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「婚約者!? 先生、結婚すんの!?」
「んふふ~! ……てか、そういやオメーに『先生』なんて言われるのも久しぶりだな」
顔を綻ばせていた栗栖川に対して3人は出入口への警戒を解いて彼女の顔を見ていた。
栗栖川からプライベートの事を聞く事などこれまで無かったのだから、ありえない話ではないのかもしれないが、それでもキャタピラーたちにとってはいつも小言ばかり言っていた栗栖川が自分たちの両親のように人並に結婚して、なおかつその話で顔を綻ばせるだなんてあまりに予想外の事であった。
これには3人の中でもっとも反抗期の傾向が強いパオングも口ぶりとは裏腹にその表情からは完全に毒気が抜けているほど。
「はあ、そりゃオメデトウとでも言うべきなのかしら? でも結婚目前にして職場をクビになって平気なの?」
「お生憎様。一応は懲戒免職じゃなくて依願退職って形になったから少しは退職金が出たし、向こうの親だって引きこもりを引き取ってくれて感謝してくれてるよ!」
「ええ……?」
「だ、大丈夫さぁ? その、お相手の方は……」
免職だの依願退職だのという話は現実世界での大人たちは臭い物に蓋をしろ式に口を噤んでいたために3人にとっては初耳であったものの、それ以上に彼らの気を引いたのは栗栖川の婚約者とやらが「引きこもり」だという点であった。
「いやいや、向こうの親が勝手に言ってるだけで別にニートとかじゃあねぇよ!? ちゃんと仕事はしてるんだから問題はねぇよ!」
「ああ、いわゆる在宅ワークってヤツ?」
「いや、デイトレーダーだけど?」
「う~ん……。そ、それは大丈夫さぁ?」
「ど、どうなのかしらね?」
「そんな心配すんなよ!」
3人は揃って年齢的には中学生。
大人の職業について漠然としたイメージしか持ってはいないが、それでもデイトレーダーと言われれば一種のギャンブラーのようなものとしか思えなかった。
仮に栗栖川が病院で医師として働いているのならばそこまで不安に思わなかったかもしれない。
3人も医師が高給取りの代名詞と言われているようなイメージくらいは持っていたのだが、生憎と今の栗栖川は先の一件で無職の状態。
袂を分かったといえど、さすがにそれは大丈夫なのかと思わざるをえない。
「ま、いざとなったらそれなりに何とかするだろうさ。私と違って小賢しい所のある奴だからな」
「自分の彼氏を小賢しいって……」
「ほれ、お前らも見てただろ? あの日、粕谷の野郎と戦ってた時に『カスヤ・マニューバ』を使ってた飛燕。あれ、私のフィアンセ。あの技って使える奴、そうそうはいないらしいぞ?」
小賢しいだの何だの言っておいて、栗栖川の顔は恋人の惚気話をする若い女性そのものであり、3人の「いったい、どこからツッコめばいいんだ?」という呆れ顔にも気付かないほどであった。
だが意を決してキャタピラーが口を開く。
「ええと、あの時の飛燕が使ったの、アレ、『カスヤ・マニューバ』じゃないらしいさ~」
「……え、それマジ?」
「マーカスさん本人が言ってたんだから間違いねぇだろ」
「それにモドキを使っても勝てなかった負け犬でしょ?」
3人としては「ゲームが上手いのと実生活に何の関係があるんだよ?」とか「ホントにそれで幸せな結婚生活が送れるつもりなのか?」とか言いたい事はあったものの、メディカル・ポッドに入ったゾフィーを守るための戦力になるであろう栗栖川の機嫌を損ねるのもどうかと躊躇われて、あえてゲーム内の話題にだけ留めておいたのだった。
そういう意味でついパオングの口から零れた「負け犬」という言葉に対してキャタピラーもパス太も背筋にヒヤリとしたものを感じ、パオング自身も「しまった……」という苦い表情を浮かべる。
だが意外にも栗栖川の表情は温和なもののまま。
「うん? 別にそんなん気にしちゃいないよ。ヒロが負けたのは事実だけど、それで終わりのつもりはないしな。私はな『負け犬』ってのは負け犬根性が染みついて卑屈だったり消極的になってる奴の事を言うもんだと思ってるからな。お前の言う事はてんで的外れ。怒る気にもならないよ」
「そうなの?」
「逆に聞くけど、具志堅はライオネスの事を『負け犬』だと思うか? アイツも粕谷にやられた事があるらしいけど」
「ライオネスさんが犬って程度で収まるなら世の中、厳し過ぎさ~!」
その言葉で何故、栗栖川とその婚約者がライオネスたちと一緒にいたのにかは得心がいった。
むしろ、もっともそれらしい理由であったとさえいえよう。
「はあ、そういう事。一人二人で勝てないからってマーカスさんに負けた連中が徒党を組んでって……」
パオングが鼻を鳴らすように笑ったのを栗栖川は見逃さなかった。
3人に背を向けて壁際に寄りながら呆れたような声で話しかける。
「2つだけいいか?」
「な、何よ!?」
「1つ。こういう事を背伸びしてるだけのガキに言うのも気が引けるけどよ。世の中、自分の男の事でマウンティング取ってくる女なんていくらでもいるけど、さすがに自分のモノでもない男で調子乗るのは痛いぞ? ていうか、あんなオッサンが趣味なのか?」
「え?」
「そうなの?」
「わ、悪かったわね!?」
そう言いながら振り返った栗栖川はニタリと笑っていた。
そんなに長々と粕谷正信の事を話題にしていたつもりもないのに、それでも栗栖川に気取られるとは。
そう思っていただけでパオングの肌はみるみる内に真っ赤になっていく。すでに戦闘の熱で体温は上がっていたハズなのに、そんな事お構いなしに耳も頬も自分でも分かるほどに熱くなっていき、友人たちが驚いた顔で自分の顔を覗き込んできているのを見ると、まるで際限なく熱が上がっていくかのようであった。
それにしても、とパオングは思う。
これまで友人たちの間でも幾度となく粕谷正信ことハンドルネーム「マーカス」の事は話題に出ていたのに、自身の胸に秘めていた思いを気取られる事はなかった。
それをこの短時間であっという間に悟られてしまうとは、栗栖川とは恋愛の経験値が違い過ぎるが故なのか、それとも現実世界でも病院で長い時を供にしてきたからなのか。
そして、顔を赤くして何も言えなくなってしまったパオングに代わってパス太が聞く。
「で、2つ目は?」
「ああ、敵だよ!」
栗栖川が敵襲を告げたそのタイミング、出入口から黒ずくめの敵兵が室内へと入ってきて、それに向かって栗栖川がトリガーを引く。
「グァっ……!?」
戦闘服もボディーアーマーもヘルメットもマスクも靴も手袋も、全てが黒ずくめの敵兵から赤い花が咲いた。
栗栖川の拳銃によって手にした銃のトリガーにかけた人差し指の付け根が撃ち抜かれたのだ。
さらに拳銃などよりも遥かに大きな銃声が狭い室内に反響しながら駆け巡り、栗栖川の散弾銃の直撃を受けた敵兵は自動車に突っ込まれたかのように飛んで壁へと叩きつけられる。
左手の拳銃に、右手の散弾銃。
左右の銃がセミ・オートマティック式なのをいいことに栗栖川は壁際に身を潜めて室内に入り込んできた敵兵を次から次へと弾丸の雨を浴びせていく。
「おらッ! お前ら、やっぱり足音に気付いてなかったか! とにかく、お前らも撃て、撃て!!」




