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31 凶弾

 展望デッキから出た時、そこは既に戦場の空気。


 来る時には軍艦らしく無機質でありながらも圧迫感のある廊下や、すれ違う軍人たちのガタイや装備に「雰囲気あるなぁ」とぐらいにしか思っていなかったキャタピラーたちも銃声や爆発音が聞こえてくる中では気圧されて何も考える事はできないでいた。


「お前らも第8だって!? 俺も付いてくぜ!」

「おっちゃんもパイロットさ~!?」

「いんや、俺は整備屋だよ!」


 銃声に身を強張らせていたのを見られていたのか、展望デッキで酒を飲んでいた白髪頭の老兵がキャタピラーの頭をポンと叩いて前を歩いていく。


 だが、その彼の持つ武器になりそうなものといえば厚手のガラス製の酒瓶のみ。


 どこかからか、しかしそう遠くはない場所で銃声やら爆発音が響き渡る度に呻き声やら悲鳴が響いてきている状況において、それはとても頼りない物としかいいようがないが、それでも老兵は歩みを止めずにまっすぐ己の持ち場へと向かおうとする。


「……行くわよ」

「お、おう!」

「い、一応でも、わ~たちは鉄砲を持ってるんだし……」

「その意気だ!」


 キャタピラーたち、そしてゾフィーは腰のホルスターから拳銃を抜いて老兵に追い付こうと駆けだす。


 3人は口には出して言わないものの、揃って己の足が自分のものでなくなったかのような感覚を味わいながらもゾフィーに続く。


 3人としてはHuMoを駆った戦闘でならば現実感の希薄さ故に恐れを知らずに戦う事ができたのかもしれないが、いくら頭の中でゲームの中だと理解していても腹に響く重低音の爆発にスピーカーを介さずに直接に鼓膜を震わせる悲鳴は平和な現実日本で育った少年少女の心身を完全に委縮させていた。


 それでも彼らが足を止めずに走っていられたのは戦場にあってなおその美しさを増したかに思えるほどのゾフィーの凛々しさによってである。


 老兵を追い越して一行の先頭を走るゾフィーの背でパオングはドラクロワの絵画を思い出していたし、彼女ほどの教養もないキャタピラーとパス太も言葉にしようのない胸の底から湧き上がってくる勇気のために走っていられたのだ。


 さすがは艦内構造を熟知していると言ってのけたゾフィーだけあって、彼女は銃声が近い場所を迂回して接敵する事を回避しつつも少しずつ彼らの機体がある第8格納庫まで着々と近づいていた。


 その間に何人かのウライコフ兵の亡骸を見ていた事から敵はだいぶ艦内に入り込んでいるようで、最悪の場合は完全に艦内を制圧されてしまっては発艦もできない袋の鼠状態になってしまうと気が急いて3人のペースは上がっていくが、ゾフィーと老兵はハンドサインで速度を落とせと何度も彼らをおしとどめていた。


「そんなに速度を上げたら、通路を曲がった所で出会い頭に敵に撃たれてしまうぞ!?」

「で、でも死体はウライコフ兵のものばかり、急がないと!」

「大丈夫だ。このクラスの艦ならウライコフの督戦隊が乗り込んでいるハズだ! そうだろう?」

「ああ。そうさな!」

「督戦隊!? まさか私たちも後ろから撃たれたりしないわよね!?」


 パオングが知る「督戦隊」といえば現実世界でのもの。


 通常、督戦隊とは自軍の後方に位置し、不利な状況下で命令も無いのに後退しようという味方部隊へ実力を持って、これを阻止するための部隊をいう。


 パイロットとしてHuMoを置いてある格納庫まで向かおうというのは後退でも退却でもないのだろうが、何事も戦場の混乱といってしまえばそれまで。


 何かの勘違いで後ろから味方であるハズのウライコフ兵に撃たれてはたまらないとヒステリックに声を上げたくなる気持ちも当然といえば当然であろう。


「ふふ……。安心したまえ。ウライコフの督戦隊は君が想像しているようなのとはまるで正反対さ」

「はぁ!? どういう事!?」

「ま! いくら督戦隊がいるにしても長くは持たんだろう。急がねばならないのは確かだが、だが慌ててはイカンって事だ」


 やがて一行はあと2つ曲がり角を曲がれば格納庫まで辿り着くという場所へと辿り着いた。


 だがそこは人の腰の高さの辺りまで土嚢が詰まれて簡易的なバリケードとなっていて、向かい側の角では敵兵が顔と銃だけを出して猛烈な連射を浴びせているところ。


 土嚢に身を隠しながら小銃で敵に射撃を加えているウライコフ兵は人数が2人だけというのに加えて、敵の嵐のような連射にマトモな射撃精度を期待できるわけもない。


 キャタピラーたちはゾフィーは老兵にならって匍匐前進で自分たちも土嚢で身を守りながらウライコフ兵たちへと近づいていく。


「状況はどうかッ!?」

「見りゃ分かんだろッ!! 精々、アンタらが来たって事はしばらく後ろから敵はこないだろうって一安心ってとこさ!!」


 ゾフィーは丁度、小銃の弾倉交換のために完全にバリケードに身を隠した兵士へ状況を聞くが、彼らも目の前の敵を抑えるので精一杯。周辺の状況などまるで把握してはいなかった。


「ぎゃッッッ……!?」


 火線が減った事が敵に落ち着いて狙いを付けさせる事になったのか、1人射撃を続けていた兵士が肩の辺りを撃ち抜かれて倒れる。


「ちょ、ちょっとォォ!?」

「チィっ! その人を頼む。おい、貴方は使えるか!?」

「おう、任せとけっての!!」


 キャタピラーが撃たれた兵士に駆け寄った時、ゾフィーは既に倒れた兵の穴を埋めるべき土嚢のすぐ後ろで膝立ちになって拳銃を構えていた。


 整備員の老兵へ倒れた兵の小銃を渡して、弾倉交換を終えた兵と3人で射撃を開始。


「ヒュー!! やるじゃねぇか! 姉ちゃん! 中立都市の連中のファッションセンスはワケ分かんねぇが射撃の腕は大したもんだぜ!!」


 ゾフィーが射撃に加わってすぐ、老兵が歓喜の声を上げるが何が起こったのか確認する余裕などキャタピラーたちには無かった。


 撃たれた兵士の止血が思うようにいかないのである。


 彼らだって腕や脚を撃たれたのならば血流を抑えて出血を止めるために負傷箇所よりも心臓に近い位置を布か何かで縛れば良いというのは分かる。


 だが、肩を撃たれていた場合はどうすればいいのか?


 そんな事、彼らが知るわけもない。


 ゲーム中のシステムによって彼らの脳内に刷り込み(インプリンティング)されているのはあくまでHuMoの操縦法のみ。

 本来であれば傭兵なら誰しもが知っているような事も彼らは知らないのだ。


 それでも彼らは自分たちの手が血で汚れるのも厭わずに負傷箇所を手で抑えて出血を止めようとはしていた。


 偶然にもそれは「圧迫止血法」と呼ばれる手法に酷似した効果を発揮してはいたものの、それを知らないが故に彼らは自分たちがしている事がこの場で考えられる最大限に近い応急処置をしているというのに目に涙を浮かべてただ自らの命が失われていくかのようにただただひたすらに焦っていた。


「止まんない!! 血が止まんないさ~!!」

「どうすればいいっていうのよ!?」

「おいおい! ヤベェって! どんどん呼吸が浅くなってく……」


 つい先ほどまで100メートルの全力疾走を終えた後のアスリートの如く息を荒くしていた兵が、今はまるで寝息のような浅い息使いとなっている。


 それは急激な血圧の低下によるものだったのだろう。


 だがキャタピラーたち3人は原因の違いこそあれど、現実世界で目の前の兵士と同じような状況を見た事があった。


 昨年に彼らの友人が彼らが入院している病院において、突如として容態が急変してそのまま帰らぬ人となった事があったのを嫌が応にも思い起こさせる。


 力を込めて患部を抑えていなければいくらでも血が流れてしまうというのにキャタピラーの手からは力が抜けていき、パス太の歯は間近な死に直面した恐怖になっていた。


「そ、そうだ!! ポッドは!? メディカル・ポッドはどこさ~!!」


 それは絶望の淵に立たされていた時に見た光明。


 キャタピラーの脳裏に思い起こされたのはこのゲームのご都合主義の部分。


 生きてさえいれば、どのような負傷でも数分でも完治させてしまう謎のSFガジェット、メディカル・ポッド。


 それにこの兵士を入れさえすれば助ける事ができる。


 その事について思い至った時、恐怖からの解放によって彼らに冷静な思考はできなくなっていたといってもいい。


「メディカル・ポッド? それならそこの部屋にあるがよ! アンタらパイロットはともかく、俺たち一兵卒には使えねぇっての!!」


 メディカル・ポッドの事を思い出し、彼らは跳びはねるように土嚢のバリケードから頭を出しそうになったのを見て、ウライコフ兵が小銃を乱射しながら後ろを向いて彼らを嗜める。


 その兵士としては平時ならともかく、戦時にいくらでも替えの効く兵卒はメディカル・ポッドの使用優先順位は非常に低いものであり、それを伝えて少年たちに諦めさせたいと思っての言葉であった。


 だが、そんな事などキャタピラーたちには関係無い。


 ウライコフ兵が顎でしゃくって指し示した部屋はおあつらえ向きに彼らのすぐ真横。


 バリケードのこちら側、それも自分たちのすぐ横にメディカル・ポッドが設置してある部屋があったとは。


 それはキャタピラーに考える事を止めさせていた。

 それはもう何か考えての行動ではなかった。


 ただただ当然のように彼は立ち上がって、その部屋の開閉ボタンと押そうとしていたのだ。


「危ないッ!?」


 キャタピラーにその声は届いていたのだろうか?


 開閉ボタンを押した次の瞬間、彼の体は突き飛ばされて床へ背中が叩きつけられていた。


 すぐにその上に仮面を被った女の体が倒れ込んできて、少年が女性の体の柔らかさだとか花のような香りを知る前に彼女の口から口紅よりも赤い鮮血が溢れ出してキャタピラーの顔面に降り注いだ。


 なんで土嚢に身を隠しているのかも忘れて立ち上がってしまったキャタピラーを庇おうとしたゾフィーが凶弾に倒れてしまったのである。


 幸い、パス太がヘッドスライディングのように体を飛び込ませて自動ドアが閉まってしまう事は防いでくれていたが、床を這うようにしてゾフィーの体を引きながら部屋の中へと入っていったキャタピラーの顔は今度こそ絶望によって凍ったように固まってしまった。


「……ポッドが1つしか……、ない……」


 撃たれたウライコフ兵とキャタピラーを庇って倒れたゾフィー。


 それに対してその小部屋に設置されていたメディカル・ポッドは1つしかなかったのである。


 命の選択。

 それは少年にとってあまりにも残酷な要求であった。


 だが、大人たちはまだ子供である彼にそのような選択をさせなかった。


「きゃああああ!!!!」


 部屋の外からパオングの悲鳴が聞こえてきてキャタピラーとパス太が慌てて部屋の外の様子を見ると、つい先ほどまで彼らが止血しようとしていたウライコフ兵が脳天が撃ち抜かれて、彼は既に絶命していた。


 だが、何故バリケードで身を隠していた彼が撃たれたのだ?


「……これで負傷者は1人だ。負傷者は1人、ポッドも1つ。問題ねぇだろ……」


 その言葉の意味を考えて、ハッとしたキャタピラーがパオングの顔を見ると、彼女は何も言わずにただ小さく頷いて見せる。


「おら!! ガキどもは邪魔だ! あの姉ちゃんも時間の問題だろ!? 3人でとっとと姉ちゃんをポッドに押し込んじまえ!!」


 負傷兵を撃ったウライコフ兵は少年たちを見もせずにただ引き金を引きながら銃声にもまけないくらいの怒声で叫ぶ。


「……ごめんなさい」


 仲間を、つい先ほどまでたった2人でこの場所を守ってきた戦友を自らの手で射殺した兵士の事を3人は残酷だとか、冷酷だとかは考えなかった。


 その時は完全に何も考えれず、ただ真っ白な脳味噌で3人で協力してゾフィーのだらりと力を失った体をメディカル・ポッドに入れる事しかできなかったし、その大仕事を終えた後には閉まったドアの向こう、しかし、すぐ近くから大爆発の振動が彼らを襲っていたから。


 業を煮やした敵が手榴弾か何か、爆発物を使ってバリケードに身を隠している2人を吹き飛ばしてしまったのだ。


 あの白髪頭の老兵も、戦友の事を射殺せざるをえなかった兵士も既にいない。


 それは少年たちを感傷的にさせたが、それ以上に敵と自分たちとの間に誰もいないという事を意味していた。


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