36 現時点でのイベントランキングは……
倒れるように腰を落とした椅子のクッションは柔らかく、そのまま沈み込んでいってしまうのではないかと錯覚してしまうくらい。
いつものオフィスの、パーテーションで区切られた自分のブース。
当然、そこに置いてある椅子はいつもどおりの物で間違いないのだが、獅子吼ディレクターが感じた緊迫状態の後の安堵は腰が抜けてしまったのではないかと思ってしまうほどの落差を生み出していた。
「ふぅ……。い、一応は大丈夫ってとこなんスかね?」
「そうねぇ……」
安心を楽しむように天井を仰ぐ獅子吼Dに、長良もコーヒーの入ったマグカップを啜りながらタブレットPCを操作しながら同意する。
それというのも獅子吼Dの肝煎り、心血注ぎ込んで作り上げた珠玉の逸品と自負するホワイトナイト・ノーブル。
そのもっとも重要な構成要素を損失してしまう危機であったのだから彼女がそうなってしまっても無理がない。
かの機体のパイロットであるカーチャ隊長が重態となっているのを聞いた獅子吼Dは実の家族が急病で病院に緊急搬送されたとでも聞いたかのように慌てふためいていたが、パソコンでサーバーにアクセスして確認してみると、どうやら敵兵の銃弾を受けて重態となっていたのは事実。
だが既に彼女はプレイヤーの手によってメディカル・ポッドへ入れられて治療中。
カーチャ隊長たちが交戦していた敵分隊もプレイヤーの活躍によって排除され、近隣の敵集団も偶然か近くにいたプレイヤーとNPCたちによってだいぶ数を減らされている。
「とりあえず当座の危機は去ったって感じかしら?」
「ホント、カーチャ隊長をポッドに入れてくれたプレイヤーには功績ポイントを特別サービスしてあげたいくらいっスよ!」
「そんなんできるわけないでしょう?」
「ははは。そりゃ分かってるっスけどね!」
獅子吼Dがイベントの功績ポイントを特別サービスしたいと言い出した時、長良は彼女ならばやりかねないと眉をしかめながら彼女の顔を見るが、いかにホワイトナイト・ノーブルとそのパイロットであるカーチャ隊長に御執心である事を知られている獅子吼Dといえど、そこまでの職権乱用はするつもりがないのか、あくまで冗談だという顔であった。
そもそも今回のイベントの功績ランキングのポイントはゲーム世界の神ともいえる上級AIが司っている。
それは各プレイヤーがどれほど戦局に貢献したかという事を主眼に種々の要素から算出され、そういう意味ではただ単純に敵を多く倒したかというだけではなく、味方のサポートもポイント加算の要素となっていた。
ダメージや撃破が取れなくとも援護射撃によって味方機が効果的に戦えたり、火力が無い機体でも強力なセンサーを持つ機体ならばその情報を味方に提供してポイントを稼ぐ事も可能。あるいは最前線でなくとも補給や戦場での応急修理などで貢献する手もあるのだ。
また味方の救出も当然ポイント加算の対象となっており、さらにいえば救出したプレイヤーやNPCが助けられた後、目覚ましい活躍を見せればその活躍の何割かは救出したプレイヤーにも加算される。
その前に命を救われていなければ後の活躍もありえなかった、というわけだ。
そういう意味でいえば、カーチャ隊長をメディカル・ポッドに入れたプレイヤーは既に功績ポイント加算の対象となっている。
何も特別サービスなど必要ないわけだ。
「ああ、ちょっと見てみて! 今、カーチャ隊長が入れられているポッドの近くにいるプレイヤーの内、1人は前回のバトルアリーナイベントで上位入賞を果たしている人みたいよ?」
「とはいえHuMoでの戦闘と生身での戦闘はワケが違……、うん……?」
一安心して獅子吼Dと長良は食べかけであったロールケーキを楽しむ余裕が生まれていた。
しっとりと柔らかく、ほどよく甘い。
そんな上質のロールケーキはほろ苦いコーヒーと良く合う。
2人は甘さと苦みのマリアージュを楽しみながらも、やはり興味はカーチャ隊長から離れないらしく片手間ではありながらも周辺の状況をパソコンやタブレットで確認していた。
今、彼女たちにとっての不安要素といえば治療が完了してメディカル・ポッドから出た後の復帰狩り。
不壊属性付きのメディカル・ポッドに入れられている状態はいわば他のゲームでいうところの被弾直後の無敵状態に近い。
だがポッドから出てしまえばその神通力もたちどころに消え失せてしまう。
幸いにも周辺にはポッドの設置されている部屋から動こうとしないプレイヤーが4人。
それぞれのプレイヤーのログを確認してみると、3人はカーチャ隊長をポッドに入れて治療を受けさせている張本人であり、1人は以前のイベントでの上位100位以内の入賞者であった。
しかも獅子吼Dも驚いたが、そのプレイヤーは直近で10名以上の敵兵を倒しており、その前にも遭遇戦で無傷のまま敵集団を殲滅していたログがあったのだ。
「ええと、βテストの参加経験は無し? ああ、こりゃ別ゲーで鳴らしたクチっスかね?」
「にしても凄いもんよね。ウチのゲームは生身での戦闘じゃシステムによる補助は無いってのに……」
「鉄騎戦線ジャッカル」ではプレイヤー自身の育成要素もあるものの、それはあくまでパイロットとしてのスキル。
生身での戦闘では一切のアシストは受けられないのだ。
だというのに件のプレイヤーは重武装の敵を相手に初期装備の拳銃で戦い、敵の銃を奪って一切の手傷を負わずに殲滅してのけるという芸当を見せていた。
このプレイヤーがカーチャ隊長の護衛役を買って出てくれるというのならば2人としても安心である。
また直前にはその周囲の敵をある種の“お助けキャラ”が一掃していったがために喫緊の危機は無いというのが彼女たちの安堵を増大させていた。
「んと、まだウライコフ艦隊は第1フェーズ。艦内戦闘の段階で出撃したHuMoはいないとなると、もしかしてこのプレイヤーが現時点のランキングトップだったりするんスかね?」
「ありえるかもね。ちょっと見てみましょうか」
カーチャ隊長の危機は少なくとも当面は無いと分かって2人の話題は移り、現在の功績ランキングを見てみようという事になった。
イベント中は非公開であるイベントランキングを見るためには情報漏洩防止の観点から上級管理職のIDを必要とするため、長良に促されて獅子吼Dがパソコンを操作する。
呼び出された画面にはまず現在の上位10名のハンドルネームが表示され……。
10位:家系ラーメン大好き!(U)
9位:ハンナマ(U)
8位:カンブツ(U)
7位:切腹-SEPPUKU-(U)
6位:リック・サンバー・ディアス(U)
5位:クリス(U)
4位:牧夫@運営はもっと熟女キャラを用意しろ!!(U)
3位:HMBCa(U)
2位:♰紅に染まる漆黒堕天使♰(U)
1位:ライオネス(U)
「あら? さすがに1位じゃなかったか。でも今の段階じゃランキングに入っているのはウライコフ艦隊にいったプレイヤーばっかねぇ!」
「…………」
「ま、今の段階じゃ他の艦隊はウライコフ艦隊が奇襲を受けたって報を聞いててんやわんやって段階。まだ戦闘が始まっていないのだから当然だけどね。……虎ちゃん?」
「…………」
各プレイヤーのハンドルネームの後ろに表示されているカッコ内の文字は、そのプレイヤーが三勢力の内、どこの艦隊を選択したかを示すものだ。
即ち、(U)とはウライコフ艦隊所属を意味し、現時点ではランキングに表示されていないものの(S)はサムソン、(T)はトヨトミを示すものである。
だが口をあんぐりと開けて絶句する獅子吼Dが注目していたのはそのような事ではなかった。
それは彼女たちがランキング1位なのではないかと予想していた5位のクリスの事でもなく、ランキング1位のプレイヤーのハンドルネームを見て獅子吼Dは固まってしまっていたのである。
「……あら? この1位のプレイヤーって……」
空いたの口の中に千切ったロールケーキを放り込んでも何のリアクションも示さない獅子吼D訝しんで長良がもう一度パソコンの画面を良く見てみると、そこに聞き覚えのある単語を見付けた。
2年ほど前、獅子吼Dが自慢の妹だといってオフィスで誰彼構わずに見せびらかしていたプロレス雑誌。
そこに載っていた獅子吼Dの妹のリングネームは……。




