ソヴィエツキ」とはウライコフ語で「議会の~」を意味する語で、「ソユーズ」は同じく「団結」などを意味する語である。
その名を冠するHuMoを渡されたという事は即ち、ウライコフ側からの全幅の信頼を意味し、もし、この機体を駆る者がウライコフと敵対する行動を見せた場合には「自分たちの行動が間違っているのでは?」と疑問を抱いてしまうほどのもの。
それだけの代物故にそう簡単に送られる物ではない。
そもそも「ソヴィエツキ・ソユーズ」は前段階の「ソユーズ」でさらに多大な貢献を行わなければならないのだ。
「仕舞には最後っ屁とばかりに母艦に強襲を仕掛けてきた敵部隊の隊長格相手にソユーズ単騎で突っ込んでちゃってさ。私たちが止めるのも聞かずに……。マモル君はそんな子じゃないでしょ? 姉さん、逆に聞き返すわ。貴女、何てもんを作ってんのよ。ゲームで戦争の狂気なんて再現しなくても良いでしょ!?」
なるほど。
前身機ソユーズでの貢献は果たしていたわけだ。
マモル君「暑苦しいなぁ、ここ。うーん。出られないのかな?おーい、出してくださいよ。ねぇ」
獅子吼ちゃん「か、艦長、艦長。聞こえますか? マモル君が……。聞こえますか? ポチョムキン……」




