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29 展望デッキにて

「おおっ…………!」


 その感嘆の声を上げたのは誰なのか、キャタピラーには分からなかった。


 ゾフィーと名乗る仮面の女は展望デッキから見える星の海に目もくれず、キャタピラーたち3人の様子を満足気に見ているのだから彼女は違うのだろうが、歳を考えても幼さが多分に残っているパス太が上げた声なのかもしれないし、はたまた大気のフィルターのかかっていない星空はあまりにも素晴らしいがため普段は大人びているパオングのものであったのかもしれない。


 いや、もしかしたら自分では星空の海に圧倒されて息を飲むばかりだと思っていたキャタピラーが無意識に上げた声であったのかもしれないし、まったくの無関係の者、展望デッキに来ている他のプレイヤーの声が聞こえてきたものなのかもしれない。


 展望デッキはテニスコートほどの広さであっただろうか。


 もし彼らが乗り組んでいるポチョムキン号が遊覧船であったのならば、もっと大規模な施設となっていたのかもしれないが生憎とこの艦は軍艦である。


 むしろいくら宇宙空母ポチョムキンが複層構造の全長1km以上の巨艦といえど、軍艦の本来の役割には不必要な展望デッキを用意してくれただけ運営のサービス精神に感謝したいくらいに思っていた。


 そもそもポチョムキンには200人ほどのプレイヤーや、そのユーザー補助AIが乗り組んでいるハズであったが、戦闘開始予定時間までしばらくある暇な時間帯だというのに彼らの他に展望デッキを訪れているのは3組ほど。


 また壁際のベンチで星空を見上げながら酒瓶を呷っているウライコフ兵も1人いるが、いずれにしても目の前に広がる無限とすら思える星空に比べれば狭すぎる展望デッキも余裕のある程度の客入りであった。


「……意外と人が少ないわね」


 ただただ頭上に広がる大パノラマの星空に言葉を失っていたキャタピラーたちの内、最初に我に返って口を開いたのはパオング。


 子供のように星空に見とれて呆けているのを気恥ずかしいとでも思ったのであろうか?


「特に戦闘開始まで特にやる事もないのだし、皆もっと来ていてもおかしくないと思わない?」

「んあ……。そういえば、そうかも……」

「そら、航宙艦なんて中立都市の傭兵には普段は縁遠いものだろうし、そもそも展望デッキの存在を知らないんじゃないか?」

「ああ、きっとそうさ~! ん? でもゾフィーさんは何で?」

「言ったろう? 私はウライコフの艦についてはいくらか詳しくてね……」



 ゾフィーの返答が正しい事を証明するかのように、彼ら以外の3組にはそれぞれウライコフ式の軍服を着込んだNPCと思わしき者が付いていた。


「ほれ、そこの御老輩のようにウライコフの飲んだくれの中にも星空を肴にしようって洒落者もいてな。その手のおセンチな者と仲良くなればこの場所を教えてもらえるんじゃないか?」


 ゾフィーが指し示したベンチに座る傭兵は確かに他にツマミとなるような物もなく、ただ星空を見上げては茶色い酒瓶を煽るという事の繰り返しであるが、その身に纏うやさぐれきった雰囲気は彼女が言うような「洒落」だとか「センチメンタル」だとか、その手の言葉とは無縁のように思えて3人は揃って苦笑する。


 だが、彼女が言うように特定のNPCと交流をもって仲良くなれば連れて来てもらえる場所というのは同感であった。


 3人としてもゾフィーの説得でライオネスに栗栖川とは共に戦えないと説明するという事には納得していたものの、それにはもう少し心の準備が必要だと思っている。


 ならば彼女やその仲間がここに来て鉢合わせという状況が低いというのはありがたい。


 胸の内の整理が落ち着くまで、彼らは今しばらくここに留まって星空と戯れる事にした。


「……ほんと、ずっと星空を見ていると人間1人の悩みなんてちっぽけなものに思えてくるから不思議なものさ~」


 生まれてから1度も沖縄本島から出た事がないキャタピラーにとって、眩いほどに鮮明な星空はとりわけ蠱惑的に思えていた。


 那覇の星空は大気汚染と熱い海洋からの湿度によりくぐもって見えるもので、その厚いフィルターを外して見るだけでこれほどまでに星が美しく輝くのだと初めて知ったのだ。


 それは彼にとって見上げる首の痛みを耐えるに十分なものであり、胸に満ちた感動はその片隅の棘を覆い隠すのにもまた十分な効能を持っていた。


 それでもこの光景がゲームの世界の仮想現実なのだと思えば僅かながら鮮烈な感動を減じてしまっていたが、彼は努めてその事実を己の脳内から振り払う。


 自分はこの世界でしか生きられないのだから、目の前の光景が作り物かどうかなど関係無い。


 故に自分は栗栖川と相容れる事はできず、だがライオネスとは友人関係を続けたい。


 星々の輝きに洗われるようにキャタピラーの思考はクリアーになっていった。


 感動の新鮮さが少しずつ失われていくにつれて、脳内に空いたスペースで考えがまとまっていくような感覚。


 もう少ししたら、タブレットでライオネスに連絡を取って彼女にどこかへ来てもらって話をしよう。


 栗栖川先生も来られたら、また話がこじれるかもしれないから彼女だけで。

 まあ彼女の補助AIであるマモルとか、サンタモニカたちならば良いか。


 そんな事を考えながら星空を眺めていると、ふと視界が歪んだように思えて、急速に彼の意識はその周辺へ釘付けになった。


「うん……?」

「あら、どうかした?」

「いや、なんか、あの辺がぐにゃってなったみたいな……」

「ん~。そんな風には見えねぇけどなぁ……」


 キャタピラーが指さした方向へパオングもパス太も視線を向けるものの、2人には特段なにか変わったような光景は見つけられず。


 言い出した当の本人も気にせいだったのか、いや、それにしてはハッキリと見えたように思えて不思議でならず、天井を構成する透明な物質の一部が不良で屈折率が歪んでいるのかもしれないと1歩下がったり前に行ったりというのを何度か繰り返していた。


「どうかしたのかね?」

「おう。何かあったか、坊主……」


 キャタピラーの行動を不審に思ったのか、星空に見入っていたゾフィーと、つい先ほどまでベンチに座って酒瓶を呷っていた老兵まで彼の元へと近づいてきて問いかけてくる。


「えと、いや、なんか、さっきあっちの方が空間がぐにゃって捩じれたみたいに見えたような……? ハハッ! 多分、ただの見間違いさ~!」

「おい……、それは……」

「ああ、ヤベぇ……」


 首を上に曲げながら後ろへ下がったり前に進んだり、そんな行動を見られて、そんな勘違いかもしれないような事に大の大人2人の注意を引いてしまった事でキャタピラーは気恥ずかしくなって照れ隠しに後頭部をポリポリと掻くものの、対して彼の言葉を聞いてゾフィーも酒瓶を片手にもった白髪頭のウライコフ兵も随分と深刻な顔になっていた。


「……全領域迷彩!?」

「だな。俺っちは艦橋に報告を上げる。アンタらはもう少し見張りを頼む!」


 そう言うと老兵はたった今まで酒を呷っていたのが嘘であるかのように機敏に駆け出して壁際の艦内電話機へと向かう。


 一方、キャタピラーたちは2人がどうして慌てているか分からずにポカンとした顔をしていた。


「おいおい、“ぜんりょ~いきめ~さい”って何だ?」

「あ~……。確か光学迷彩、電子迷彩、熱迷彩とか色んなのひっくるめた迷彩の事じゃなかったかしら……?」

「はえ~……。前にレーダーに捉えられない月光ってのと戦った時には皆、苦戦してたんだけど、そんな上位互換みたいな迷彩があるさ~」


 3人にはステルス機との交戦経験は無い。

 キャタピラーにはトクシカ氏の難民キャンプでのミッションでステルス機に味方部隊をだいぶ削られた記憶こそあるものの、それでも彼自身は幸運にも戦場で月光と出会う事はなかったのだから深刻さの理解が不足していたとしても無理がないだろう。


「でもよ。ウライコフ艦隊は近隣の宙域からも艦を集めて数千隻の艦隊を組んでんだろ? なんでまたそんな状況下でそんな迷彩を発動させてんだ?」

「そういえば、そうよねぇ」

「事故ったら大変さ~」

「……うん?」


 その直後、僅かな思考の停止の後、3人の脳裏に思い浮かんだのはほぼ同一の事であった。


 数千隻の艦艇が集結している艦隊行動の中であらゆる方法で探知されない全領域迷彩を発動するという事は深夜の高速道路を無灯火で乗り回す事に等しい。


 いつ事故が起こるか分からない、命が幾つあっても足りないような状況。


 なのに全領域迷彩を発動させているモノはその危険をおしている。

 それは何故か?


「……もしかして、敵……?」

【急募】ワイ将、キャタ君たちの内、残り寿命が短いのは誰なのかを忘れてしまう。

誰か、どっかにそれを示唆する文があったらワイに教えて欲しい(´・ω・`)


ちな、作中の人物でもっとも寿命が短いのは番外編のカトーさん(あと一週間くらい)

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