25 ドリンキズム
艦長と呼ばれた老人はわざわざ私の隣を選んで座っているというのに、ボリス大尉に呼びかけられてから私に会釈してグラスを持ち上げてみせる。
「ああ、どうも。お嬢さんは中立都市の傭兵さんかね? こんな所にまで来ているとなると大尉のお客さん? 珍しい事もあるものだね」
「え、ええ。傭兵のライオネスです。あっちは私のコーディネーターのマモル君。一応、彼もHuMoに乗って戦うつもりですので私ともどもよろしくお願いします」
古木のように深く皺の刻み込まれた艦長さんは人懐っこい顔をこちらに向けてきてはいたものの、それでもどこか猜疑心のようなものが透けて見える。
私はそれを年齢的なものからくる技量練度の不足、あるいは覚悟の有無に疑念を抱いているものなのだろうかと思っていたが、その瞳に宿るどこか恐ろしいモノを見るような色はどうもちょっと違うような気もしていた。
「ああ、ああ。こちらこそよろしく頼むよ。精々、死なない程度に頑張ってね」
「あの、艦長さんは戦闘開始前なのにこんな所に来ていて良いんですか? それもお1人で……」
それでも彼も良い大人という事なのだろう。
個人的な感情をひた隠しにして、艦長と雇われの傭兵という立場の違いこそあれどビジネスパートナーとして艦長は好人物を演じる事にしたようである。
それに甘えて私は気になっていた事を聞いてみる事にした。
だって、そうだろう?
どれだけリアルに作られていようと、この世界はゲームの中。
出港したばかりとはいえ、そんなに長々と移動ばかりが続くとは思えない。
それなのにこの宇宙空母のトップである艦長さんが1人でふらりと呑み屋に来るような余裕があるとは思えなかったのだ。
普通、そのような高い立場の者はもっとこう忙しいのではないだろうか?
「なあに、事前にやる事は出港前には大概終わっておるよ。後は戦闘開始直前まで艦隊の陣形を崩さんように所定の位置に付いていくだけ。そんな事くらいは部下たちでもできるし、それにな……」
「はい……?」
「部下たちも上司がいたら楽しく呑めんじゃろう?」
そう言うと艦長はショットグラスを持ち上げて一気に煽った。
表情は好々爺そのものではあったが、その表情は冗談を言っているが故のものではない。
「え……。マジっスか……」
「うむ」
「この艦の艦橋の連中。みんな酒飲みながら仕事してるんスか……?」
「それが我々が我々に認めた権利じゃからな」
そういえば前にトクシカさんの商会所有の評価試験場に行った時、展示販売場のウライコフの人は皆、お酒を飲みながら仕事をしていたっけ。
アレはあそこの人たちが特別だらけていたというわけではなく、そもそもウライコフの人たちはそういう価値観の人たちという事なのだろう。
ボリス大尉が先ほど飲酒を断った時に見せた寂しそうな顔も彼がそういったウライコフの価値観に染まって生きているから。
「……権利ですか? 基本的人権のようなものですか?」
「おうおう。良い線いっとるぞ。我々はそれを飲酒権と呼んでおる。他の“民主主義ヤクザ”やら“資本主義の豚”は人権を色々と細分化してややこしくしとるがの。人間なんてものは気持ちよく酒が飲めてればそれが幸せじゃろう? 故に国家は人民に酒を提供し、気持ちよく酒を飲める環境を維持する義務を持つ」
攻略WIKIの情報によれば彼らウライコフ人はサムソン系の人々を“民主主義ヤクザ”あるいは“民主主義ヒステリー”と、そしてトヨトミ系の人を“資本主義の豚”“拝金主義”などと蔑んで呼ぶのだという。
まあ、逆に彼らもまた他の勢力の者たちには“飲んだくれ”だの“飲酒共産主義者”だと言われているのでその辺はフェアだと思うが。
だが艦長の表情に浮かんでいたのは軽蔑というよりかは理解できないものへの恐れであった。
そしてそれは先ほど私に向けられたものと同じであると今は理解できる。
「ライオネス、先ほど君も使ったメディカル・ポッドも昔は外傷にのみ有効であったのを毒物をも分解できるようにしたのは我々ウライコフ人だというぞ」
「……話の流れから察するに、毒物っていってもアルコールとかホルムアルデヒドを体内から除去するのが目的なんでしょ?」
私の表情に飲んだくれどもに対する侮蔑の色を察したのか大尉が「そんな捨てたものではないぞ?」と小ネタのようなエピソードを教えてくれたが、残念ながらそれで国ぐるみでのアル中連中への評価が良くなる事はないだろう。
ただ、つまり彼らウライコフ人は戦闘前だというのに浴びるように酒を呷っていながら、メディカル・ポッドに入りさえすれば素面で戦えるというのを聞いて少しだけホッとした。
「でも、まあ、それを聞いて安心したわ。艦長さんも大尉たちももう少ししたらポッドに入って酒を抜いてくるってわけなのね」
だが、そんな私の言葉を聞いて艦長も大尉も、ついでに声が聞こえていた後ろのテーブル席で盛り上がっていた大尉の部下たちまで一瞬にして空気が凍り付いたかのように固まってしまう。
今度は先ほどとは違い、価値観の違う者に対する恐れを隠そうともせずに私を信じられないモノを見るかのような視線を向けてさえいた。
「マジかよ……」
「坊主、話以上にオメーんとこのボスはヤベーな……」
「素面で戦争って正気かよ……」
後ろから聞こえてくる大尉の部下たちの声はどこか震えていて、言葉には出さないものの艦長も大尉も同じような価値観である事は聞かなくとも分かる。
やがて意を決したようにボリス大尉が口を開く。
「あ~……。ライオネス? 貴様はHuMoのパイロットだったよな?」
「え、ええ。そうだけど……?」
「貴様は酒も飲まずに素面で人間の乗っている敵機へ砲弾を撃ち込む事ができるのか?」
「できるけど……?」
私が平然と「できる」と言った瞬間、後ろから誰のものともしれぬ「ひぇっ……」と小さな悲鳴が聞こえてきた。
むしろ私としては全長1km以上の巨艦を酔っ払いが操艦している方がよほどおっかないし、HuMoの飲酒運転が横行しているどころかそれが咎められる事もないというのがよっぽどおかしいと思うのだけど価値観の違いというのは恐ろしい。
だが、所変わればといったものか、艦長のような老人や大尉たちのようなマッチョたち。カウンターの向かいのバーテンやウェイターまで私を信じられないような目で見てくると私の方がおかしいのではという気にすらなってくる。
「ほ、ほ、ほら! 私ってトヨトミ系の人種でしょ!? アルコールの耐性が無いのよ!?」
ふと先ほど大尉が言っていた言葉を思い出して、その場を丸く収めようという言葉が不意に口から飛び出てきた。
そもそも飲酒などした事ない私にはアルコールへの耐性があるかどうかすら分からないのだが、それでもそんな事などしるわけもない彼らはそれで納得してくれたようである。
「なんだ、そういう事か……。ビックリしたぜ」
「そ、そうよ! 逆に聞くけど、アンタたちの国じゃ私みたいな人はどうなってんのよ!?」
「うむ。確かに我々の国でもそのような者が生まれる事もあるがな。そういう者は亡命してもしゃあないという事で快く送り出しとるよ」
さすがに彼らは国民の何割かが酒を飲めない日本で開発されたゲーム内のNPCというだけあってか、酒が飲めない者への配慮はしているという事なのだろう。
それでも国の全てが酒に向いているだけあって、酒を飲めない者は色々と弊害があるのか、そういう者には亡命という選択肢も与えられているのだという。
「亡命ねぇ。……ちなみに、酒が飲めないという理由で亡命した場合は?」
「ライオネス君みたいなトヨトミ系の人種に分かり易く言うと……、抜け忍に対する扱いと一緒じゃな!」
艦長は冗談めかして笑うものの、ようするに追っ手を放ってお命頂戴ってわけか……。
これはまた随分と重い設定をブッ込んできたな。
「そういえば君のいる中立都市の防衛隊の隊長さんじゃったか。あの者の両親もウチからの亡命者じゃったようじゃの」
「へぇ~。カーチャ=リトバクだっけ?」
「リトヴァクじゃ。ウチの国じゃ一般的な姓じゃの」
「ああ、そうなんですね。まあ、いずれにせよ会った事は無いですけど」
そういえば姉さん肝いりのホワイトナイト・ノーブルの本来のパイロットであるカーチャ隊長って機体をパクられた後は何をやっているのだろうか?
そんな話をしていると、不意に艦長さんが腕時計を見てニヤリと笑う。
「それじゃライオネスさんにもウチの連中が酒を飲んでおっても仕事をしているところをお見せしようか?」
そう言うと艦長さんは後ろの方、大尉の部下たちやマモル君たちがいる更に向こうの壁を顎でしゃくって示す。
まるでタイミングを見計らっていたかのように天井から薄型の大型ディスプレーが降りてきて何やら映像が流れ始めた。
「うむ! 時刻通り……」
部下の仕事の成果が一番の酒の肴とばかりに艦長は新たにグラスに注がれた透明な液体を舐め、ディスプレーに長らく写っていたウライコフのロゴマークが星間図へと切り替わると同時に勇壮なBGMが流れ始め、某北の国のような芝居がかった抑揚のナレーションも続く。
『同志諸君!! 並びに作戦に参加してくれた中立都市の傭兵諸君!! 我々は「全宇宙をウォッカ工場へ」のスローガンの元で挙国一致、飲酒主義の絶え間ない前進を続けている事は周知の事実ではあるが、この度、イ飲酒主義の最前線「惑星トワイライト」に無知蒙昧なる宇宙蝗の群れが接近しているという報が入った。
正義のウォッカで熱い血潮を燃やす我々は宇宙の資源を食い尽くさんとする暴虐無比の蛮族どもへ無慈悲な鉄槌を下すために立ち上がった!!
今回の蝗艦隊殲滅戦は過酷な戦いとなるだろう! だが忘れるな! 同志諸君の血の1滴は後の世のウォッカ1リットルとなる事を!!……』




