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28 獅子吼Dのコーヒーブレイク

「鉄騎戦線ジャッカルONLINE」の開発運営元であるVVVRテック社では土日祝日などのカレンダー上の休日などは特に意味の無いものである。


 365日24時間ずっとサーバーにアクセスがあるネットゲームであるから不測の事態に備えて土日祝日であろうと夜間であろうと最低限に人員が備えていなければいけないわけであるからシフト制を導入した勤務体系なのは当然ではあるが、それでも社員は各自、会社規定に基づいた休日が与えられている。


 だが、正式サービス開始から半月以上も経とうというのに1度の休日も取っていない者がいた。


 二十代と若年ながらも本作のディレクターに抜擢された獅子吼ディレクターである。


 今日も土曜日だというのに獅子吼Dはオフィスの自分のコンパ―メントに籠ってパソコンのモニターや紙の書類とにらめっこをしていた。


 だが正式サービス開始直前の最終調整から考えれば1月以上の連勤だというのに獅子吼Dの意気は揚々。


 その表情は陽気ながらも自然体で、他の者が会社への泊まり込みをも辞さない長期連勤の時に見せるランナーズハイにも似た妙なハイテンションというわけでもない。


「虎ちゃ~ん! 大阪支社の坂崎さんが持ってきてくれたお土産のロールケーキ食べない?」

「あ! 長良さん、頂きまっス!」


 獅子吼Dがこのような連勤に耐えられたのは自身がディレクターに抜擢されたからという気負いというもあるが、それ以上に彼女が幼児が友人に自慢の玩具を見せびらかすような心持で仕事に臨んでいたというのが大きい。


 だが、それだけで人のメンタルが持つわけがない。


 今こうして彼女のデスクまで個包装のロールケーキとプラカップ入りのコーヒー飲料を差し入れにきてくれた女性社員は獅子吼Dよりも年上ながらも役職は下。それでも新入社員の頃と同じく面倒見が良く親しくしてくれていたから。

 彼女だけではなく社内の空気が良かったから、獅子吼Dは趣味混じりの感覚で仕事を楽しくやっていられたのだ。


「う~ん、やっぱ銅志摩ロールは最高っスね! そういや坂崎さんはまだいるんスか? お礼でも言いたいんスけど……」

「あ~……、もう厚労省の方に行っちゃって、そのまま大阪に戻るってさ」


 彼女たちの話題に上がった坂崎とは、大阪支社の技術研究所所属の社員である。


「鉄騎戦線ジャッカルONLINE」のゲーム世界領域の極一部を流用して不治の病に苦しむ患者の療養所にするというプログラムの技術的な分野での責任者である坂崎の東京出張は当初はしばらくかかるのではないかという見通しであったが、厚生労働省では療養所計画に反旗を翻した職員をただちに処分する意向を見せ、それにより短時間での報告連絡で話が済む事になったのは獅子吼Dたち本社組の人間にとっても朗報であった。


 これはただ担当省庁との役人との打ち合わせが短時間で済むといった話ではなく、言外に療養所計画に対して多大な期待がなされているという証拠でもあるからだ。


 大規模なVRMMOゲームの開発運営には多大な資金を必要とする。


 だが、その費用の全てをプレイヤーへ負担させる事は客離れを加速させてしまう。


 あからさまな課金煽りを不快に思う大多数の層は速やかに別のゲームに移り、過疎化したゲームに残りたい奇特な者はそう多くはないのだ。


 そのためにVVVRテック社はゲーム内世界に現実世界とさほど変わらないような街並みを作り上げ、そこで現実世界と同程度の広告宣伝媒体を導入して社外からの広告費を稼ぐ手法を取っていた。


 現実世界では街並みの看板広告やらテレビCMは当たり前の存在となっていたが、それがゲーム内世界で同じように行われていると「こんな所まで再現するもんなんだな」と意外と好意的に受け入れられるのである。


 同様にVR療養所計画は民間からではなく国から資金を導入するための方法であった。

 見て

 ホッと胸を撫で下ろして安心した2人はそれから土産菓子に舌鼓を打ちながらしばし世間話に興じる事にする。


「で、そっちはどうなの? 今回のイベントは……?」

「っス! 順調っスよ! ちょ~っとサーバーのH-CPU負荷が高いっスけど、想定の上限値まではまだ余裕があるっス!!」


 獅子吼Dは自身のデスク上の2枚のPCモニターの内の1枚を指し示す。

 そのモニターは2つのウィンドウに分割され、右側にはリアルタイムで更新される折れ線グラフが表示されていた。


 次世代型複層実装高性能CPUの使用率を示すグラフを見て長良はうんうんと頷きながらも僅かに眉間に皺を寄せる。


「もしかしてアレ? 負荷が高いのって……」

「まあ、“名無し”ちゃんの提案を取り入れたからだと思うっスけど、ホント問題無いレベルっスよ!」


 “名無し(ネームレス)”あるいは“鬱シナリオ愛好家”として知られる獅子吼Dの後輩社員。


 彼女はβテスト終了間際に社の意向に反した行動を起こしたために獅子吼Dの元から長良主任のチームへと異動となっていた。


 とはいえ風通しの良い社内の事。

 当然ながらオフィスのフロアも同じとなれば当然ながら会えば話もする。


 イベント開始2日前となった木曜になって“名無し”から獅子吼Dへと提案された案とは「ウライコフ艦隊のNPCの思考レベルを上げ、性格パターンをプレイヤーたちが好意を持ち易いものにする」というものであった。


 今回のイベントでは参加プレイヤーたちは三勢力のいずれかの艦隊を選択して、そこに乗り込んで宇宙での大規模会戦へ赴くといったもの。


 だが、プレイヤーたちには告知されてはいないものの、3個艦隊の内、正面から敵を迎え撃つ予定のウライコフ艦隊は敵のステルス艇小艦隊による奇襲を受ける。


 それによって当初の作戦計画は水泡と化すというのもそうだが、奇襲を受けるウライコフ艦隊に乗り込んだプレイヤーにとっては無重力あるいは低重力下での艦内戦闘で敵を乗り越えて自機の元へと辿り着かなければいけないのである。


 そこに目を付けた“名無し”はプレイヤーたちと共に戦うウライコフ側のNPCの思考能力のレベルを上げ、かつ親しみ易いキャラクターへと改変するように訴えたのだ。


 これによってウライコフのNPCたちは強烈な主義者という側面を持ちながらも個々人としては親しみ易いキャラクターへとなる。


 ウライコフ艦隊へと乗り込んだプレイヤーたちがNPCたちと接触し友諠を結んだ頃に奇襲、艦内戦闘でバッタバッタと友人たちが死んでいく様を見せつけるという、なんとも“名無し”らしい案であった。


 これを獅子吼Dも、彼女から上申されたプロデューサーも面白いと感じて“名無し”の案は実行される事になったのだが、これに対して内心ながら複雑に感じていたのが長良である。


 多数のNPC、それも数千隻の宇宙艦隊に乗り込む乗員NPCたち全ての思考レベルを上げるというのは即ちCPUに多大な負荷がかかるという事に直結。


 異星人からもたらされた技術を導入した次世代型演算処理装置であってもそれは同様なのである。


 自分でもわざとらしいと感じるくらいに笑って長良主任の心配を笑い飛ばす獅子吼Dであったが、それで彼女が納得する事はなく、ならばと机の上のバインダーに挟まれた書類を手渡す。


「どの道、意味が無い事なんスよ。CPUの負荷だなんて……」

「これは……」

「特殊コード『騎士王の威光』、このゲームにおける本来の特殊コード」


 社内においてはここしばらく特殊コードといえば「CODE:BOM-BA-YE」もしくはそれを疑似的に再現した「CODE:SUNRISE」の話題で持ち切りであったものの、本来、運営が想定していた特殊コードとは獅子吼Dが言う「騎士王の威光」ただ1つである。


 運営が想定していたものであるのに、何故、特殊と呼ばれているのか?


 それは「騎士王の威光」を発動できるのがただ1人のNPC、そのNPCがただ1機のみの機体を駆った時に発動できるものであるからである。


「上級AIの予測通り、『黒騎士』を渡されたカーチャ隊長はウライコフ艦隊へと乗り込んだそうっスよ。細工は流々、仕掛けは上々、後は仕上げをご覧じろってとこっスかね?」

「『黒騎士』は宇宙戦闘においては『白騎士王』に劣るんじゃなかったの!?」

「その程度の性能差なんてカーチャ隊長にとっては何ら障害となるものではないっスよ!」


 長良は慌てて社内用スマートフォンを取り出して現在の状況を確認する。


 既にゲーム内世界においては宇宙イナゴのウライコフ艦隊への奇襲は始まっていた。


 今現在、サーバーのCPU使用率は事前の想定、その上限値に近い。

 そんな状況でカーチャ隊長が「騎士王の威光」を使ったらどうなるか?

 技術畑出身ではない長良にとってそれがどうなるか分かったものではなかったのだ。


 だが、そんな長良を見て獅子吼Dは苦笑していた。


「脅かしてスンマセンっス! 資料の3枚目を見てもらえば分かると思うっスけど、実は『騎士王の威光』が発動した所でサーバーには大した負荷は無いっス!」

「そ、そうなの……?」


 獅子吼Dが「騎士王の威光」の話を持ち出したのはあくまで“名無し”の案でサーバーに負荷がかかっている事を心配している長良に実はまるで関係の無い話をして気を解すため。


 以前の背反行為で異動となっている“名無し”の案で何か不具合が起こったらと彼女の事を案じる長良の気持ちは分かるが、その場合に責任を取るべきなのは彼女の案を面白いと上司へ上申した自分であるだろうと獅子吼Dは思っていた。


 長良の虚を突いてから、それをどういう形で先輩に伝えようかと考えていたが、今度は彼女が長良に驚かされる番であった。


「いや……、でも、虎ちゃん……」

「うん、何スか?」

「虎ちゃんの話は分かったんだけどさ……」

「はい?」

「今、カーチャ隊長の状況を確認してみたらさ。彼女、今、重態でメディカルポッドに入ってんだけど……」

「ふぁッッッ!?」

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